【コラム】朴槿恵被告釈放問題、文政権に対する無駄な期待
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
「誰も恨まず、国の傷を癒すために」
このコラムは「無駄な期待」だとすぐにお分かりになることだろう。
裁判所の決定は世間に広く伝えられている予測通りになる可能性が高い。
「朴槿恵(パク・クネ)前大統領の拘束は当然、延長されるだろう」というのが大多数の見方だ。
それが正しいだとか、どんな法的根拠をもって言うかとかよりも、「現政権ではそうなるだろう」と黙認しているのだ。
朴槿恵被告の拘束期限は17日午前0時だ。その翌日から「無罪推定の原則」に基づいて未決囚は拘束されずに裁判を受けるのが普通だ。
だが、世間の人々は現実と原則が違うことを知っていて、現実を受け入れる姿勢が常にできている。
検察がロッテやSKからの収賄関連容疑で朴槿恵被告の拘束令状追加発行を要求した時も、「世の中が変わったから検察はそういうことをするんだろう」と受け入れた。
この事案が刑法の大原則に背いてまで同被告に拘束令状を追加発行しなければならないほどのものかどうかを、世間の人々はもはや問わない。
「法廷で既に一通り審理を終えており、公判の過程で新たに出た容疑もない」と言っても無頓着だ。
検察が拘束延長の理由として犯罪の重大さ、脱走および証拠隠滅、裁判を遅延させる可能性を挙げたのも陳腐だが、どうしようもない。
これは今年4月に朴槿恵被告を拘束するかどうかをめぐり、既に一騒ぎあったことだ。
ソウル市江南区三成洞の自宅で報道陣にほぼ包囲されていた朴槿恵被告が逃走する確率はゼロに近い。
検察で言う証拠は既にすべてそろっており、その内容はほとんどが伝えられている。
対人関係を公表せずに問題になった同被告は、人々を呼び集めて証拠隠滅をするタイプでもない。
法理だけで考えれば、朴槿恵被告の身柄に関する決定はそれほど難しくないだろう。
今、裁判所が悩んでいるのは、法理以外の問題に違いない。
拘束延長と釈放、どちらの決定の方が比較的後遺症が少ないか考えているのだろう。
このまま拘束状態を延長し、週に4回の公判を行えば、すべてが順調に行く。
「現政権ではそうなるだろう」と世間の人々が予測した通りだ。今年の末か来年の初めには、一審判決が可能になる。その後、法に定められている期限に基づいて、二審・三審を経て「朴槿恵問題」を獄中で締めくくればいい。
現政権で朴槿恵被告を釈放するのは「リスク」が大きすぎる。
最近、裁判所前に数百人の「太極旗群衆」(朴槿恵支持派)が繰り出しているが、もし同被告を釈放すれば、「ろうそく群衆」(朴槿恵反対派)が再集結する公算が高い。
司法は「積弊(長年の弊害)勢力」のように責め立てられ、司法改革の世論に油を注ぐ形になるだろう。
担当判事はインターネット上の悪質な書き込みや個人情報暴露の対象となり、おそらく昼間でも街を歩けなくなる。このような個人的な問題も心配になってしまう。
一方、報道陣は釈放された朴槿恵被告をつけ回すだろうし、同被告の自宅前には支持者が陣取るだろう。
支持者たちは拘束期限満了で釈放されたことを「無罪」と言い換えて勢力を再結集させるかもしれない。
現政権の正統性に疑問を投げ掛け続けるのだ。検察が懸念している通り、朴槿恵被告が公判に出て来なくなる恐れもある。
裁判は伸びて強制拘引手続きを踏まなければならなくなるかもしれない。
さらに、前大統領の警護問題も発生する。まかり間違えば、1年前の政局混乱状態に戻りかねない。
裁判官も人間だから、さまざまな状況を考えざるを得ない。だからこそ悩みが深いのだ。
しかし、それは法の外的要素だ。裁判官はそこまで考える必要はなく、そのような権限も与えられていない。
そういう悩みや世論の顔色をうかがうのは、政治家やメディアなどで十分だ。
裁判官が法の外的要因を考えれば、その瞬間、自身も気付かないうちに、いわゆる「政治判事」になるのだ。それぞれの裁判官が法の原則を貫くために悩み、そのような政治的考慮をしなくなれば、司法全体の独立が徐々に成り立っていくことだろう。
「朴槿恵問題」は裁判所の当面の課題だが、根本的に解決するには文在寅(ムン・ジェイン)大統領が立ち上がらなければならない。
文大統領が統合を打ち出しているというなら、「敗軍の将」に対する最低限の礼儀をまず見せるべきだ。
自身の支持者を説得して、傷ついた相手側の支持者を落ち着かせなければならない。大統領は国を将来どれだけ前進させるかで評価されるものであって、過去とどれだけ闘ったかでは評価されない。
文大統領は、口では統合を叫びながら、行動では分裂を助長している。
国内では相手側への恨みと呪いがコンクリートの壁のように固く築かれている。
なぜ大統領として成功できる道をあえて避けて通るのか理解に苦しむ。