当初の進路予測より、毎回東に少し移動して関東の近くを動いています。陸上に上陸しないで暖かい海水の上を移動するので、強い気圧が弱くなりません。
このまま海上を移動して台風が無くなる事を期待します。
最大気圧が950hPaで陸地に上陸したら大きな被害が出ていました。
7号の進路が急に西向きにならない事を祈ります。
綾瀬市が管理しいるのは、大上・小園・早川・吉岡・落合・上土棚など、県が設置しているのは市内の蓼川の松山橋・上土棚中6丁目・目久尻川の吉野橋が有ります。下の映像で県映像と一番下が市の映像です。
横浜市は、今日16日午前7時から避難所開設予定と発表。川崎市は15日夜に避難所開設の記事。
川崎市は15日夜に開設の予告を行い。HPに避難所の名前・住所・混雑状況・最大収容人数・現在の避難者数・現在の避難世帯数が確認出来ます。
横須賀市は避難所を開設しました。避難所の名前・住所・混雑状況・最大収容人数・連絡先電話番号。
江戸時代や明治時代、昭和でも日本軍が気象庁の天気予報を国民に隠していた時代は、急に風が強く吹き、雨が急に降りだして、国民はパニックになったと思います。
綾瀬市でも夜中に雨は少し降っていましたが、5時30分を過ぎてから風が強くなりました。
約45年前の思い出。当時は台風の予測が今ほど正確ではない時代でした。大和おやこ劇場の子どもキャンプの責任者で津久井の山奥に2泊3日で中型バス2台でキャンプに向かいました。
出発前の天気予報は台風は別の場所に向かって関東には関係ないとの判断で出発しました。到着した夜半から早朝に天気の異変に気づき、送迎バスの運行を行っているキャンプ場の責任者の方と相談したら、1時間以内にキャンプj場を出発出来るなら送迎バスを出せるとの説明。当時携帯電話はないので公衆電話で親子劇場の事務局にこれから実行委員で相談して態度決めると伝え、大人と中学生の実行委員で話し合い、一部の中学生の反対の意見は出たが責任者の判断で直ぐにバスで引き上げると決定し、各グループには話し合いでなく、台風が津久井地域に向かっているので直ぐにバスに乗車出来るよう指示を要請し、バスの出発準備、事務局に大和に到着予定時間を知らせ保護者の送迎を依頼しました。
慌ただしい時間で山奥の川沿いの道を引き揚げました。数日後、キャンプ場に荷物を忘れた児童の荷物を取りに向かいましたら、護岸のコンクリート擁壁が流され臨時の通路が作られていました。
もしかしたら、少し遅れての引き上げならバス2台が濁流に流されたとの記事になっていたかもしれません。確認しませんでしたが、送迎のバスはキャンプ場には戻れなかったと思います。
新聞報道では孤立した人たちの救助に自衛隊のヘリが活動しました。記憶が正確では有りませんが丹沢の河川で孤立して亡くなられた事件と同じ時期と思います。
責任者は事件が起きたら迷わず直ぐに判断する事が大事と思います。