嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

原点と雑音の、ちぎれる音。

2006年12月07日 23時57分44秒 | 駄文(詩とは呼べない)
書いても苦痛から逃れることはできない。
スランプとは少し違う
いわば僕を僕たらしめようとする僕の拘りのようなもの。
そういうものが、液体である僕を、固体の中に押し留めようとする。

気持ち悪い。
脳にだけある吐き気。
胃がむかむかするわけではないのに、
それが吐き気だとわかる感じ。
気持ち悪い。
心と体の不一致。
存在と不存在のあいだ。

いらだち。
わめき。
さけび。
ひぎ。

ひぎぎぎぎ。

たすけて
たすけてたすけてたすけて

だれかたすけて

無駄。
むだむだむだ。
全部むだ。

意味無い。
死ね。

俺、死ね。

たすけて。

うるさい、しね。

声がする。

「死ね」
ずっとずっと声がする

「死ね。」

苦しい。けど。どうしようもない。
ほかの人には聞こえない。たぶん幻聴。
でも、ずっと中心の、奥の方から聞こえる。

死ね。
俺、死ね。
僕、殺せ。

たすけて。

自分、要らないから。
いらないから、たすけて。

大人になりたくない。
だれかここから、だしてくれ。

…だれも居ないって知ってるのに。
いったい俺はだれに願う
僕は、誰にねがっているの?

狂ってる
わかるけど
自覚があるうちは
まだましだって、だれかが言ってた。

けど、誰も助けてくれない。

言葉が、暴走してる。
心古韻が、きこえなくなってきてる
雑音だらけだ。

僕は、よごれているのか?
汚されているのか?

たすけて。なんでこんな世界に!
なんでこんな場所に、生まれたの?

やめて。
生まないで。
もう生まないで。

創らないで。
もう世界、つくらないで。

つまんないから。
ぜんぶぜんぶ、つまんないから。

嫌な音がする。
嫌な味もする。
たすけて。
「全部壊れろ!」

なにやってるんだ俺は。

嫌だ、感覚がいやだ、この世界にいる、感覚がいやだ。
この世界を感じてしまう、まるで自分のような意識が嫌だ。

どうすれば…

つまらないだけのこの世界で、現実から聞こえる音なんて、
なにも聞きたくないよ。

もっと耳をすますんだ、
もっと耳を、
誰にも聞こえない音を、
全部聴き取るんだ…

ずっと
ずっと奥の方まで
深い、奈落のそこまで
不幸の味を、数えるように。

もっと耳をすまして!


『僕は、何がしたい?』

『ぼくは、しにたい。』


たぶん、此処に僕が居る。
誰もいない場所に。

灯籠の火をともすもの。

2006年12月07日 23時38分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
恨みが蓄積されて心が歪んでいくのがわかるのに
自力じゃどうにもできない。
そもそも自分で自分の感情をコントロールしようという時点で
どっかの何かが間違ってるような気がしてならない。
だから僕は、間違ったままで
間違っている自分を表して
間違ったまま無くなっていけばいいはずだ。

過去を思い出すたびに
自分はいつもいびつな人間だった気がしてくる。
それでも、誰かを思い出すたびに、
日増しに恨みは蓄積されていって
結局それは何の救いにもならない。

だから僕は幸せが遠ざかるとしても
目の前にあるものを叩き壊すべきなのだ。
例えばそれが、誰かが大切にしているような、
固く閉じられた想いだったとしても。

ただ、幸いにして、僕は目の前になんの幸せもなく
目の前に誰か親切な人がいるわけでもない。
だから僕がせいぜい壊せるものがあるとすれば
自分自身で作り出した世界だけなのだ。
例えば必死で積み上げ続けた三角の土煙や
立て続けたドミノや
ずっと守り続けた日課のようなもの。

あるいはまた、
幼少より備わっている倫理観のようなもの。

あるいはまた、
人が人としてあるために作り出した尊厳のようなもの。

あるいはそれらの、
冒涜を冒涜とするための、
率魚された生命の船出のようなもの。

簡単に言えば
価値のない命をすりこぐための
永遠の呪縛で出来たすり鉢のようなもの。

そういうものを、満たしていくように
暴力的な悪意によって
僕は僕を壊していくのだと思う。

だけど僕には、どうにもできない。
また、どうにもならない。
ここにあるものは
虚しいばかりで、元々価値の無かったものだから
例え破壊し尽くしたとしても
誰からも、何からも、
何も奪い取ることはできない。

