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昭和の日

2020年04月29日 | 歴史日誌
昭和天皇が御隠れになったのち
世界中で様々な出来事が発生します。


昭和の終わりは
ベルリンの壁の崩壊、天安門事件など
戦後体制の大きな転換点になりました。


今日は「昭和の日」
いまだに「みどりの日」
と言ってしまうこの日ですが
平成19年の祝日法改正で
現在の名称に代わりました。


祝日法によると昭和の日とは

激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす

という趣旨で設定されたようです。


さて
平成2年(1990年)のこの日
結婚式を行いました。
ついこのあいだのことのようで
しかしもうすでに30年も経過しました。


思い出すに
家内と出会ったのが前年の8月。
12月に結婚を決めて約4か月で
結婚式にむけての準備を行いました。
式場選びや打ち合わせ
メッセージ集の編纂など
短いながらも充実した時間を
共有することができたと思います。




年が明けてすぐ
カトリック教会での結婚式が決まりました。
聖書の読み合わせと式典の打ち合わせのため
2人で毎週通いました。


たしか3回目が終わった頃だったかと
予約されていたはずの会場が使えない
と教会近くの披露宴会場から連絡がありました。
どうやら
ダブルブッキングだったようです。


すでに2月に入り
これから会場を探すにも祝日のため
どこもいっぱい。
しかしのこの頃
不思議と焦りや心配はありませんでした。


これまでもなんとかなってきたし
これからも絶対になんとかなる
という確信のようなモノがありました。


すると案の定
駅前のホテルの披露宴会場が
一件見つかりました。


当日は県外からの参列者も多かったので
結果的に駅前の利便性が喜ばれる結果に
なりました。


披露宴の司会進行についても
民放ラジオの有名なパーソナリティに
お願いすることができました。


家内との出会いは友人の紹介でしたが
結婚を決めたのは闘病中の母を見舞った時の
「結婚してもらいんさい!」
の一言でした。
平成元年の暮に亡くなりました。


2010年
サラリーマンを辞め農業へ。
前年から体調を崩していた父の
療養を兼ねての転身でした。


まったくのシロウトがいきなり
米づくりを始めたんですが
この時も
移り住む家や農地などを決める際に
予期せぬドラマがたくさんありました。


▲YouTube「イセヒカリ田の様子」


「イセヒカリ」から
伊勢の神宮とのご縁を頂き
毎年、月次祭や神嘗祭には神宮に
参拝させてもらうことにも繋がります。


考えても焦っても
結局は不思議なご縁で生かされている。
ご縁が繋がると
自然とうまく転がり始めることを
ひきよせ
と呼んだりしているのでしょう。


いま
この時も常に働いている
ご縁のチカラ。
人知を超えたこのチカラを
あらためて感じる昭和の日です。




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