しもじも日記

書くの大好き。

願書をもらいに

2015-09-25 16:42:33 | 幼稚園


今日は雨。
ずっと降っているわけではないので息子の幼稚園では、朝から運動会の入場の練習をしていた。

この時期になると幼稚園の願書が配布される。

2歳の子どもをもつ親はこの時期どの幼稚園にするかほぼ決めているはずだ。

人気の幼稚園では、親子学級みたいなのが春からあって、それに参加すると入園しやすくなるというしくみだ。そういうことをすることによって特別感をだすというか、囲い込みなのかなと思うときもある。

家の近所には8つほど幼稚園がある。

子供の多い地域である。

そのぶん、人気の幼稚園は入園願書で徹夜するとかしないとか??

息子が通う幼稚園は
行きたい!という人はあっても
実際入園する人は他の園に比べて少ない。

理由としては
①毎日お弁当
②バス通園がない 
③バザーがある←行事が多い

というものだ。

最近では給食が当たり前らしい。

これには悩んだ。
というかお弁当を毎日作るってできるの??という不安が一番だった。

バス通園がないということは、雨の日も風の日も幼稚園まで自走で送り迎えをするということ。

バザーがある。
に関しては、人見知り激しい私にとってはイヤだな、メンドクサイというのが本音だった。



最近の親の兆候としては、仕事をしているお母さんも多いので、こういった3つのことは非常にメンドクサイのである。

それでも子どもをこの幼稚園に通わせる人も多い。

やはりゆったりした環境が人気なようだ。

自由保育なので、子どもたちが自分で遊びを考えたて遊んだり、トモダチと協力し合うのが魅力的だ。

先生も優しい。


今思えば、苦手でイヤだな。
と思ったことは全てにおいて良い状況をもたらしてくれている。

毎日のお弁当作りは、自分の分も主人の分もつくるので外食しないから節約になっている。

毎日通園は朝主人が送り、私が迎えに行くが、歩きながら子どもと季節の話をしたりしてコミュニケーションがとれている
主人も帰宅が遅いから、子どもにとっても朝にお父さんと話すというのはよいのかもしれない。


バザーに関しては、メンドクサイなとか思うけれど、このバザーがあったおかげで私自身が何でも相談できるお母さん方と出会ったことだ。

仕事のヒントをくれる人や、人生相談、ブラックな会話までこの小さな幼稚園なぜかオモシロイ人たちが多いのだ。

今日は娘の願書をもらいに行ったわけだが、出会いというのはオモシロイなと思う。

本当に感謝。


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盲点力を鍛える

2015-09-25 01:05:58 | 起業準備

ここ1週間、毎朝散歩をしている。

今までは夜中まで起きて朝はゆっくりしていた。

 仕事の日でも雨の日でも関係なく散歩する。

毎日、行き来する通勤の町中の変化をどれだけの人が見ているだろう?

朝定時に起きて、定時の電車に乗る。

ルーティーンに、動き回る仕事。

子育てと仕事と両立しているお母さんほど、歩く視野も細くなりがちだ。
 

そんな毎日の中で、散歩中、三つ新しい気づきを見つけてみよう、と決めた。

行きすがらの道路に、きれいな花が咲いている、電信柱の広告が新しくなった、

雲一つない快晴とか。

 

積み重なると、思わぬ発見を産むことがある。


 同じ朝にも関わらず、歩いている人が多い日もあれば少ない日もあること。

同じように散歩するなら、静かでゆったりした雰囲気のほうがストレ スが少ない。

 

また、経験豊かな人と一緒に考えてもらうと少しの失敗で大きな成功をもたらす。

これも常道だが、なぜか、自分が、自分が、と前に進め て失敗する人が多いのは不思議なことだ。

 
 人は、「こうであらねばならない」と決めつけてしまうことがある。

しかし、それは、ある一面を見ているからに過ぎない結果なのかも。

 

大人になる と、分析や行動することができやすくなるはずなのに、今までの少ない経験や人から聞いた話で、

凝り固まってしまうことがあるようだ。
 

ちょっとした自分のもつ盲点に気づいてみることをお勧めする。

以外と、自分以外の人はあなたのことをよく見ている。自分らしさを自然に出すには、盲点力を鍛えていく事と関係がありそうだ。

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自分を脱げるか?

2015-09-25 00:28:33 | ・・・考える

最近・・・
 「顔が、なんで変わるんだろう」と考える。

「なんで、ビフォーとアフターが違う人と、違わない人がいるんだろう。」と。
 私の持論を言うならば、それは、「昔の自分に気づいて、自分らしい自分に着替える」ことが出来た人は、「人から見て、変わったね」と言わ れ、「気づいていても、着替えることをしなかった人や、気づかなかった人」は、「何が変わったの?」と人から言われる人だと考えている。
 これはあくまで、仮説なので、間違っているかもしれない。
 

実は、いままで私が働いているクリニックのクライアントさんたちをみていて・・この結論に達しつつある。

仕事柄、歯だけでなく顔の変化も見るものだから、どうしてもこのことが気になるのである。


 変わらない人は、「変化のなかった人」。

変わったと言われる人は「変化のあった人」だ。

 

変わらない人は、変化がなかったのだから、外面の変化と、内面の変化が人から見てあまり変化がなかったと表現しても良い。

変化した人は、(私から見ると)とても変化するが、その変化がその人 らしい変化なので、私の立場では、

「なぜ、このように変化したのか」、「どうしてこんなように変化したのか」はわからない。

 

でも、その人らしいキレイに変化ができたことはとてもうれしい。



 世の中に、変化しないものはないけれど、あえて、変化を最小限にして、自分を軸に考えようとする人がいるようだ。

私も実はそうなのだが、 上司から「君は石橋をたたいて、たたきつぶす」と言われた。

 

でも、現在の私があるのは、ある時期から、既成の自分を壊したり、親から被せられた(被せても らった)ものを検証し、

脱いでみることをしたときからだった。


 最近私がお世話になっている方々というのは・・・たぶん、その方の人生の中で、私と関わるときは、

「何かしらの理由で、あることを決断した後」のことなのかもしれない。

 

どうせなら、かつての自分を脱いでみて、自分らしいものってなんだろう」と考えても損なことはないと思う。
 やってみようと思う人もいれば、それでも、「やっぱりだめ」と思いとどまる人もいるのかもしれないけれど・・・。

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