5つ星のうち5.0
「サービス」は無料ではない2019年2月10日
形式: 単行本(ソフトカバー)Amazonで購入
シンシアリー氏は、日本に住んで2年余りになる。
日本のスーパーで、韓国では見たことがない「牛脂」を手に入れ、ブログに「無料だった」と書いたところ、「それは無料ではなく、サービスです」との指摘があったという。
その時「サービスと無料は同じ意味じゃないな」と気付いたという。
韓国の姉に話すと、姉は「そんなの韓国で店においたら、一瞬でなくなるよ」と答えたという。
韓国人は当たり前のようにたくさん持っていく。
日本人が韓国人と知り合いになって、「日本人と(悪い意味で)違うな」と実感するのは、このパターンだという。
シンシアリー氏の母親は、料理の出前や家電製品の修理に来た人にも飲み物を出し、感激された。
そして
「あの人が来てくれなかったら、私たちが店まで行かないとダメでしょう。有り難いことだと思わないといけない」と言った。
これは、「サービスを無料だと思うようになってはいけない(有り難いとする気持ちをなくしてはいけない)」ということだろう。
韓国ではサービスに対し、その「有り難い」が存在しない。
韓国社会では「ドム(おまけ)」と「エヌリ(値引き)」をあって当然と考えている。
だから、ドムやエヌリが得られなかった場合、「当然もらうべき私の権利がもらえなかった」と考え、店を「加害者」、自分を「被害者」と決めつける。
韓国でフランチャイズ契約の店が急速に増えた理由は、「本社が決めた価格ですので」と言えば済むからだという。
フランチャイズ契約できなかった小さな食堂などは、値引きに応じないかわり、
「おかずは無料」という路線を取ったが、それにより前の客が残したものを再利用する店が増えた。サービスの概念が崩れると、結局は双方(店も客も)が被害を受けるのである。
「併合時代」に生まれた韓国の作家イ・ギュテ氏は1992年の著書で、物を買うときに気を付けるべきは「Reasonable」で「納得できる」ものであるべきと述べている。
物の性能、使用期限、外見が納得でき、価格が必要以上に高くも安くもなく、買う人から見て納得できるだけでなく、売る人の立場からも納得できる、すなわちちゃんとした利益が残せるバランスこそが「納得できる」ものであり、そういうものに最も購買欲が湧くべきだというのである。
店と客、両方が勝者になれる関係であり、先の残飯の話と真逆の概念である。
またイ・ギュテ氏は1992年の時点で、「時間」も「知識」もタダだと思ってはならないと指摘しているが、今でも韓国社会はそれをタダだと思っている。
シンシアリー氏は、この点、「韓国人の値引き好きは他人との共生の邪魔になる」との考察と部分的に合致している気もすると述べている。
サービスの概念を理解する国は、人の平等(=私たちは持ちつ持たれつ)を理解している社会であり、韓国はそれができないのである。
韓国人は「自分」を基準にして、自分側とそれ以外を極端に分けて考える悪い癖がある。自分側に向けるのが「ウリ(私たち、仲間たち)、被害者、権利、情、道徳(正義や配慮なども含む)」であり、それ以外に向けるのが「ナム(他人、ウリ以外の人)、加害者、義務、恨、法律」である。
「恨」は、韓国人特有のいつまでも消えない恨みや憎しみのことで、
「私の正当な権利を不当な方法を使った誰かに奪われた」とする考え方で、
自分を「被害者」とし、自分の責任を全消しし、そのための明確な「加害者」を作り出す。
基本的にウリ以外の人達に向けられる。
「情」は反対に、ウリの中の人達に向けられる。
ウリの人はウリの道徳(情)で解決すべきで、法律など二の次。
情(ウリの正しい道徳)が法律(外側の不当な規則)より上なのである。
韓国の「儒教思想」では、万物には生まれつき貴賤があり、「貴」なるものは正しく、上位の存在。「賎」なるものは不正で、下位の存在で、それらの上下関係に逆らってはいけないとする側面がある。
韓国人にとって「公」とは、ナム(他人)の集まりで、ウリとは無縁の領域、下の領域、法律の領域、加害者の領域である。
だから、韓国人は、公から奪おうとする。
有り難いとは思わない。
