カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

北朝鮮の醜聞 06

2015年08月19日 05時22分21秒 | アジア

もう論外だ、と見放した人が多いと思われる朝鮮民主主義人民共和国。

「民主主義」とか「人民」などがまったくない国に限って、国名に「民主主義」とか「人民」がつく矛盾。


中止しなければ「軍事行動」=韓国心理戦に警告―北朝鮮

 【ソウル時事】朝鮮中央通信によると、北朝鮮軍前線司令部は15日、韓国軍が南北軍事境界線付近で再開した放送による心理戦の中止を要求し、「応じなければ、心理戦の手段を焦土化(破壊)するための軍事行動を全面的に開始する」と警告した。

 司令部は「心理戦放送は、われわれに宣戦布告する直接的な挑発行為だ」と決め付けた。

 韓国軍は10日、北朝鮮軍の地雷で韓国軍兵士2人が重傷を負った事件を受け、報復措置として、南北軍事境界線付近での拡声器による対北朝鮮放送を再開した。:時事通信 2015年8月15日


互いに

「~しなければ~するぞ」

と威嚇しあう南北朝鮮半島は、一体いつまで、このような幼児的応酬を続けるのでしょう。

そこに、見えない何らかの「面子」があるのでしょうか。

南側の韓国が

  • 北朝鮮・中国・アメリカ・日本に囲まれた場所にあり
  • 「リーダーシップがあり旗を振りながら主導権を握っている」と信じて疑わない「危険な瀬戸際外交」

を展開するのですが、

これに呼応するかのごとく、いやそれ以上に稚拙な「きわめて危険な瀬戸際外交」に徹するのが、ご存じ北朝鮮。

今回は

中国を知ることが、北朝鮮を理解する近道」と考え、中国での「面子〔めんつ:面目・対面〕」について賢者の意見を聞くことにします。


中国人にとって、「面子(ミェンズ)」とは何か

面子のためなら命も捨てる

面子(ミェンズ)」は、まさに中国人の欺満術、虚偽的な性格をもっともよく表わしたキーワードである。林語堂の『我が中国論抄(原題「わが国土、わが国民」)では、面子のことをこのように解釈している。

面子』は翻訳不可能であるし、定義の下しようがない。

名誉に似るが、名誉にあらず。

お金では買えないが、あらゆる男女に実質的な誇りを与えることができる。

空虚なものであるが、男はそのために奮闘し、女はそのために命を捨てるのである。

目に見えぬものであるが、人々の前に存在し、展開する。

空気中に存在しているが、その声を聞くことはできない。

道理に服従しないが、習慣には服従する。

訴訟を手間取らせ、家庭を破産させ、暗殺や自殺を引き起こす。

不義の徒を同郷人の非難を経て正道に立ち返らせることもできるのである。

いかなる世俗の財産よりも貴く、運命や恩恵よりも力があり、憲法などより造かに重視されているのである。

戦争の勝ち負けを決定し、政府磯構を破壊することさえできるのである。

中国人はまさしくこの空虚なものによって生きているのである

:『我が中国論抄』林語堂著、鋤柄治郎訳、1992年、黄河発行、星雲社発売

面子は顔、面目、体面などに似た言葉だが、中国人自身も「面子とはこれだ」と定義することがむずかしいほど、その風土の中で普遍的に使われている。しかしながらその核心を一言で表わせば、内容よりも形式、中身よりも外面を重視する「見栄っばりな虚偽性」である。

面子が中国の国民的な特徴となりうる根拠は、理性や科学性から乖離した虚偽や欺瞞にある。それゆえ「体面がない」「面子を下さい」「顔に黒泥を塗る」等々、中国人独特の道徳的価値表現が生まれる。だから魯迅も、面子は「中国精神の綱領だ」と指摘した。

もちろん面子は見る視点によって異なる解釈をすることができる。しかし面子が自身を騙し、他人を騙し、真実を無視した反理性行為として、結局は他人にも自身にも大きな害をおよぼすという点だけは間違いない。

『阿Q正伝』の主人公阿Qは、その典型的な人物だ。

彼は自分の頭にできた傷痕が自らの面子をひどく傷つけたと考え、誰かがその傷痕のことに触れると、すぐさま命を懸けて戦いを挑む。その傷痕がてかてかと光るという理由で「光」の字、明るい「亮」の字、明かりの「灯」の字までをも忌み嫌う。つまり自身の弱みを指摘されると我慢できないという理性欠如型の人間なのだ。

