昨日は節分でした。
地元、牛田早稲田神社の節分祭と
広島まほろばの会の素読教室に参加してきました。
まほろばの会で古事記の素読を体験しました。
そして節分の意味を教えていただきました。
以下、まずは古事記の一節から。。。
“黄泉比良坂の坂本に到る時に、
其の坂本にある桃子三箇を取りて
待ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき。
茲に伊邪那岐命、其の桃子に告りたまはく。。。
名を賜ひて意富加牟豆美命と号ひき。。。”
上記の意味ですが
黄泉の国から逃げ帰る伊邪那岐命が
追ってくる鬼(八人の雷神)に向かって
桃を三つ投げて鬼を打ち負かした、ということ。
その桃を意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)と
名づけられました。
つまり“桃”は神になったわけです。
日本の節分は
桃を豆に見立てることで
行われている行事です。
物事にはすべて意味がある。
意味を学ぶことはとても大切なことですね。
「広島まほろばの会」に感謝します。
地元、牛田早稲田神社の節分祭と
広島まほろばの会の素読教室に参加してきました。
まほろばの会で古事記の素読を体験しました。
そして節分の意味を教えていただきました。
以下、まずは古事記の一節から。。。
“黄泉比良坂の坂本に到る時に、
其の坂本にある桃子三箇を取りて
待ち撃ちたまひしかば、悉に逃げ返りき。
茲に伊邪那岐命、其の桃子に告りたまはく。。。
名を賜ひて意富加牟豆美命と号ひき。。。”
上記の意味ですが
黄泉の国から逃げ帰る伊邪那岐命が
追ってくる鬼(八人の雷神)に向かって
桃を三つ投げて鬼を打ち負かした、ということ。
その桃を意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)と
名づけられました。
つまり“桃”は神になったわけです。
日本の節分は
桃を豆に見立てることで
行われている行事です。
物事にはすべて意味がある。
意味を学ぶことはとても大切なことですね。
「広島まほろばの会」に感謝します。