2017-10-24 05:00:00
勝又壽良の経済時評
日々、内外のニュースに接していると、いろいろの感想や疑問が湧きます。それらについて、私なりの答えを探すべく、このブログを開きます。私は経済記者を30年、大学教授を16年勤めました。第一線記者と研究者の経験を生かし、内外の経済情報を立体的に分析します。
韓国、「政治裁判」朴槿恵前大統領は文政権の思惑で裁かれる?
弁護団が全員辞退
政府が裁判へ圧力
韓国は不幸な国である。歴代大統領やその親族が法廷に立たされるのだ。
今また、前大統領の朴槿恵(パク・クネ)氏が被告席に座らされている。
その裏に疑わしき点があるとしても、現政権が陰に陽に動いて、前政権を告発して罪人に陥れようとする姿は異常である。
NHK・TVで放送された韓国ドラマ「イ・サン」は、朝鮮王朝時代の権力闘争を現代に伝える貴重なものだ。
これを連想させる形で、朴槿恵前大統領は40億円の収賄容疑をかけられているが、具体的な証拠はないのだ。
地裁は、贈賄側とされたサムスン電子の李副会長への判決で、「具体的な請託の証拠はないが、心で通じていたはず」という無茶苦茶な理屈で「懲役5年」を言い渡した。まさに、暗黒裁判である。
この程度、と言っては叱られるが、感情論優先の判決である。
怒り狂う国民を納得させるには、「懲役5年」が必要という大雑把な判決としか言いようがない。
韓国は、「感情8割、理性2割」の国である。理性的に考えればあり得ないことが、感情論で進められる国である。
「反日」も「慰安婦問題」も全ての原点は、感情論から出発している。
日本の植民地にされたことが悔しい。ただ、その理由だけでこの70年余が過ぎてきた。
日本の謝罪の仕方が気にくわない。
安倍首相は、韓国へ来て心から謝罪しない限り許さない。こういう心情である。
韓国は、「謝罪」という言葉を好む。
今回の朴氏が法廷で初めて、後述のように自己の考えを表明した。
その中に、国民への謝罪がなかったことを理由に、非難囂々(ひなんごうごう)である。
「罪人」として法廷に立たされているのだから、謝罪して罪を認めるべきだというのが理由である。
朴槿恵氏は、裁判で身の潔白を主張している以上、謝罪などあり得ないはずだ。
そういう事情も考えずに騒ぎ立てている。
司法が、すでにこういう国民感情を判決に取り入れる点で、典型的なポピュリズム裁判に陥っている。一種の「リンチ」でもあろう。
弁護団が全員辞退
『中央日報』(10月16日付)は、「拘束延長された朴槿恵氏、『裁判所に対する信頼ない』、弁護団全員辞退へ」と題して、次のように伝えた。
この記事は、朴氏が初めて法廷で自らの考えを文書にして述べたものだ。
昨日まで元首として君臨した人物が、手錠をはめられ廷吏に促されて入廷する姿は見るに忍びない。
人生の哀感が凝縮されたシーンで、思わず目をそらすほどだ。
私は一貫して、朴氏に収賄する合理的な理由がないことを指摘し続けている。
家族もいない朴氏が、日本円で40億円も懐に入れる根拠がないのだ。
私生活はいたって質素である。
古い腕時計。流行遅れのバッグ。ボロボロになったソファー。
古びたテレビと冷蔵庫。これが、自宅に残されていた朴槿恵前大統領の家財道具である。
韓国では歴代大統領が、財閥企業から寄付金を集めて公益事業する慣例であった。
朴氏もそれに倣って二つの財団をつくらせた。
だが、40年来の友人である崔順実被告にそれを悪用されて、立件化されたものである。
主犯は、崔被告である。他の関係者は全て被害者という構図だが、文政権はこれを政治的に利用していることは明白である。
与党の「共に民主党」はこの際、保守党の信頼感を徹底的にたたき落とし、文政権後も革新政権が続くように二代にわたる大統領候補者すら決めているという。
こうなると、「悪役」はどちらかという話になる。
これを見透かして検察も司法も手助けして、自らの立身出世につなげようという魂胆が見え見えである。
韓国は、こういう国である。だから、大統領退任後に必ずスキャンダルが持ち上がるのだ。