公にあるものを「タダで取る」のは、私の正当なる権利である。それが韓国人の道徳的に正しい形である。
韓国人が「サービス」の概念を理解できないのは、公の概念を理解できないのと同じく、世の中を上下関係でしか見ていないからである。
サービスが、法律が、公(他人と共に生きること)が、「平等な関係」を必要とするというとても単純な心理が欠けているのである。
「
Reasonable」を理解すること、出前をしてくれる人への有り難さを理解すること、サービスは無料ではないと理解すること、それらはすべて上下関係ではなく、人の「平等」を理解することである。
「有り難い」を忘れない限り、そこには平等が存在できる。それが公で、サービスで、ウィンウィンなのである。
「韓国の病気が治せる薬」とは、「平等の概念」だと、シンシアリー氏は言う。
日本は、「和」という名のもと、人の平等を考える国であり、それは誇るべき日本と日本人の品格だと述べている。
儒教は人を不幸にする教えだと、改めて感じた。まだ第一章しか読んでいないが、十分堪能できた。
追記:このレビューは、投稿してから46時間後にやっと掲載された。昨年の6月にも丸2日たってやっと掲載されたケースがあり、Amazon に問い合わせたが、納得できる返答はなかった。
別記事
今回はお金と品格に関する話と聞き早々に購入しました。
前作《人を楽にしてくれる国》でも感じましたが、日本人が気付いていない様な美徳を発見しては、それを感動的に語って下さるので心が浄化されると同時に反省する事が多く恥じ入る事多しです。
今私は遺産分割の協議が進まず悩んでいます。
正に人間関係とお金です。
韓国の親子間での契約に関する話は読んでいて本当に胸が痛くなりました。
自分のお金、人のお金をどう扱うか間違えれば本当に地獄に一直線です。
美しいお金の使い方をしましょう。そう言える生き方が出来れば貴方だけでなく周りの悩みも減ると思います。
別記事
5つ星のうち5.0
“疲れる”韓国社会を“癒やす”ためには!!2019年2月23日
形式: Kindle版Amazonで購入
韓国で“言葉の品格”、“言葉の温度”と共に100万部超えのイ・ギシュ(李起周)著のベストセラーはご存じかと思う。
当の著者は“人の品格”を意識して今回の著作に挑んでいます。
“人の品格”を最も知るには、“お金”=“価値のあるもの”であり、何より韓国といえば儒教思想に基づく”上下関係”の規律を重んじるお国柄である。
そのためか、日本の人々の認識からすると“道徳”、“公正”、“平等”という韓国の人々の捉え方には驚かされることも。
たとえば、韓国の社会では知人が“情”でお金を貸すことが多い。
そのため貸付時は貸す側が上に立つが返済時には返す側が上に立つということが起きる。
“情”=“対価”なのである。
また、“道徳”性の回復は、“条件”をきちんと整えた状態に戻すこと。
なので、条件がきちんとしていれば“競争”で負けたとしても“公正”との評価を受ける
ことになる。このことを韓国の人々が“正常”と認識していることである。
つまり、突き詰めると、条件≠“平等”であっても“公正”=“平等”は成り立ちうるので
ある。
でも、裏を返せば、日本のように”平和ボケ“はできない勤勉な”競争社会”でもある。
地政学としても大陸続きの半島に位置し、歴史的にもとにかく”平和ボケ”はできない。
そんな状況を“憂い”、著者は日本での暮らしを引き合いにだします。
そう、ある日本旅行中のことだ。車両広告が目にとまり心を打たれたという。
”あなたが好きなことが誰かには嫌いなことかも知れません”。タバコに関するマナー
であろうが、それ以上のものを受け取っている。
著者が心うたれる“普通”=和の境界線、親日か反日かを容易にわけない価値観の尊重、
い”も尊重の一つだという。
真の尊重は、“自然な共感”をもつことだという。全くの同感である。殊に、“有り難い”
をもって”公”をなす日本。
”有がたい”=和であり、公=”貴い”といえる。
”有がたい”が指向できれば、”和”という
名のもとに人の”平等”を考えられる国になって欲しい。
人の”平等”とは、何より”貴い”ものなのだ。
ウィン・ウィンの関係を一人でも多くの韓国の人々のために!!
