▲米内光政(よないみつまさ)氏
米内光政氏
<明治13年(1880年)3月2日~昭和23年(1948年)4月20日>は
日本の海軍軍人で政治家。
最終階級は海軍大将。
位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。
第23代連合艦隊司令長官。
第39・40・41・49・52代に海軍大臣を務め
第37代の内閣総理大臣でもあります。
この方を題材にした作品はたくさんあります。
オススメは地元出身の阿川弘之さんの小説です。
さて
重職を歴任された米内氏ですが
数々のエピソードを残して
いらっしゃるようです。
たとえば
戦後の日本の進路に関して
「科学技術を振興して行けば
日本は立ち直って新しい国に生まれ変わることが
出来ると思います」
と語る輩に
「国民思想は科学技術より大事だよ」
と大声をだしたといいます。
「日本が本当に復興するまで二百年かかる」
とも述べたとされています。
また米内氏は
長身で日本人離れした風貌と合わせ
非常に温厚な性格であったので
女性によくもてたようです。
特に花柳界では
山本五十六氏とともに圧倒的な人気があった
とのこと。
▲山本五十六氏
ちなみに
長男の剛政氏は父の死後、
愛人だったと称する女性にあちこちで会ったり
戦争中、主計士官として赴任中上官が
年老いた芸者を連れてきたかと思ったら
「こいつは貴様の父上の馴染み芸者だ」
などと言われたりして
困ったというエピソードもあります。
佐世保鎮守府長官退任の際
佐世保駅周辺には見送りに訪れた芸者で
黒山の人だかりができたといわれています。
ところで
アニメーション『ジパング』の第25話に
米内光政氏が登場するシーンがあります。
突如第26話で打ち切りとなりましたので
このシーンが何らかの影響を与えたのかも
と感じてしまいます。
イージス艦「みらい」の艦長・副艦長を前に
米内光政氏は以下のように語ります。
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日本人が帝国主義などと100年早い。僕はそう思っている。山本(五十六)や日下という若い士官、それに陸軍の石原くんにも困ったものだ。僕も船乗りだ。船を愛する気持ちはわかるが貴艦にはこの横須賀のドックで朽ち果てて鉄屑になってほしい。
戦後日本国民は国の進路と舵取りを誤らなかった。あなたがたにお会いしてよくわかった。それだけで十分です。
日本国百年の計にとってこの戦争は勝ってはならんのです。どれほどの犠牲を払ってでも。古来戦に勝って国が衰亡した例は少なくない。逆に戦に敗れて興隆した国はあまだある。あなたがたに接しているとそのことがよく分かります。日本は今、蜃気楼をみている。身にあわぬ帝国主義という衣を着るために軍部独裁の流行に踊っているのだ。目が覚めねばいずれ滅びる。敗戦という現実でしかその目は覚めないと僕は思う。
残念ながら日本人はわが手でわが身を切り裂き、血を流してでも膿を出し切れるほど強くはない。だからこそ外圧という力をいつの時代も利用してきたのです。この戦争の犠牲、100年後の日本に活きる。
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▼ジパング第25話/Youtube
昭和8年(1933年)
佐世保鎮守府司令長官時代
水雷艇「友鶴」の乗組員が犠牲になった転覆事故
「友鶴事件」が発生しました。
この時
査問委員会の一人である
森田貫一機関中将が米内を訪ねた際
「これは日本海軍の根幹に関わることだ。
僕はどうなってもいいから
本当のことをしっかりやってくれ」
と言われ感服したそうです。
▲竣工時の「友鶴」
「偉い人だ。米内さんが職を賭して
徹底解決を推進されたことが成功の原因だった。
役人根性むき出しで責任回避をはかり
うやむやにしていたら
日本海軍は大変なことになっていただろう」
と話したといいます。
正義感と正しい歴史観を持った良識ある人物
米内光政。
今の時代
お手本にしたい
貴重な人物のおひとりですね。
◎感謝
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