23日、大原の帰りに寄り道したのが、山科の毘沙門堂。
もう10年近く前に、山登りをしていた時に
まったく知らない人から、あそこの紅葉は
よろしいよ…と教えられて、訪ねて以来、
毎年欠かさずに行くところ。
例年は12月の始めに行くのだが、
ちょうど帰り道だったので寄ってみた。
やはり1週間ばかり早いかなと言う感じ。
勅使門からの石段はもっと真っ赤になってきれいになる。
境内にはきれいに染まった紅葉も…
弁天堂の紅葉と渡り廊下越しに見る弁天堂。
誰かに紅葉はどこがおすすめ?と聞かれれば
一も二もなく毘沙門堂を勧める。
以前は山科に住んでいる人に言っても、
知らないという人もいた。
最近は新聞の紅葉だよりにも載るようになって
ずいぶんメジャーになってきた。
うれしいような、寂しいような…
ハイキングをされる方は、毘沙門堂の横から
東山を縦走して、大文字山、銀閣寺へというのもよい。
桜の頃は、毘沙門堂の手前の山科疎水沿いに南禅寺に
向かうのもよい。とにかく春も秋もいいところ!!
もう10年近く前に、山登りをしていた時に
まったく知らない人から、あそこの紅葉は
よろしいよ…と教えられて、訪ねて以来、
毎年欠かさずに行くところ。
例年は12月の始めに行くのだが、
ちょうど帰り道だったので寄ってみた。
やはり1週間ばかり早いかなと言う感じ。
勅使門からの石段はもっと真っ赤になってきれいになる。
境内にはきれいに染まった紅葉も…
弁天堂の紅葉と渡り廊下越しに見る弁天堂。
誰かに紅葉はどこがおすすめ?と聞かれれば
一も二もなく毘沙門堂を勧める。
以前は山科に住んでいる人に言っても、
知らないという人もいた。
最近は新聞の紅葉だよりにも載るようになって
ずいぶんメジャーになってきた。
うれしいような、寂しいような…
ハイキングをされる方は、毘沙門堂の横から
東山を縦走して、大文字山、銀閣寺へというのもよい。
桜の頃は、毘沙門堂の手前の山科疎水沿いに南禅寺に
向かうのもよい。とにかく春も秋もいいところ!!
小春日和の陽気に誘われ、ブラ~と奈良公園へ。
奈良公園を大きく外回りに歩く。
まず、東大寺戒壇院から大仏殿の裏通りを…
大仏池や正倉院を見ながら歩く辺りは銀杏も楓も
今、紅葉の真っ盛り
二月堂を通り、手向山神宮は黄色と赤のコントラストが素敵!
春日大社では七五三の子供たち、結婚式を挙げたばかりの
初々しい花嫁さん。みんな、みんな幸せに!
奈良公園を大きく外回りに歩く。
まず、東大寺戒壇院から大仏殿の裏通りを…
大仏池や正倉院を見ながら歩く辺りは銀杏も楓も
今、紅葉の真っ盛り
二月堂を通り、手向山神宮は黄色と赤のコントラストが素敵!
春日大社では七五三の子供たち、結婚式を挙げたばかりの
初々しい花嫁さん。みんな、みんな幸せに!
今年は7月に続き2度目の三千院。
夫の紅葉を撮りたいということでまた早朝より出かける。
三千院に近づくにつれて雨が降り出す。
開門までまだ時間があり、門前の律川に架かる未明橋。
橋を渡れば、左に実光院、突き当りは勝林院
門前に戻れば、もうすでにたくさんの人が…
三千院のこの景色を人をいれずに撮るためには
とにかく朝一番に行くしかない。
運良く何枚か撮る事ができた。
境内はこの3連休が見ごろというところか…
拝観を済ませ出てくると、門前のみやげ物屋さんも店開き。
しば漬けのお店では、千枚漬けの実演販売。
三千院の中はすごい人だが、外へ出てちょっと横のほうに
廻ってみると、嘘のようにだれもいない。
ちょっとオススメ!
夫の紅葉を撮りたいということでまた早朝より出かける。
三千院に近づくにつれて雨が降り出す。
開門までまだ時間があり、門前の律川に架かる未明橋。
橋を渡れば、左に実光院、突き当りは勝林院
門前に戻れば、もうすでにたくさんの人が…
三千院のこの景色を人をいれずに撮るためには
とにかく朝一番に行くしかない。
運良く何枚か撮る事ができた。
境内はこの3連休が見ごろというところか…
拝観を済ませ出てくると、門前のみやげ物屋さんも店開き。
しば漬けのお店では、千枚漬けの実演販売。
三千院の中はすごい人だが、外へ出てちょっと横のほうに
廻ってみると、嘘のようにだれもいない。
ちょっとオススメ!
つぎに訪ねたのは常照寺。
島原の名妓、吉野太夫の墓所がある。
吉野太夫が寄進した赤門を表からと裏からと。
境内の紅葉はやはり、まだ早いようだ。
太夫好みの丸窓、吉野窓といわれている。
吉野太夫と、彼女を身請けした京の豪商灰屋紹益の
物語は小説で読み、胸をときめかせたものだ。
なにしろ紹益は38歳で死んだ吉野太夫の遺灰を
毎日飲んだと言うのだから…ちょっとコワイか…
深い教養と知性の持ち主の吉野太夫は
本阿弥光悦とも親交があった。
でも紹益の最初の妻が光悦の娘。若くして亡くなった後、
太夫が2番目の妻。紹益も身請けに大金を使い
勘当されたとか・・
寺は多くの学僧が勉学にいそしむ学校のようなものだったらしいのだが
どうも生々しいことばかりが浮かんでしまう
島原の名妓、吉野太夫の墓所がある。
吉野太夫が寄進した赤門を表からと裏からと。
境内の紅葉はやはり、まだ早いようだ。
太夫好みの丸窓、吉野窓といわれている。
吉野太夫と、彼女を身請けした京の豪商灰屋紹益の
物語は小説で読み、胸をときめかせたものだ。
なにしろ紹益は38歳で死んだ吉野太夫の遺灰を
毎日飲んだと言うのだから…ちょっとコワイか…
深い教養と知性の持ち主の吉野太夫は
本阿弥光悦とも親交があった。
でも紹益の最初の妻が光悦の娘。若くして亡くなった後、
太夫が2番目の妻。紹益も身請けに大金を使い
勘当されたとか・・
寺は多くの学僧が勉学にいそしむ学校のようなものだったらしいのだが
どうも生々しいことばかりが浮かんでしまう