すなわちもって。

僕は、生きることが出来ない。

それは、わかっているけど…

だけど、僕は僕の価値を作り出すなにものをも持たない。
持ちたくない。持たされたくない。維持できない。
束縛されたくない。

ずっと透明な
誰からも見えない景色でありたい。
何からも発見されないような
歪な死のままでありたい。

破壊されても、いいのだと思う。
奪われることにも、壊されることにも、
この場所では慣れていかないといけないのだ。
与えられるものは、全て僕を壊すために用意されたものでしかないのだ。

帰りたい
還りたい
逃げ出したい。
この世界から居なくなりたい。

屁理屈でもいい。
弱くてもいい。
生きられなくてもいい。
痛みのない世界にしたい。
そしてまた、世界そのものを無に帰したい。

還れない。
救われない。
すべての記憶が、僕を想像力へ縛り付ける。

助けて欲しい。
君の想像力で。
世界に灯りをともすように。
静かな美意識が欲しい。

記憶の音をたぐり寄せるように

2006年12月06日 22時54分37秒 | 駄文(詩とは呼べない)
記憶は、向き合うことが出来る記憶は、
いつだってつらい記憶だけだ。

楽しい記憶と向き合うことは出来ない。
どんなかろやかさも、どんなはしゃぎも、
それは一過性のものでしかなくて、
向き合うべき問題とはならない。
苦痛のみが、コンプレックスとして蓄積され、
どうして自分は不幸なんだろうと、
僕自身の思考ベクトルを決める。

記憶はいつも、僕を束縛するためにある。
そしてその記憶は、何故か僕を僕の位置に固定しない。
いつも僕は、奪われた誰かだけを体感する。
そして体験する。

記憶は、思い出すことの出来る記憶は、
いつも同じ記憶だけだ。
忘れた記憶を思い出すことはできない。
なんども強く描いて、なんども喉から手が出るほど欲しいと思ったものだけが、
僕の未来を決める。

願ったものが叶うなら、
願った未来が手に入るなら、
僕には最初から未来なんてない。
そして未来なんて要らない。
手に入らないからこそ、僕らの前にどうしても欲しいと思うように、
そう思わされるように、
ずっとずっと不可能な夢ばかりが僕の目の前にたんこぶの痛みのように垂れ下がる。

いつか記憶は、
記憶は、忘れるためだけに存在していたのだと、
悟ることが来ると決まっているように、
その変遷だけが、
変わりすぎた記憶だけが、
捻じ曲げた想いだけが、
僕の新しい記憶を作る。
そして自分を騙してゆく。

いつも僕は正体不明で、
いつでも僕は誰かの僕で、
いつだって僕だけが、僕のための僕になる。

そうやって、僕の記憶は出来ている。
強い思いだけが、嘘の未来を騙る。
そして願わない未来だけが、毎日傍をかすめる。

手を伸ばすことさえ、
僕の位置から動かない範囲だけ。
手に入るものは、生まれる前からあったものだけ。
生まれた後から手に入れたものなんて、
失われた嘘の記憶だけだ。