朴槿恵被告の拘束期限は10月17日午前0時である。
その翌日から「無罪推定の原則」に基づいて未決囚は拘束されずに裁判を受けるのが普通である。
ところが、検察と地裁はこの法規を破って、さらに6ヶ月の勾留を続けると決定した。
理由は、逃亡や証拠隠滅などを挙げているが、法に則って捜査できなかった検察に責任がある。
それを棚上げして、朴槿恵被告を勾留するのは違法である。
その違法な決定を地裁が認めたのだ。
私が指摘するように、文政権の意向を受けて検察と地裁がグルになった、と見るほかない。
これこそ、一大スキャンダルである。韓国に正義の士はいないのか。
(1)「朴槿恵前大統領が追加拘束の後、初めて開かれた自身の裁判で直接心境を明らかにした。
ソウル中央地方裁判所審理で16日開かれた裁判初めに朴前大統領は直接準備してきた文章を読み上げた。
朴前大統領が口を開いたのは5月裁判開始後初めてだ。
朴前大統領は、『拘束と弾劾までの6カ月はみじめでみじめな時間だった』とし、『私を信じて国家のために献身した公職者らと企業家が被告人に転落し、裁判を受けることを見るのは耐え難い苦痛』と話した」
朴大統領の心情は、痛いほどよく分かる。
関係者がすべと獄窓につながれたからだ。自身も厳しい状況に置かれている。
韓国紙の報道では、刑務所で『徳川家康』を読んでいるという。
初めの頃は、中国語などのテキストを見て過ごしていたようだ。
今、『徳川家康』を読んでいる理由は、大方の見当がつく。
「七転び八起き」の家康の人生と同様に、汚名を雪いでやるという強い決心であろう。これが、今回の「陳述書」の背後に込められていると想像する。
(2)「朴前大統領は、自身の容疑に対して否定する立場を再度強調した。
『個人的な絆のために大統領の権限を乱用した事実がないという真実は必ず明らかになると信じている』とし、『ロッテ・SKだけでなく、在任期間中に誰からも不正な請託を受けたり聞き入れたりしたことがない』と主張した。
特に、共犯である崔順実(チェ・スンシル)被告を狙ったかのように、『一人に対する信頼が想像すらできない裏切りに戻ってきた。
これによって私はすべての名誉と人生を失った』と訴えた。
さらなる拘束令状の発給結果について、『検察が6カ月間捜査して裁判所が6カ月裁判をしたのに再び拘束裁判が必要だという判断を受け入れ難い』と反発した」
朴槿恵氏は、20代に父母を凶弾で失うという悲痛な経験をしている。
それ故、極端に人見知りする性格になったようである。その中で、唯一の親友が崔被告である。
信仰的なつながりもあったから、彼女を信頼しすぎたのであろう。
父大統領の元部下で後に大統領になった人たちは、崔に接近しないように警告していたという。
それを聞き入れなかった朴氏に、「人を見る目がなかった」という批判の矢が飛ぶのは致し方ない。孤独ゆえに陥った穴である。
今再び、朴氏は文政権と検察・司法の連合軍に取り囲まれている。
6ヶ月の勾留追加という措置である。
地裁が毅然として拒否すれば良いはずだが、検察の言い分をそのまま飲んでしまった。
朴氏は、こういう違法措置に戦う意志を示した。
具体的には、後のパラグラフで明確にされているように弁護士の一斉辞任である。
新たな弁護士を雇い入れれば、約12万ページとされる膨大な捜査資料と裁判記録を読み込まなければならない。
裁判遅延は必至だ。
これに伴い、朴氏の勾留期間も延びるがそれにも構わず、「法廷闘争」に打って出たと言える。
『徳川家康』の逆境に学ぶ姿勢であろうか。
(3)「朴前大統領は、自身の弁護団が辞任の意思を明らかにしたという事実を伝え、
『弁護人はもちろん、私も無力感を感じざるを得なかった』として、
『もう政治的外圧や世論の圧力にもひたすら憲法と良心に従って裁くという裁判所に対する信頼がこれ以上意味がないという結論を下した』と話した。
また『今後の裁判は裁判所の意思に任せたい。
さらに重くて厳しい過程を体験しなければならないかもしれないが、あきらめない』と付け加えた。
