🌸🌸相手にしない🌸🌸
昨年(2018年) 10月に、「ジャポニズム2018」の企画で渡仏し、パリで坐禅会🌸や講演会🎤を行ってきた。
フランス🇫🇷の方々は実に熱心💓に坐禅をされていて、
講演会も満席🌸になるほどで、フランスでの禅に対する関心💓の高さに驚いた。😍
坐禅会の折には、質疑応答🌸の時間を設けることにした。
質問に対してこちらが禅✨の立場で答えるのであるから、禅問答と言えなくもない。
とある女性🌸からの質問を受けた。
その日の坐禅会では、数息観(すそくかん)という呼吸☁️を数えて心💓を調える方法🍀を教えたのだった。
それを受けて、
「今回教わった坐禅や数息観を、日常の暮らしにおいて、どのように活用🍀して取り入れたらいいですか」
という質問だった。
坐禅を今回限り⚡️ではなく、普段の暮らしに取り入れたいという思いが有りがたく感じ💓られた。
それに対して私は、
「坐禅をするのに1番いいのは、朝起きてすぐの時間と夜の寝る前でしょう。
朝起きて、ベッドの上で5分でもいいから静かに坐ってみることです。😊
夜も同じくベッドの上でいいから静かに坐るという習慣🍀をつけることが大事です。
数息(呼吸を数えること)は、簡単なようで、大きな効果🌸があります。
1番いいのは、感情的💓になってしまった時でしょう。
腹を立てて怒り💢の感情にまかせて、言葉🍀を発したり、行動したりすると、
よい結果🌸にはなりません。
感情的💓になっている時ほど、
少し落ち着いて自分の呼吸☁️を1から10まで数えて🔢みることです。
それだけでも感情💕はおさまっていきます」
と答えた。
すると、また別の女性🌸から質問を受けた。
「坐っていても次から次へと思い☁️が湧いて、あふれてきて⛲️仕方がない。
どうしたらよいのか😵」
という問いである。
その日は、坐禅会の会場🏛である日仏会館に行く途中、セーヌ川の畔を歩いて行ったので、
川の流れを譬(たと)えにお答えした。
「先ず、思いが湧いて☁️くるのは自然🍀なことだと受け入れることが大切です。😊
思い☁️や雑念🌀が湧いて、自分の坐禅がうまくいってないなどと、
自分を責める💢必要はありません。😊
例えば橋の上から川の流れ☁️をただ見て👀いるように、
静かに自分の思い☁️を見ていることがいいでしょう。🎵
決して自分の思いの中に入り込んでいったり、追いかけたりしないで、
ただ見ている👀のです。☀️
すると、どんな思い☁️であっても、
必ず湧いては消えて☁️行きます。
そして少し離れて見ていることだと思います。
思い☁️の波🌊にのみ込まれないようにして、
思い☁️をそれ以上増幅⤴️させないようにすることが必要🍀です」
と。
これは、坐禅を始めた人が、必ずといっていいほど直面⚡️する問題⚠️でもある。
雑念🌀が起きて仕方がない😵、どうしたらいいのかと。
和歌山県日高郡由良町にある興国寺🏯の開山である法灯(ほうとう)国師(心地覚心(しんちかくしん))は、
雑念🌀や妄想の起こる様子🌸を、
「晴れた空に雲☁️が湧くようなものだ」
と譬えられている。😊🎵
我々の心💓の本体は、青空☀️のようなものであり、
妄想🌀は空に浮かんだ雲☁️なのだ。
雲が湧いて浮かぶのは、自然🍀の様子であり、
元来それほど苦に😵するほどのものではない。😊🎵
無理に雑念🌀を無くそうとがんばってみても、
それは盤珪(ばんけい)禅師が
「血💕で血💕を洗うようなものだ」
と表現🌸されているように、
はじめについていた血💕が落ちたとしても、
洗った血💕が残ってしまって、
堂々巡り🔄になってしまう。😊
雑念🌀を無くそうという思い自体が、新たな雑念🌀となる。
坐禅中に、雑念🌀が湧いて仕方なく感じるのは、むしろ自然🍀なことだ。
普段から雑念🌀を起こして暮らしているのがお互いであって、
普段は雑念🌀にまみれて、雑念🌀が起きていることすら気がついていない😵だけだ。😊🎵
少し落ち着ついて坐ってみると、
よく心の様子🌸が見えるようになって、雑念🌀が気になるのだ。
湧いてくる雑念🌀を相手にする必要はない。
雲☁️の譬えでいえば、
浮かんでいる雲☁️は自然🍀の風景くらいに思って、
それよりも大空☀️を見つめるようにする。
心💓の本体に目👀を向ける工夫🍀をすることが大切である。
例えば、鏡✨にはさまざまな像が映るが、鏡✨の本体には何の汚れもない。😊
映画🎥のスクリーンも同じだ。🌟
どんな映像🎥が浮かんでいたとしても、スクリーン本体に汚れはつかないのだ。
だから、ただ浮かんでは消える様子🌸を静かに見つめて👀、
心の本体は、清らかなまま✨であると気がつく🌟ことだ。
雑念🌀の中に取り込まれてしまわないように、
腰を立てて呼吸☁️を調え、息を数える方法🌸が数息観🍀である。
雑念🌀を無くそうというのではなく、
相手にしない対処法🌸なのである。😊🎵
空に浮かぶ雲☁️は、浮かんでは消えていくだけのものである。
それと同じように、雑念🌀とて、相手にしなければ必ず浮かんでは消える。🌟
追いかけたり、相手にしないことが大事だ。😊🍀
(「致知」1月号 横田南嶺さんより)
