私はこう思う。私はこう感じる。私は・・・と、私は…で始まり、私は…で終わるところの私の気持ち。
私は由布岳を撮した写真を見て「きれいだな~すてきだな~」と思う。その思いは前からずっと同じだ。でも大きな違いがある。
それは私を取り囲んでいる環境と私自身が一致していることだ。
自然、社会、文化それぞれの環境は私の意に添わないところもあるけれど
それを認めて、受け入れることで環境と私が一致する。去年の2月からそのきざしがみえ始め、今はそれに至っている。
私は今を、そして今に生きている。
境遇とは、その人の置かれた環境や身辺の諸事情、ということだから境遇に従順に生きるってこんなことなんだろうなぁ。
そして置かれた場所で私なりに精一杯咲いていけばいいのだと思うと、この世は虚しくても満ち足りた気持ちになってくる。
私は由布岳を撮した写真を見て「きれいだな~すてきだな~」と思う。その思いは前からずっと同じだ。でも大きな違いがある。
それは私を取り囲んでいる環境と私自身が一致していることだ。
自然、社会、文化それぞれの環境は私の意に添わないところもあるけれど
それを認めて、受け入れることで環境と私が一致する。去年の2月からそのきざしがみえ始め、今はそれに至っている。
私は今を、そして今に生きている。
境遇とは、その人の置かれた環境や身辺の諸事情、ということだから境遇に従順に生きるってこんなことなんだろうなぁ。
そして置かれた場所で私なりに精一杯咲いていけばいいのだと思うと、この世は虚しくても満ち足りた気持ちになってくる。
自然に服従 境遇に従順(森田正馬)
置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)
治癒への道は螺旋階段を昇るようなものなのです(平木英人)
置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)
治癒への道は螺旋階段を昇るようなものなのです(平木英人)
作家の夏樹静子さんが自身の著書「椅子がこわい 私の腰痛放浪記」の中でこう言っている。
「心のドクターはことばを最大の手段として患者を治癒へと導くのであろう。」・・・と。
私も本を読めるようになってから言葉でもの凄く救われてきた。私も血の通った言葉が使えるように自分を磨こうっと(*´罒`*)ニヒヒ
「心のドクターはことばを最大の手段として患者を治癒へと導くのであろう。」・・・と。
私も本を読めるようになってから言葉でもの凄く救われてきた。私も血の通った言葉が使えるように自分を磨こうっと(*´罒`*)ニヒヒ
血の通った思いのこもった自分なりの魂の言葉をみつけていきたいですね
か、亀は おバカ言葉満タンでいまだこころもとないけれど
だってだって好きなんだも~~ん
さ~喜び勇んで掃除するぞ~(う~ん まだちょっと無理があるな~)
言霊 言葉には魂が宿る・・・本当にそんな気がします。
おバカ言葉満タンのなかに切なる言霊が見えますよ。
見えるようになるにはおバカになりきるという
高度なちゃらんぽらん修行が必要ですけどね~なんちゃってヾ(@^▽^@)ノわはは
喜び勇んでか~無理 無理(((‥ )( ‥)))だな~わたし
森田正馬先生の言葉だ~
私も、森田先生のお言葉、『なすべきことをなす。』を呪文のように唱えながら生活していた日々がありました
その言葉に、突き動かされながら、何とか動いていた日々を思い出しました
『なすべきことをなす』と同時に『自然に服従、境遇に従順』ということばも心に刻みたいと思います
学習会に行き始めてまだ一年満たない頃だったと思うけど
こじははさんがそう言っていたと記憶していますよ~(^m^)b
「目的本位」とか「建設的」とか、そう、『なすべきことをなす』ですね。
これもまた、ありのまま あるがまま の姿ですよね(^^)