日本の人々からの“メッセージ”でもある。
「サービス」は無料ではない2019年2月10日
形式: 単行本(ソフトカバー)Amazonで購入
シンシアリー氏は、日本に住んで2年余りになる。
日本のスーパーで、韓国では見たことがない「牛脂」を手に入れ、ブログに「無料だった」と書いたところ、「それは無料ではなく、サービスです」との指摘があったという。
その時「サービスと無料は同じ意味じゃないな」と気付いたという。
韓国の姉に話すと、姉は「そんなの韓国で店においたら、一瞬でなくなるよ」と答えたという。
韓国人は当たり前のようにたくさん持っていく。
日本人が韓国人と知り合いになって、「日本人と(悪い意味で)違うな」と実感するのは、このパターンだという。
シンシアリー氏の母親は、料理の出前や家電製品の修理に来た人にも飲み物を出し、感激された。
そして
「あの人が来てくれなかったら、私たちが店まで行かないとダメでしょう。有り難いことだと思わないといけない」と言った。
これは、「サービスを無料だと思うようになってはいけない(有り難いとする気持ちをなくしてはいけない)」ということだろう。
韓国ではサービスに対し、その「有り難い」が存在しない。
韓国社会では「ドム(おまけ)」と「エヌリ(値引き)」をあって当然と考えている。
だから、ドムやエヌリが得られなかった場合、「当然もらうべき私の権利がもらえなかった」と考え、店を「加害者」、自分を「被害者」と決めつける。
韓国でフランチャイズ契約の店が急速に増えた理由は、「本社が決めた価格ですので」と言えば済むからだという。
フランチャイズ契約できなかった小さな食堂などは、値引きに応じないかわり、
「おかずは無料」という路線を取ったが、それにより前の客が残したものを再利用する店が増えた。サービスの概念が崩れると、結局は双方(店も客も)が被害を受けるのである。
「併合時代」に生まれた韓国の作家イ・ギュテ氏は1992年の著書で、物を買うときに気を付けるべきは「Reasonable」で「納得できる」ものであるべきと述べている。
物の性能、使用期限、外見が納得でき、価格が必要以上に高くも安くもなく、買う人から見て納得できるだけでなく、売る人の立場からも納得できる、すなわちちゃんとした利益が残せるバランスこそが「納得できる」ものであり、そういうものに最も購買欲が湧くべきだというのである。
店と客、両方が勝者になれる関係であり、先の残飯の話と真逆の概念である。
またイ・ギュテ氏は1992年の時点で、「時間」も「知識」もタダだと思ってはならないと指摘しているが、今でも韓国社会はそれをタダだと思っている。
シンシアリー氏は、この点、「韓国人の値引き好きは他人との共生の邪魔になる」との考察と部分的に合致している気もすると述べている。
サービスの概念を理解する国は、人の平等(=私たちは持ちつ持たれつ)を理解している社会であり、韓国はそれができないのである。
韓国人は「自分」を基準にして、自分側とそれ以外を極端に分けて考える悪い癖がある。自分側に向けるのが「ウリ(私たち、仲間たち)、被害者、権利、情、道徳(正義や配慮なども含む)」であり、それ以外に向けるのが「ナム(他人、ウリ以外の人)、加害者、義務、恨、法律」である。
「恨」は、韓国人特有のいつまでも消えない恨みや憎しみのことで、
「私の正当な権利を不当な方法を使った誰かに奪われた」とする考え方で、
自分を「被害者」とし、自分の責任を全消しし、そのための明確な「加害者」を作り出す。
基本的にウリ以外の人達に向けられる。
「情」は反対に、ウリの中の人達に向けられる。
ウリの人はウリの道徳(情)で解決すべきで、法律など二の次。
情(ウリの正しい道徳)が法律(外側の不当な規則)より上なのである。
韓国の「儒教思想」では、万物には生まれつき貴賤があり、「貴」なるものは正しく、上位の存在。「賎」なるものは不正で、下位の存在で、それらの上下関係に逆らってはいけないとする側面がある。
韓国人にとって「公」とは、ナム(他人)の集まりで、ウリとは無縁の領域、下の領域、法律の領域、加害者の領域である。
だから、韓国人は、公から奪おうとする。
有り難いとは思わない。