どんな真実も、現実の前では屈服する。
どんな欺きも、真実の前では、かすんで見えるというのに。

ねがわくば、
ぼくのきおくが、
だれからもわすれさられますように

。と、

僕は祈る。
いのらずにはいられない。

僕が出会う前から、
きっと君が、僕のことを忘れますように。と、。

忘れる物だけを、記憶に宿して
忘れられない痛みだけを、魂に宿して
誰かの心に自分を刻むために、
生きているような、夢を見る。

死んだ君の中で。
なにもできない君の中で、
ただ、僕らは願う。

いつかきっと、現実が消えてなくなって、
だれもかれもが居なくなりますように、と。

すべての交錯した思惑が、
心無い意志が、
絡みつく、その糸が切られて、
やがて太く練られるように

火を灯した大きな明かりが、
やがてうすれゆく孤独をまよわすように
僕らが願う影は
ずっと生命の、形づくる蜻蛉をそうように
小さな灯りが
熱のない火に似ていて。

大きく瞬けば、そこに命が生まれる。

ずっと一瞬の中で
ずっと永遠の中で
忘れられる夢だけを見ている。

傷つかない魂を傷つけるように
そっと寒い息で
深呼吸している。

あるふぁべっとを数える事が出来ないようにと。

2006年12月05日 21時47分42秒 | 駄文(詩とは呼べない)
視力と聴力が出会う、不思議な場所がある。
そこはとてもやわらかい場所で、ちょっとでも四角い物音を立てれば簡単に崩れてしまうような、
あやうい丸みを帯びた色しかわからないような場所で、
いわば輪郭の無い世界なのだけど
その泉にある水は、決して汚れない。
あるいは簡単に、とても簡単に汚れてしまう。
だから僕は、その水を、決して耳から出さないように
呑み続けるように護らないといけないのだと思う。

かつて、無我夢中で中空を捕まえようとした手が触れたものに近くて
そして苦みと痛みがとてもよく似ている場所でもある。
そういう領域のことを、決して人は忘れてはいけないのだと思う。

いくつかの、手がかりがある。
僕は視力を失っていないのに、まるで現実が見えていないことや、
眠っている間も手が動き続けていることや、
舌の動きと、指の動きが連動していると感じることがあるような錯覚や、
そうした類の出来事は、
僕にとって、とても大切ななにかで、
そういう何かは、普通名前をつけて呼ぶことはない。

いわばそれは粘土から引きはがした魔力に近くて
忘れてしまったカオスの土でできてて、
そういう土を奪い続けることを人は「知る」と言うけれど、
そんなもので、
たったそれだけの暴力的な行為で、
いったいひとは何をしることができるというのだろう。

だから僕は知らない事をおそれ続ける。
明日を怖がり続ける。
それが例え、自分の決められた通りに動く、
時計の物語のような正確なきざみとりずむを持って啼いたとしても
僕の孤独に触れることもなく、
そして出会うことも無い別世界のアンダーランドなのだから。

だけどまた、僕は運命に刃向かうことで運命を作り出す。
運び続ける命を絶つことで、
その橋を落とすことで、
奈落の底に落ちている絶望を拾う。

それが僕の救済に繋がっているとは自信を持って言えない。
だけどまた、それが必要な行為であると言わざるをえない。

まるで僕は、
閉められた宇宙船の、
閉じられたロケットの、
縮こまった密室の、
そのトーカルエリアを爆破するテロリストに似ていると思うことさえあるというのに。

だけどぼくに
だけどそんなぼくに
いったいなにが、どれほどの、なにができよう。
いったい僕が、この世界で、何を壊すことが出来るというのだろぅ

この世界で刻まれたどんな出来事も、
この世界で確認されたどんな出来事も、
やがてこの世界自身によって、
全ては世界自身から追い出される。
そうすることで、
世界は世界を忘れながら生きている器だと呼べる。
そしてそう呼ぶことが、
変化する自分をたゆたんでゆけるひとつの証明に似ている。

僕は遷ろう魂の溶け出し続けるその箱の中で
シュレディンガーの猫に似たふるえを持つ。
その寒さにゾッとしながら、
血で血を洗う行為にとてもよく似ている。

このわずかばかりの声が、
わずかばかりな小さな叫びが、
決して響かない、
届かない手紙に似ているように。

とてもよく、似ている。

この寒さを僕は、
現実の寒さと、間違えるようなアホさがよくある。
だから僕は
そしてぼくらは、

いつだってなにかに対して、
いつでもだれかに対して、

ずっとずっと寒さにふるえる。
そのことを、白い糸にのせて、
そっと君につたえる。

ちいさな鈴の音が
やがてくる、明日へのおそれと、
喜びを打ち興るわすようにと。

感想文を書くのは苦手だったから。

2006年12月05日 00時46分36秒 | 駄文(詩とは呼べない)
ねぇ、世界がお前の事を裏切り続けても
お前は感性に正直に生きないと駄目だよ。
例えその首が、真っ黒に焼け焦げ、そげ落ち、血だまりの中にあっても
お前はその不幸にも苦痛にも、正直であらねば駄目だよ。

