今日は、私自身のことを少しお話したいと思います。
子ども達をお預かりしてピアノを教えている私ですが、
音大ピアノ科出身ではありません。
高校時代までは、確かにピアノ科を目指して在籍していました。
その頃まで師事していた先生は、有名音大への合格者、学生コンクールの日本一の生徒を
輩出するほどで、輝かしい実績をお持ちの方でした。
周囲のレベルの高さに突き動かされて、練習嫌いで不器用な私でも必死についていこうとしていたのを
覚えています。
また当時、私が在籍していた高校には、100名近い部員を抱える合唱部がありました。
夏の定期演奏の伴奏者に選ばれたのが運のつき・・・というかそこで
自分の専攻が大きく変わることになるなど、夢にも思わず引き受けたのです。
(この合唱部は、私が高3の時にNHK全国合唱コンクール高校の部で全国優勝、
全日本合唱コンクール(朝日新聞主催)全国大会で金賞を受賞)
伴奏者といえど、当時の顧問(クラス担任でもあり)は、私にまで発声練習をさせるなど100名の部員をユニークで情熱たっぷりの指導をしてくださいました。
伴奏者として1年ほど経った頃、顧問より「声楽」への転科を言われ面食らった私は
、
悩みに悩み結局専攻を変更してしまったのです。
ピアノ科へ進むのに指の構造の悪さなど指摘され伸び悩んでいた私。
しかし1年後に受験を控え、迷っている時間はありませんでした。
ピアノが好きで好きで3歳から始めたことをそこで忘れてしまっていたのも事実。
この悩みの深さは、師事していた先生にも親にも一切打ち明けることができないまま
0からスタートの発声から始め実技・音楽理論・副科ピアノと受験に向けて勉強。
先生や親の言う事は、当時絶対的な「力」があったので、それに屈してしまったのかもしれません。
この打ち明けられない「孤独感」が、逆に今、子ども達をお預かりして指導していく中で、『共に歩む』ということに繋がっているような気がします。
大学に入ってからも、学部生や院生の練習伴奏に明け暮れる日が続き、声楽の先生からはピアノ科への転科試験を言われましたが、これもそう甘い世界ではなく、ピアノ科の先生からは、在籍ピアノ科生よりも優秀な成績をとらなければならないと言われ、いったん退学してピアノ科で受験し直すことを勧められたものの、そんな勇気もなく経済的にも無理なことなので断念。
「迷う」「悩む」ということは、決して悪いことではないけれど、自分の根底に流れているものを忘れてしまってはいけないということを痛感。
のちに中学教員の免許を取得。大学卒業後出身地に戻った私は、教職の道に進み、
そこで徹底的に「心」を育てることを同僚の先生方、生徒、生徒の保護者から教わりました。
校内暴力全盛期の頃でしたから、カルチャーショックも受けましたが、連続して担任を持たせていただけた経験は、確実に現在の私の指導基盤となっています。
「音楽」という私の力を発揮できる場所を通して、子どもたちの「心」の成長をサポートしていくことができたら…、その自分の夢を今、実践している私です。
こんな私ですが、皆様、どうぞ宜しくお願いいたします。