昨年(2018年) 10月に、「ジャポニズム2018」の企画で渡仏し、パリで坐禅会🌸や講演会🎤を行ってきた。
フランス🇫🇷の方々は実に熱心💓に坐禅をされていて、
講演会も満席🌸になるほどで、フランスでの禅に対する関心💓の高さに驚いた。😍
坐禅会の折には、質疑応答🌸の時間を設けることにした。
質問に対してこちらが禅✨の立場で答えるのであるから、禅問答と言えなくもない。
とある女性🌸からの質問を受けた。
その日の坐禅会では、数息観(すそくかん)という呼吸☁️を数えて心💓を調える方法🍀を教えたのだった。
それを受けて、
「今回教わった坐禅や数息観を、日常の暮らしにおいて、どのように活用🍀して取り入れたらいいですか」
という質問だった。
坐禅を今回限り⚡️ではなく、普段の暮らしに取り入れたいという思いが有りがたく感じ💓られた。
それに対して私は、
「坐禅をするのに1番いいのは、朝起きてすぐの時間と夜の寝る前でしょう。
朝起きて、ベッドの上で5分でもいいから静かに坐ってみることです。😊
夜も同じくベッドの上でいいから静かに坐るという習慣🍀をつけることが大事です。
数息(呼吸を数えること)は、簡単なようで、大きな効果🌸があります。
1番いいのは、感情的💓になってしまった時でしょう。
腹を立てて怒り💢の感情にまかせて、言葉🍀を発したり、行動したりすると、
よい結果🌸にはなりません。
感情的💓になっている時ほど、
少し落ち着いて自分の呼吸☁️を1から10まで数えて🔢みることです。
それだけでも感情💕はおさまっていきます」
と答えた。
すると、また別の女性🌸から質問を受けた。
「坐っていても次から次へと思い☁️が湧いて、あふれてきて⛲️仕方がない。
どうしたらよいのか😵」
という問いである。
その日は、坐禅会の会場🏛である日仏会館に行く途中、セーヌ川の畔を歩いて行ったので、
川の流れを譬(たと)えにお答えした。
「先ず、思いが湧いて☁️くるのは自然🍀なことだと受け入れることが大切です。😊
思い☁️や雑念🌀が湧いて、自分の坐禅がうまくいってないなどと、
自分を責める💢必要はありません。😊
例えば橋の上から川の流れ☁️をただ見て👀いるように、
静かに自分の思い☁️を見ていることがいいでしょう。🎵
決して自分の思いの中に入り込んでいったり、追いかけたりしないで、
ただ見ている👀のです。☀️
すると、どんな思い☁️であっても、
必ず湧いては消えて☁️行きます。
そして少し離れて見ていることだと思います。
思い☁️の波🌊にのみ込まれないようにして、
思い☁️をそれ以上増幅⤴️させないようにすることが必要🍀です」
と。
これは、坐禅を始めた人が、必ずといっていいほど直面⚡️する問題⚠️でもある。
雑念🌀が起きて仕方がない😵、どうしたらいいのかと。
和歌山県日高郡由良町にある興国寺🏯の開山である法灯(ほうとう)国師(心地覚心(しんちかくしん))は、
雑念🌀や妄想の起こる様子🌸を、
「晴れた空に雲☁️が湧くようなものだ」
と譬えられている。😊🎵
我々の心💓の本体は、青空☀️のようなものであり、
妄想🌀は空に浮かんだ雲☁️なのだ。
雲が湧いて浮かぶのは、自然🍀の様子であり、
元来それほど苦に😵するほどのものではない。😊🎵
無理に雑念🌀を無くそうとがんばってみても、
それは盤珪(ばんけい)禅師が
「血💕で血💕を洗うようなものだ」
と表現🌸されているように、
はじめについていた血💕が落ちたとしても、
洗った血💕が残ってしまって、
堂々巡り🔄になってしまう。😊
雑念🌀を無くそうという思い自体が、新たな雑念🌀となる。
坐禅中に、雑念🌀が湧いて仕方なく感じるのは、むしろ自然🍀なことだ。
普段から雑念🌀を起こして暮らしているのがお互いであって、
普段は雑念🌀にまみれて、雑念🌀が起きていることすら気がついていない😵だけだ。😊🎵
少し落ち着ついて坐ってみると、
よく心の様子🌸が見えるようになって、雑念🌀が気になるのだ。
湧いてくる雑念🌀を相手にする必要はない。
雲☁️の譬えでいえば、
浮かんでいる雲☁️は自然🍀の風景くらいに思って、
それよりも大空☀️を見つめるようにする。
心💓の本体に目👀を向ける工夫🍀をすることが大切である。
例えば、鏡✨にはさまざまな像が映るが、鏡✨の本体には何の汚れもない。😊
映画🎥のスクリーンも同じだ。🌟
どんな映像🎥が浮かんでいたとしても、スクリーン本体に汚れはつかないのだ。
だから、ただ浮かんでは消える様子🌸を静かに見つめて👀、
心の本体は、清らかなまま✨であると気がつく🌟ことだ。
雑念🌀の中に取り込まれてしまわないように、
腰を立てて呼吸☁️を調え、息を数える方法🌸が数息観🍀である。
雑念🌀を無くそうというのではなく、
相手にしない対処法🌸なのである。😊🎵
空に浮かぶ雲☁️は、浮かんでは消えていくだけのものである。
それと同じように、雑念🌀とて、相手にしなければ必ず浮かんでは消える。🌟
追いかけたり、相手にしないことが大事だ。😊🍀
(「致知」1月号 横田南嶺さんより)
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