それは神の証明だから
音を聞くよりも
暗闇をぬぐう目よりも
痛みが突き刺さる光よりも
なによりも
感性に正直にあらねばならないよ。

たとえその声が
周りの全てを焼き尽くせと名乗り続ける
魂の業火だとしても
お前は語り続けねばならないよ。

ねぇお前、もっと私に世界をおくれ。
もっと君の、もっと貴方の、もっとすべての、
薄汚れた世界を、ぜんぶぜんぶ私におくれ。

さもなくば。

この世界を
お前一人を残して
幸せにしてしまうよ?

だからおくれ。

すべてを。

世界を投げ出すような、
諦めで満たされたようなすべてを
もっとここに書いておくれ?


そう、僕が祈ったような気がした。

奪われた価値を取り戻すために。

2006年12月04日 15時06分08秒 | 駄文(詩とは呼べない)
含まれた吐き気を、
もよおした吐き気を、
記号に置き換えることによって文学的な芸術の側をなぞる。
その吐き気と共に沸き上がる妄念を、複雑で単純な、一般性のある形に置き換えることが、
苦痛を苦痛としてオリジナルのままにしておく不在を許す。

いわゆる芸術的価値とは、ある種の品位や学位によって認められた者たちの遊技のようなものだ。
それらは全て、奴隷達の犠牲の上に暇と退屈の重ね合わせの煉獄の中で生み出される歩みの遊びだ。
だから低俗さも馬鹿さ加減も許してしまえる本領的な了見の広さを持ってしか、
多くの言葉は通じ得ない。
ゆえに、美徳とされる文学的意識によって
複雑な技巧的あやとりを望むべくもなく、
また、わかりやすさだけを基底とするわらべうたを唱うつもりもない。

あきらかにここは、
孤独と孤独の記号による摺り合わせを楽しむ場でしか無いのだ。
すなわち絶望による一人のキャッチボールでしかないことを、
わかったうえで、それでも球を投げざるを得ない、人々の、人の、その中の意識の、
妄妖とした沸き立つ湯気や煙の類でしかないのだ。

たとえば僕ははらいたを「腹痛」と書いて必死に我慢しているわけではないのだ。
苦しんだことを、症状を、病状を、なんら客観的な要素を持たず、
ただ壁に向かって呪いのように記録しているに過ぎないのだ。

だからここに書かれた言葉の意味がわからなくても
それ自体は別に不思議なことでもなんでもない。
ただ、もしもここに書かれた事を何か汲み取ろうと意志のあるものが
意識的に読むのであれば、
それはきっと苦痛の再現となるのだろう。

だから僕はここに書かれたものに価値が無くとも、
意味が無くとも、それを恥ずかしいとは思わない。
たぶん、どうしようもないことなのだから。

それでも、そのことを十分にわかったつもりでいても、
僕はまだ、何もわかっていないのか、
誰かにまた、ともするとまた、
何かを、必死に、伝えたいと願ってしまう。

だからこれはエゴなんだ。
だからこれは涙を揮発させてゆく呪いの固まりなんだ。
呪詛の仮面をかぶって、
僕はまた、一人で丘を走る。
明日の太陽を、見ないで済むような聖地を探して。

僕は苦しむ。
そのことが、一つの証明であるかのように。

背中の重りで

2006年12月03日 06時16分30秒 | 駄文(詩とは呼べない)
背中に翼が生えている時は、どんな難しいことだって出来る気がする。
だけど、背中の翼が重りになった時は
どんなに楽しいことをしていてもすぐに疲れてしまう。

だから言わないで。
だからもう、そんなこと言わないで下さい
僕の翼をもぎ取らないで。
僕の翼を、消し去ってしまわないで。

だからそこでジッと
僕の背中をみないで。

見ないで。
もうみないで。

もう、僕の本当の姿をみないで。
それはとても、醜いものだから。


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