朴前大統領は、『政治報復は私で終わってほしい。
重荷は私が負っていくからすべての公職者と企業家には寛容が施されることを望む』と話を終えた。表情はかたく声は落ち着いていた」
弁護士が辞任すれば、弁護活動は最初からやり直しになる。
これによって、朴氏の苦痛は続くがそれは、検察と地裁の不手際を浮かび上がらせる。
「裁判の勾留は6ヶ月間」という規定を破ったのは地検と地裁であるからだ。
朴氏は最後に、「政治報復は私で終わってほしい。
重荷は私が負っていくからすべての公職者と企業家には寛容が施されることを望む」と言って陳述を終えた。
これは、「元大統領」としての威厳を守る言葉と思うが、最高裁判所まで戦うという決意表明でもあろう。
今回の贈収賄事件のように当事者が三人いる事
件は、証拠がない限り、無罪になっている。
朴氏はそれを知っているから、無罪への確信があるに違いない。
朴氏に「犯意」があったとすれば、ここまで強気に立ち向かうこともあるまい。
強気の裏には、暗殺された父大統領の朴正熙の名誉を守るという固い意志が感じられる。
父は韓国経済で軌跡の復興を成し遂げた。
その娘の槿恵が、贈賄罪に問われて「犯罪人」となったのでは、父の顔に泥を塗るに等しい。
何としても、汚名を雪がなければならない。こんな思いが去来したのであろうか。
(4)「柳弁護士は、裁判所に弁護士辞退の弁を明らかにした。
彼は『憲法と刑事訴訟法が規定した無罪の推定と不拘束裁判という刑事法の大原則が無力に崩れる現実を目の当たりにしながら、
これ以上今後の裁判手続きに関与するいかなる正当性も感じることができなかった』とし、
『すべての弁論が無意味だという考えで全員辞任することに決めた』と話した。
また『弁護団はこの汚くて殺気に満ちた法廷に被告人を一人で残して離れる』とし、『見せ掛けという非難もあるだろうと考えられるが、これに対する非難は私たちが受けたい』と話した」
今回、朴氏について地裁の下した勾留延長決定は、将来の上訴審で違法という判決が下されることもありうる。
それは、無罪の推定と不拘束裁判という刑事法に触れるからだ。
「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則である。
つまり、6ヶ月過ぎたら勾留してはならない規則があるのだ。
弁護団は、無罪の可能性に期待を掛けて弁護士辞任を決めたのでないか。
裁判は、形式が重視されるもの。
素人には、「些細なこと」と思われる決定が、裁判全体の信憑性に大きな影響を与える場合があるからだ。
文大統領は弁護士である。そういう手続の瑕疵が、判決に大きな影響を与える実例を知らないのだろうか。
現在は、「朴憎し」で凝り固まっているが、いずれそのブーメランに襲われるであろう。
政府が裁判に圧力
『朝鮮日報』(10月17日付)は、社説で「法を無視、最悪に向かう朴槿恵裁判」と題して、次のように論じた。
この社説によれは、今回の裁判は「政治裁判」であるという印象がさらに深まる。
政府が、罪名とか勾留延長に向けて圧力を掛けた気配が濃厚であるからだ。
こうした一連の文政権による裁判介入について、次のような警告もされている。
「現在、朴前大統領を逮捕勾留しているが、5年後は文在寅氏に司法の手が及ぶ」というもの。
政権が変わるごとに報復合戦を繰り返している無益を悟れ、ということである。
文大統領もほどほどにしないと、次は自分が狙われる番になろう。
(5)「韓国前大統領の朴槿恵被告は16日、裁判所が自らの拘束期間を延長したことと、この裁判そのものに対する心境を初めて法廷で直接語った。
朴被告は『時の政権の影響や世論の圧力をはねのけ、憲法と良心に従って判断を下すはずという裁判所への信頼は、もはや意味がないとの結論に達した』と述べ、
その上で『自らに対する拘束と裁判は政治報復であり、今後の裁判における判断も認めない』との考えを明らかにした」
朴槿恵大統領の前任は、同じ保守党の李明博氏である。
同じ保守派であることから、朴大統領は、「政治報復」裁判を行なう必要もなかった。
