どういうのを世界宗教と呼ぶのでしょうか。
- 宗教そのものの変質もあり、ある時代には世界宗教たる資格があったけれども、その後なくなったり、その逆もあるようです。
- 争いにも種類があり、①宗教間の争いと②ある宗教内部の派閥争い、などがあり、「①≫②」の場合もあれば「①≪②」の場合もあります。
- 男女の対立でも③男と女の対立と④女と女の対立があり、「③≫④」の場合もあれば「③≪④」の場合もあります。
- 世界中での「信者数」の比較も、1つの目安になるかも知れません。:こちらもご参考に
- 閉鎖性も問題になるでしょう。「一般的に宗教というのは閉鎖的」ですが、閉鎖性を前提として広く普及するものかも知れません。「他宗教の信者を異教徒として排斥し、救おうとしないことが多い」のは、閉鎖性を象徴しているようです。そしてそれが、布教のためとは言え「そんな程度か」とがっかりする根拠ともなっています。
- 国連至上主義を唱える人もいますが、主要国だけに拒否権を認めていることから、その限界を指摘する人もたくさんいます。だからこそ宗教だ、とのめり込む人もいますが、これもまた危ないと私は考えています。
一般的には
- 現在の信者数
- 現在の宗教理念
などで、地域限定の「民俗宗教」か、比較的広く普及した「世界宗教」かを決める事が多いのかも知れません。また「よりひどい閉鎖性」があるかどうかにも、関係があるのかも知れません。
とにかく人によって分類が異なることをご了解の上、御覧ください。こう言っておかないと、「いやそれは違う」と異論をだされそうですので。
ユダヤ教やインドのヒンズー教、中国の儒教、道教などの諸宗教は極めて排他的で、民族を超えるのはむずかしい。:P.268 黄文雄「犯中韓論」幻冬舎ルネッサンス新書
今、世界宗教とされるものとして
- キリスト教
- イスラム教
- 仏教
があります。
これらと比べて
「ユダヤ教」「ヒンズー教」「儒教」などは、一見するだけで排他的ですが、「キリスト教」「イスラム教」「仏教」の中にも、極めて原理主義的で排他的な人たちがいます。
信者が増えると、排他的な人たちが目立つはずですが、現実には、信者が増えない宗教のほうが排他的にみえることがあります。
宗教上の問題として
- 厳密になろうとすると、排他性が表にでるでしょう
- 普及を優先するのなら、排他性を抑えるでしょう。
すべて、金儲けの手法で勝ち負けが決まるのだという人もいますし、それぞれの宗教の支持者なら「自分の宗教が優っているから勝ち負けが決まる」のであり、もしも自分たちに不利な地域があるとするならば、それは相手が不正な手法で多数派となっているからだ、と言うでしょう(笑)。
まるで
- 2016年夏、フィリピンが提訴したオランダの仲裁裁判所から判決が出る前に「どちらに転んでも判決結果を尊重する」ようアメリカから迫られたけれども、中国に気兼ねして、事前に「裁判結果を尊重する」と言えなかった無法国家韓国。
- 2016年秋、大統領選挙結果を認めるかどうかを選挙前に尋ねられたトランプが、「選挙に勝てば認めるし、負けたら認めない」とし、事前に「選挙結果を尊重する」と言えなかった無法主義者トランプ。
両者が似ていると思いませんか(笑)。
さてさて、皆様はどう思われますか。