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平家と剣山

2015年08月01日 | 歴史日誌

▲剣山



剣山は徳島県の

・三好市東祖谷
・美馬市木屋平
・那賀郡那賀町木沢

の間に位置する
標高1,955mの山です。

日本百名山の一つに選定され
西日本では石鎚山に次ぐ標高です。



▲剣山MAP



さて
徳島県三好市の祖谷(いや)には
幼い安徳天皇(あんとくてんのう)と
平教経(のりつね)
平国盛(くにもり)一行がこの地に逃れ
平家再興の望みをつないだという
『もうひとつの平家物語』
が語り伝えられています。



▲安徳天皇(1178年12月22日~1185年4月25日)



1184年の壇ノ浦の戦いに敗れ
幼い安徳天皇も祖母である二位尼に抱かれて
海に身を投げたといいます。


しかし、壇ノ浦で亡くなったといわれる
安徳天皇も平国盛も、実は影武者だったのでは
ないかとも言われています。


▲屋島の戦い絵図


屋島の戦いで敗れた後
平国盛・教経の一行は
ひそかに幼い安徳天皇をお守りしながら、
この祖谷の地にやって来ました。
そして
山深い祖谷の地で
平氏再興の望みをつないでいたといわれています。


ちなみに
源氏の討手が祖谷の地に迫ってきたとき
敵の侵入を防ぐために
いつでも切り落とせるように
蔓を束ねて橋を造ったのが
「かずら橋」
といわれています。
今は地元の観光資源になっています。



▲かずら橋



ところで
安徳天皇は平氏の再興を願って
三種の神器のひとつである
天叢雲剣
(あめのむらくものつるぎ)
を山に納めに行きました。
このことが
山名「剣山」の基になっています。




剣山山頂近くにある
「平家の馬場」
と呼ばれる草原では、
平氏の武者たちが源氏との戦いに備えて
馬乗りや武術の稽古をした
といわれています。


▲平家の馬場


▲馬場に横たわる筆者


さて
剣山の麓に
落合集落
という町があります。


▲落合集落


集落の起源は明らかになっていませんが
平家の落人伝説や
開拓伝承などが祖谷地方には残っています。
集落内の高低差は約400mで
急傾斜地に集落を形成しています。
平成17年には
国の重要伝統的建造物群保存地区に
選定されています。



▲栗枝渡神社


実はこの集落に
安徳天皇を祀ったといわれる
『栗枝渡神社』
(くりしどじんじゃ)
があります。
安徳天皇は
御歳7歳までこの地で成長され
悪病で崩御されました。
遺体をこの神社で火葬にふし
ご遺骨をご神体として祀っています。
毎年
旧暦8月15日には秋祭りが行われています。



▲境内立看


▲栗枝渡神社MAP(Link)



なお
「日本とユダヤのハーモニー」さんブログに
剣山や栗枝渡神社のことが
詳しく書かれていますので
シェアさせてもらいます。


▲日本とユダヤのハーモニー(Link)




◎感謝
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