:P.183-185 金文学著「中国人民に告ぐ!」祥伝社黄金文庫 平成22年(2010年)11月30日第10刷発行 


 面子とは、演技をするための〝仮面″

面子が猛烈に大活躍して、いつでもどこでも作用する社会は、自然と演劇性を色濃く帯びがちである。面子の「面」の字は「目」の字と密接な関係があって、李孝定(りこうてい)の『甲骨文字集釈』によると「目」は他人を見ることで、「面」は他人に見られることだという。面子は自分が見るのではなくて他人に見られるためのものだから、見る人がいなくては存在しえない。: 金文学著「中国人民に告ぐ!」祥伝社黄金文庫


4000年の間に中国人の心にしみ込んでしまったようにみえる「面子」については、中国人である林語堂〔りん・ごどう 1895-1976〕の説明がすべてをあらわしていて、これをうまくまとめたのが金文学でした。

すべては

  • 中国人が、自らの欺瞞性に気付くかどうか、でしょう。
  • 中国共産党がこれに気付くはずはなく、私は「中国人が気付くかどうか」と言っております。
  • ただし4000年の歴史で、外野席・下野した知性が再三叫んできた「道徳」でしたが、中国為政者は常に「国民が気付く前にこの言論を封殺」して、気付けないように配慮してきた、と思われます。
  • 次の時代の、世界に信頼される中国を築く人たちが、「自分の欺瞞性にはっと気が付く」かどうかですね。
  • 今の中国共産党が崩壊したあと、新しい国名に変るはずですが(これは北朝鮮も同じ)、中国4000年の欺瞞性を乗り越えて、世界中から信頼される地域になれるかどうか。

に関わってくると思うのですが、さてそれが実現するかどうか、大いに疑問です。 


北朝鮮は、

その悪しき中国の伝統を「そのまま」受け継ぐはずがないと思われるのに、さらにひどい味付けをしました。

中国儒教の伝統+李朝封建体制+労働党共産主義

この残酷にして時代遅れの「身分差別・弾圧制度」には、世界中の人々が、あきれ・憐れみ・怒っております。

こんな状態ですから、朝鮮半島の南北統一など夢のまた夢、ずっと先のようです。

 つゆと落ち つゆと消えにし 我が身かな

南北統一 夢のまた夢 〔はと〕

かれこれ20年~30年になろうとしています。

ソ連が崩壊〔1991〕してソ連に属していた旧東欧がどんどん独立し、共産党以外の政党を認める複数政党制になり、そこの国民が政党を選択できるようになりました。

でも北朝鮮や中国では、そんな「きざし」さえ見られません。相変わらず一党独裁の弾圧につぐ弾圧が続いており、末法思想ではありませんが、世の末・地獄を見せています。

ただし多数政党が存在するけれども手の付けられないほど混乱に陥るのと、悲惨な一党独裁を続けるのとでは、どちらがましか、は深刻な問いかけです・・・・。

私としては、やや前者がマシかと思うのが正直なところです。

前者を避けるために後者であり続ける、というのにも、前者を忌避して後者を正当化するのにも、賛成できないからです。

ただしエジプトやリビアやイラクをみていると、考えが揺らぎますが・・・・

歴史的には

  • 1983年ソ連による大韓航空機撃墜〔ソ連領域内だったもよう〕以来、韓ソは険悪な関係でしたが、1990年に国交樹立、ソ連崩壊後(1992年)に韓露基本関係条約が締結され、北朝鮮を見限ってロシアは韓国と国交樹立したわけです。

このとき北朝鮮はロシアのことを「敵」とまで呼びました。北朝鮮としては、敵(韓国)の敵(ソ連・ロシア)は味方だったのですが、残念ながら「敵の敵さえ敵になってしまった」のでした。

  • 1992年には中国が韓国と国交を樹立

こうして北朝鮮は、

生来の無頼さでロシアや中国との関係を悪化させましたが、親の愛情が自分とは別のところへ移った、と考え「裏切られた」とします。

独善の極みで、自己中心の視野狭窄(しやきょうさく)・視野欠損(しやけっそん)の症状がみられますね。

金正日死亡〔2011年〕後、金正恩取り巻き連中が、金正恩の父親の妹を妻にして大きな顔をするようになり邪魔になった張成沢を、処刑〔2013年〕するまでに至っております。若くして頂点に君臨することになった人物の後見人を演じている人は、こうして消される運命にあるのですね。これまた中国4000年の伝統か。

北朝鮮は、孤立を恐れて日本との距離を縮めようとし、拉致関係の調査を約束したのですが、それさえいつもの見せかけに過ぎませんでした。信じる方がバカなのですね。

北朝鮮と中国とに、まともな為政者が出現すること、これが大きく期待されるところです。他人が変化させるのではなく、自分で変化すること。これが一番ではないでしょうか。