hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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(^_^)私はとっても普通の人です。

🌸🌸世界のニート🌸🌸

2018-04-21 14:52:15 | お話
🌸🌸世界のニート🌸🌸


多くの人が「フリーターのことですか?」といいます。😊

でも、フリーター☁️とニート🌸は異なる⚡️ものです。

ニートは、今や国際的🌐な課題🌸です。

韓国🇰🇷でも1997年の経済危機⚡️以降、大学卒業後🏫も親と同じく同居し、
全て親👪に依存する未婚者「パラサイト・シングル」が大きな社会問題😵となりました。

今は彼らのことを「カンガルー族🐰」と呼びます。🎵

子を自分の袋に入れたまま養育🌸するカンガルーからの造語🌸です。

同じように、

アメリカ🇺🇸では大学卒業後、両親の家で生活🍀する世代のことを指す「トウィックスター」という言葉🍀が生まれました。

他の国でも、そういった造語🌸があります。

フランス🇫🇷では、独立しない娘を親が家から追い出そうとするコメディー📺のタイトルから
「タンギー」という言葉🍀が生まれ、

イギリス🇬🇧では親の退職年金💰をあてにして生活する人を
「キーパース」と呼びます。

ドイツ🇩🇪では親の経済力✊に頼って生活する人を指す
「ネストホーカー」という言葉🍀がありますし、

カナダ🍁でも定職につかず生活する「ブーメランキッズ」が話題🌸となっています。


こういった社会問題💢の原因はさまざまです。😊

貧困😵などの経済的理由や、親の教育力、親側の知識・関心が低いのに、子供に理想🌸を押し付けたりすることなどが挙げられます。

では、こうした子供に関する問題を解決🌟するため、
まず家庭の教育力✊を向上させるとします。

その時、親はどうすればいいのか。😊

イギリス🇬🇧の新教育🏫運動家であり、世界🌍におけるフリースクール🏫🆓のパイオニア的な存在であるA・S・ニイルは、著書の中で、

「世の中に『問題の子ども✊』はいない。

いるのは『問題の教師🌸』や『問題の親👪』である」

と語っています。😊🎵


動物🐶や家畜🐷を飼育する際は、
気温や餌といった環境🍀について科学的に考え🌀、整える🌸ことが大切ですよね。

しかし、人間の子供の場合、
親や教師が「子どものため」と無理やり💢「餌」を押し付けます。😵

そこから子どもが強い苦痛⚡️やストレス💢を感じ😵、消化不良😵になってしまうのです。

子どもたちに好ましい教育環境を与えるためには、

結果🌸を重視⚠️するのではなく、過程🍀を大切💓にすることです。

つまり、「勝てば官軍」というような考え方は、教育🌸にはあってはならないことなのです。😊🎵


(「みやざき中央新聞」H30.4.16 金泰勲さんより)

🍀🍀青春🍀🍀

2018-04-19 19:41:39 | 
🍀🍀青春🍀🍀


青春🍀とは、人のある時期🌸をいうのではなく、心💓の様相(ようそう)をいうのだ。

優れた想像力☁️、逞(たく)しい意志✊、
炎ゆる情熱🔥、

怯懦(きょうだ)を退ける勇猛心(ゆうもうしん)⚡️、

安易を振り捨てる冒険心💓、

こういう様相を青春🍀というのだ。

年を重ねただけで人は老いない。✊

理想🌈を失う時に初めて老いが来くる。


歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱🔥を失う時に精神⚡️はしぼむ。

苦悶(くもん)や、狐疑(こぎ)や、
不安、恐怖、失望、

こういうものこそ、

あたかも長年月のごとく人を老いさせ、

精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。


歳は70であろうと16であろうと、その胸中💓に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心💓(あいぼしん)、空にきらめく星辰⭐️(せいしん)、

その輝きにも似たる物事や思想に対する欽仰🙏(きんぎょう)、

事に処する剛毅(ごうき)な挑戦✊、
小児のごとく求めて止まぬ探究心💓、

人生への歓喜💕と興味🌸。


人は信念💓と共に若く、疑念😰と共に老いる。

人は自信🍀とともに若く、恐怖😱と共に老いる。

希望🌈ある限り若く、失望😵と共に老い朽ちる。


大地🗻より、神☀️より、人🌸より、
美と喜悦(きえつ)、勇気🍀と壮大、
そして偉力🌸の霊感💓を受ける限り、

人の若さは失われない。😊🎵

これらの霊感💕が絶え⚡️、
悲嘆(ひたん)の白雪(はくせつ)が人の心の奥までもおおいつくし、

皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを固くとざすに至れば、

この時にこそ人は全くに老いて、

神☀️の憐れみを乞うる他はなくなる。


(サミュエル・ウルマン、岡田義夫訳)


