源氏物語と共に

源氏物語関連

桐壺帝

2008-04-09 09:28:51 | 登場人物
先日、TVで寂聴さんが桐壺帝に関して
はっきりコキュ桐壺帝と言われていた。


寝取られ男コキュは、本などでは良く目にする言葉だけれど、
すごくリアル感じて、違和感を感じた。


源氏もその後は同じ運命になるけれど。。


興味深かったのは、寂聴さんが
桐壺帝が最愛の光源氏と藤壷の関係を知っていたという風に
最近は思うようになったと言われた事。


実際、その方が桐壺帝の器は大きいと。


そうかもしれないが、
最愛ならばこそこんな風に知らないふりで隠し通せるのだろうか。


聡明な帝ゆえ、藤壷のお産が遅れた事などもわかっていたのかもしれない。
もしそうなら、その心中は大変なものだったと思う。


桐壺帝が生まれた皇子を抱き、光源氏に似ているといった場面は
本当にスリリングである。


光源氏も藤壷も顔色が変わった事であろう。


ずっと気になっていた言葉。


明石で桐壺帝が夢に現れる場面。


光源氏に、どうしてこんな所にいるのか?
住吉の神の導きなさるままに、早く船出してこの浦を去りなさいと言い、
光源氏がもうこの渚で身を捨ててしまいたいと言った続きの言葉。


「いとあるまじきこと。これはただいささかなるものの報いなり。
われは位にありし時あやまつることなかりしかど、
おのづから犯しありければ、その罪を終ふる程いとまなくて、
この世をかへりみざりつれど、いみじき憂へに沈むを見るに堪へがたくて
海に入り、なぎさに上り、いたく困じにたれど、
かかるついでに内裏に奏すべきことあるなむによりなむ急ぎ上りぬる」    (明石)


おのづから犯した罪とは何か?


これは藤壷と光源氏を近づけてしまった罪であろうか。
それとも、藤壷を桐壺更衣の身代わりにした事であろうか?
桐壺更衣に溺れてしまった事の罪であろうか?


もっと政治的な事かもしれないが、この言葉はとても意味深に感じた。



新々百人一首

2008-04-07 16:59:34 | 日記
丸谷才一さんの「新々百人一首」(上)新潮文庫を友人に貸してもらっているが、
難しくて読むのが大変!


同じ作者の「輝く日の宮」も途中で挫折していますし、
旧仮名遣いの文章が、私にはどうも読みづらい~
丸谷さんのお歳を見ればさもありなんと納得です。


内容はとても良いのですが、
理解するのに頭がついていかないのです。
最近、和歌に興味を持ったばかりですけれど。。
色々と考えこんでしまいます。


掛詞に本歌取り、枕詞・・エトセトラ。
技巧的なのは苦手です。


長年、本を読まずにオバサン化している結果?
だって最近の若いイケメンくんはステキです(笑)
誰が光源氏に良いかしらんと考えるだけでも楽しい♪


この本には、古今集も沢山出てくるけれど、
百人一首さえ全部覚えていないのに、古今集を読むなど夢のまた夢。


まあ、ボチボチとやっていきましょう。



桜・はらはら

2008-04-04 09:33:54 | 日記

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桜が満開近くになってきた。


これから色々な花も咲いてくる。
やはり春の季節は好き♪


桜・はらはらと、忘れられない大切な思い出と言葉。
約束は果たせなかったけれど・・楽しかったね。


どうしてその日に逝ってしまった事がわかったのだろう。
あのピンク色の空を見た時の、
今まで感じた事のない心のふるえは、今も説明できない。


とても幸せで恍惚として・・
天国に行く雲の中から知らせてくれたのかもしれないけれど、
短かいながらも、本当に不思議な縁だったと思う。


出会えて良かったとお互いに思えたから、
きっとまた来世でも会えると思う。


でも、もう少し用事があるから、まだ迎えに来ないでね~



源氏物語の訳の違い

2008-04-02 10:22:10 | その他
丸谷才一さんは<実事あり>という表現をよくされていますが、
源氏物語には結構きわどい場面が多く描かれています。


古典の授業では、桐壺の冒頭文や、「小萩がもと」の場面を学ぶ事が多いのですが、
さっぱりわからないものです。
こういう刺激的な?場面なら、学生もしっかり勉強するかもしれないと思います(笑)


先日の関連本で紹介した文芸春秋社編「源氏物語の京都案内」でも
訳の違いが後ろの方に載っていました。


若菜上で女三宮の所へ泊まったものの、紫の上の夢を見て、
急いで光源氏が戻ってくる場面。


女房達は眠ったふりをして、すぐにも御格子を上げずにいます。
雪の中、源氏はしばらく待ってやっと開けてもらいました。
そして、紫の上の部屋に行きました。


「(源氏)こよなく久しかりつるに、身も凍えにけるは。
おじ聞こゆる心のおろかならぬこそあめれ。さるは、罪もなしや」とて、
御衣(ぞ)引きやりなどし給ふに、
(紫の上)少し濡れたる御単(ひとえ)の袖をひき隠して
うらもなくなつかしきものから、うちとけてはあらぬ御用意など
いとはづかしげにをかし・・略・・
よろづいにしへのことをおぼし出でつつ、とけがたき御けしきを
怨みきこえたまひてその日は暮らしたまひつれば、えわたりたまはず。
・・略・・
今朝は例のように大殿籠り起きさせたまひて ・・  (若菜上)


この場面の「御衣ひきやりなどし給ふに・・」は


<円地源氏>
女君の御夜具をお引きのけになると、涙に濡れた単衣の袖をひき隠して
何のへだてもなくやさしいながらも、
そうそううち解けきってもお見せにならないお心もちいなど、
まことにこちらが恥ずかしくなるほど美しくゆかしい。



<田辺聖子新源氏物語>は、原文にない文章で心理を補っています。


紫の上がかぶっていた衾(ふすま)をそっと取ると
「まあ、冷たいお手」と紫の上はにっこりする。
しかし、源氏がふれた紫の上の単衣の袖こそ冷たい。
それは彼女の涙で濡れていたのではないだろうか。源氏はささやく
「雪のように冷えた。あたためておくれ」
「おかしいわ・・冷えたのはわたくしのほうのはずなのに。ひとりでいて、暖かいと思いになって?」
それを、紫の上はなよやかに、うちとけておかしそうにいう。美しく微笑して。
ひとり寝の床にも身だしなみ良く美しく、いつもの慣れた香をくゆらせて、
恨みもひがみもしないで、ふんわりと源氏を包む。


<とけがたき御けしき>こういうさりげない表現、
源氏物語の良い所だと思います。
他の訳文もありましたが、略します。どうぞこの本を参考に。


<大殿籠る>もいってみればそういう表現なのでしょうか。


源氏物語には日本独特のさりげない感覚表現があると思います。