もちろん規模や死者数、その後の影響(後遺症)など比べるべくも無いのだが…
いまも残る数少ない戦争遺跡が、東京都東大和市「旧日立航空立川工場変電所」である。
昭和13年から戦闘機のエンジンを造る工場がここに移転し、この変電所を通して電気が送られた。
昭和20年2月から3回の米軍の空襲を受け、計111名の方が亡くなった。
無数の弾痕を残したまま平成5年まで操業したそうである。
現在は市の文化財として都立公園の一画に保存されている。8月23日までは、内部も公開され、ボランティアの方達の説明を聞くことができる。
生き残った人たちの証言をDVDで聞きながら、夏の暑い一日、70年前に思いを馳せる。
動員された学生も多く、また、戦闘機のエンジンを作る工場と言うことがアメリカには情報として伝わっていたのか?「かないっこないよなぁ~」と更めて分厚いコンクリートを貫通している銃撃の痕を見る。