源氏物語と共に

源氏物語関連

客観的?な紫式部

2009-09-17 08:39:03 | 紫式部
「紫式部集」では、
子供への歌は1首だけだそうです。




世を常なしなど思ふ人の、をさなき人のなやみけるに、
から竹といふもの瓶(かめ)にさしたる女房の祈りけるを見て

    若竹の おひゆくすゑを 祈るかな  
      この世をうしと いとふものから   (紫式部集)  




世を無常だと思う私の子供(賢子)が病気になり、
女房がから竹の生命力にあやかって
まじない?で子供の側に、から竹を花瓶に挿す。
その女房が祈っているのを見て詠んだ歌。


普通、母なら子供の病気の時はつらいと思うはず。
髪の毛を振り乱して神様仏様!と祈るのが普通だと思うのですが、
そんな時に、自分が世を無常だ厭っているなどと歌にあるのが
とても不思議に思いました。


紫式部はこの場面を病気の子供、女房そして眺める自分。
何だか傍観しながら客観的に見ているような感じがします。


(ちなみに、から竹はマダケ。普通のタケノコの竹。
唐竹ゆえ中国産とも、いや日本自生かともいわれる。竹は生命力が強い)


しかし、源氏物語では、ヒロイン若紫の登場シーンや、
匂宮や薫の幼い頃の描写は非常に可愛らしく、
母親として子供を見る目が描かれていると思います。


匂宮が紫の上と梅の木を守る約束場面。
匂宮が「母よりもおばあ様(紫の上)が恋しい」と
「目おしすりて」涙をまぎらわせ、最後は涙を見られるのが恥ずかしくて行ってしまう場面など大変可愛らしい描写があります。


また、夕霧が柏木の子であると気づき、幼い薫をじっと観察する場面。
薫がタケノコをよだれをたらしてかじっている様子なども
女性らしい母の目を感じます。