だが、今回は進歩派の政党ゆえ、対立関係にある。
文政権が「積弊一掃」の合い言葉で、今回の裁判を狙い撃ちしている。党派は違っても、同じ韓国人同士だ。
それにも関わらず、血で血を洗う抗争を繰り広げている。無益この上ない。
(6)「今になって朴被告が、自らの心境を口にしたことにもそれなりの理由がある。
刑事訴訟法が一審の拘束裁判の期限を定めている理由は、判決が出る前に拘束期間が長引くことで、被告の身体的自由をいたずらに侵害しないためだ。
それまでに裁判を終わらせることができなければ、被告は釈放しなければならないのだ。
ところが検察と裁判所は自分たちに都合が良いように拘束期間を延長してきた。
今回の事件でも朴被告だけでなく、被告人の多くが次々と拘束期間を勝手に延長された」
この規定に従えば、朴氏は釈放されて当然である。
検察と裁判所は、自分たちに都合が良いように拘束期間を延長してきたことは「違法」である。
(7)「朴被告の拘束期間延長が決まった理由も、法に基づく判断ではなく、釈放した場合に予想される問題を事前に防ぐための政治的判断という側面が強い。
またこれに先立ち裁判所はサムスン電子副会長の李在鎔(イ・ジェヨン)被告に対する一審判決で
『朴前大統領に対する具体的な請託はなかった』としながらも『心の中で請託を行った』として懲役5年の実刑を宣告した。
裁判所がこのような判断を下しているようでは『政治裁判』との指摘を受けるのも当然と言わざるを得ない」
今回の事件が「政治報復=政治裁判」とされるのは、検察と地裁が「グル」になっていると思わせる判決をくだしていることだ。
サムスン電子の李在鎔被告に対しては、「朴前大統領に対する具体的な請託はなかった」としながら、「心の中で請託を行った」として懲役5年の実刑を宣告した。
「心の中で請託を行った」ことを、裁判所はどうやって認定したのか。
これでは、控訴審で負ける公算が強い。韓国司法の低レベルを象徴する話だ。
この程度の司法が、「慰安婦問題」の判決を出している。その結果が、「反日」を煽ってきた。呆れて物も言えない心境である。
(8)「実は、今回の事件に特別複雑な問題はなく、最終的には朴前大統領が崔順実被告のため企業に何らかの支援を強要したのかというその一点だけだ。
もちろん、この事件の本質について『強要』あるいは『恐喝』とする見方も多い。
しかし、検察と特別検事はこれを無理やり『贈収賄』として起訴し、政府もこの裁判について『贈収賄で有罪判決を出すこと』を政権の第一の課題としている。
言うまでもなく『強要』よりも『贈収賄』の方が罪は重いからだ。大統領府もこの裁判を『世論の戦い』と認識していることが分かる」
政府が、検察に介入しているのは極めて問題である。
「贈収賄」事件に仕立てるように、検察へ圧力を掛けたというのだ。
だが、この「贈収賄」は当事者が3人いる場合、立証が難しいと言うのが定説である。
すなわち、サムスン電子の李在鎔被告→崔順実被告→朴槿恵被告の3人の供述と証拠が揃わない限り、罪に問えないのだ。結局、最高裁では無罪になった判例がある。
(9)「裁判が政治問題化すれば、法律とはさらに関係がなくなる。このままでは今後、裁判所がいかなる判断を下したとしても、それによって対立や混乱は収まるどころか、さらに拡大していくだろう。
そうならないようにするには、まず裁判官以外の関係者は一斉にこの裁判から手を引かねばならない。
それを最初に行うべき立場にあるのが権力を持つ側であることは言うまでもない」
文在寅氏は、表面的に腰が低いし好印象を与える。裏に回れば、やっぱり政治家だ。
権力の亡者となっている。今は「勝者」だが、いつ逆転して「敗者」に転落するか分からない。
それが、韓国政界の習わしである。あまりに調子に乗っていると、思わざるところで「落馬」する。
北朝鮮リスクを抱えて、すでに「当事者能力」を欠いた状態である。
いつ、国民から弾劾請求が出されるか分からない政治情勢である。ゆめゆめ、油断しないことだ。
(2017年10月24日)