公にあるものを「タダで取る」のは、私の正当なる権利である。それが韓国人の道徳的に正しい形である。
韓国人が「サービス」の概念を理解できないのは、公の概念を理解できないのと同じく、世の中を上下関係でしか見ていないからである。
サービスが、法律が、公(他人と共に生きること)が、「平等な関係」を必要とするというとても単純な心理が欠けているのである。
「
Reasonable」を理解すること、出前をしてくれる人への有り難さを理解すること、サービスは無料ではないと理解すること、それらはすべて上下関係ではなく、人の「平等」を理解することである。
「有り難い」を忘れない限り、そこには平等が存在できる。それが公で、サービスで、ウィンウィンなのである。
「韓国の病気が治せる薬」とは、「平等の概念」だと、シンシアリー氏は言う。
日本は、「和」という名のもと、人の平等を考える国であり、それは誇るべき日本と日本人の品格だと述べている。
儒教は人を不幸にする教えだと、改めて感じた。まだ第一章しか読んでいないが、十分堪能できた。
追記:このレビューは、投稿してから46時間後にやっと掲載された。昨年の6月にも丸2日たってやっと掲載されたケースがあり、Amazon に問い合わせたが、納得できる返答はなかった。
別記事
今回はお金と品格に関する話と聞き早々に購入しました。
前作《人を楽にしてくれる国》でも感じましたが、日本人が気付いていない様な美徳を発見しては、それを感動的に語って下さるので心が浄化されると同時に反省する事が多く恥じ入る事多しです。
今私は遺産分割の協議が進まず悩んでいます。
正に人間関係とお金です。
韓国の親子間での契約に関する話は読んでいて本当に胸が痛くなりました。
自分のお金、人のお金をどう扱うか間違えれば本当に地獄に一直線です。
美しいお金の使い方をしましょう。そう言える生き方が出来れば貴方だけでなく周りの悩みも減ると思います。
別記事
5つ星のうち5.0
“疲れる”韓国社会を“癒やす”ためには!!2019年2月23日
形式: Kindle版Amazonで購入
韓国で“言葉の品格”、“言葉の温度”と共に100万部超えのイ・ギシュ(李起周)著のベストセラーはご存じかと思う。
当の著者は“人の品格”を意識して今回の著作に挑んでいます。
“人の品格”を最も知るには、“お金”=“価値のあるもの”であり、何より韓国といえば儒教思想に基づく”上下関係”の規律を重んじるお国柄である。
そのためか、日本の人々の認識からすると“道徳”、“公正”、“平等”という韓国の人々の捉え方には驚かされることも。
たとえば、韓国の社会では知人が“情”でお金を貸すことが多い。
そのため貸付時は貸す側が上に立つが返済時には返す側が上に立つということが起きる。
“情”=“対価”なのである。
また、“道徳”性の回復は、“条件”をきちんと整えた状態に戻すこと。
なので、条件がきちんとしていれば“競争”で負けたとしても“公正”との評価を受ける
ことになる。このことを韓国の人々が“正常”と認識していることである。
つまり、突き詰めると、条件≠“平等”であっても“公正”=“平等”は成り立ちうるので
ある。
でも、裏を返せば、日本のように”平和ボケ“はできない勤勉な”競争社会”でもある。
地政学としても大陸続きの半島に位置し、歴史的にもとにかく”平和ボケ”はできない。
そんな状況を“憂い”、著者は日本での暮らしを引き合いにだします。
そう、ある日本旅行中のことだ。車両広告が目にとまり心を打たれたという。
”あなたが好きなことが誰かには嫌いなことかも知れません”。タバコに関するマナー
であろうが、それ以上のものを受け取っている。
著者が心うたれる“普通”=和の境界線、親日か反日かを容易にわけない価値観の尊重、
い”も尊重の一つだという。
真の尊重は、“自然な共感”をもつことだという。全くの同感である。殊に、“有り難い”
をもって”公”をなす日本。
”有がたい”=和であり、公=”貴い”といえる。
”有がたい”が指向できれば、”和”という
名のもとに人の”平等”を考えられる国になって欲しい。
人の”平等”とは、何より”貴い”ものなのだ。
ウィン・ウィンの関係を一人でも多くの韓国の人々のために!!
日本の人々からの“メッセージ”でもある。