この詩🌸を知っていると、一生青春🍀でいられますよ。😊🎵

🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑥

2018-04-17 16:24:10 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑥


🔸服部、日本🇯🇵を救ったたという意味では、第二次世界大戦💣末期、アメリカ軍🇺🇸との

「硫黄島の戦い💢」を指揮した栗林忠道中将も、ほんとに立派✨で素晴らしい人だと思います。

🔹岡田、同感💓です。

🔸服部、平成18年に発表されたクリント・イーストウッド監督の映画🎥『硫黄島からの手紙✉️』の効果🌸もあり、

日本でも栗林中将の存在が広く認知🌸されるようになりましたが、

それまでは、その名を知る日本人はほとんどいませんでした。😊

🔹岡田、その一方で、アメリカ🇺🇸ではこの「硫黄島の戦い💣」を知らない人はいない✊ともいわれていますね。😊

アメリカ人にとっての至高の聖地✨
アーリントン国立墓地には、25メートルの彫像「硫黄島記念碑🌸」が建っています。

日米戦💢でアメリカ軍の損害が日本軍を上回った⤴️唯一の戦闘が「硫黄島の戦い」ですから、

今なおアメリカ人の心💓に永遠🌈に忘れがたい激戦💥として刻まれて⚡️いるのだと思います。


🔸服部、硫黄島は、アメリカ軍による日本本土🗾空襲の出撃地であるサイパン島🗻から東京🗼までの、ちょうど中間地点に位置しますので、

日本本土防衛🚨にとって非常に重要⚠️な拠点🚩だったんですね。

日本🇯🇵にとっては絶対に譲れない✊島でした。

この硫黄島を守るために派遣🎵されたのが栗林中将🌸を司令官とする
約2万1千の将兵たちです。

しかし硫黄島の日本軍🇯🇵は、そのほとんどが一般市民🏠として生活🍀していた徴兵による将兵で、
中年の将兵も多くいました。

しかもアメリカ軍に比べ兵器と弾薬💣も著しく欠乏😵していたんですね。

これから始まる戦闘💢が絶望的😱な戦いになることは誰の目にも明らか☀️でした。

🔹岡田、確かに戦力は雲泥の差⚡️がありました。

🔸服部、その戦い💢を指揮した栗林中将とはどのような人物だったかというと、

陸軍きってのアメリカ通で、当時としては珍しく、
アメリカの工業力🏭のすごさ、アメリカ人の強さ✊を理解していた人です。☀️

そして本当に情愛💓の深い、優しい🌸人でしてね。

常に一人ひとりの将兵のことを考え、自分の食料🍙や水💧の配給なども一切⚡️特別扱い🌸しなかったそうです。

また、己を厳しく⚡️律して、率先垂範し、
常に自分は将兵たちと一緒に戦うんだ✊ときう姿勢🌸で戦いに臨んでいたと。

🔹岡田、指導者👆の鑑(かがみ)ですね。

🔸服部、そのような将兵への情愛の深さは、やっぱり、家族🌸を大事にする気持ち💕から来ていたんだと思います。

栗林中将には東京に妻🌸と3人の子供がいたんですが、
硫黄島に着任後、家族🏠宛に実に41通もの手紙✉️を出しているんです。

特に10歳の次女・たか子さん遺した手紙などを読むと、非常に心💓を打たれる😢ものがあります。

その家族を愛する気持ち💕が将兵たちにも伝わり、

彼らに
「この将軍のためなら死んでもいい✊」

「どれほど苦しくても耐え抜き⚡️、絶対💢硫黄島は渡さない✊」

という使命感💓を奮い起こし🔥、
目覚ましい✨統率力を発揮できたのだと思います。😊


🔹岡田、そうですね。

その結果🌸、栗林中将と将兵たちは米軍が3、4日で占領するつもりでいた硫黄島🗻を36日間守り抜き✊ました。

しかもアメリカ軍🇺🇸は28,000人もの死傷者⚡️😇を出し、
これは死傷者の合計の数で日本軍🇯🇵を上回る⤴️大損害😵でした。

アメリカ軍は「勝利なき死闘」と嘆じた😩といわれます。


🔸服部、そして、もうこれ以上戦えない😢と玉砕の覚悟⚡️を固めた栗林中将は、

兵を前に
「予は常に諸子の先頭に在り!✊⚡️」

と宣言🎵し、
残存400人の先頭🌟に立って突撃💢🏃💨。

ここに、硫黄島守備隊🌸は全滅💀☁️しました。

攻撃💢の最中に負傷して歩けなくなった栗林中将は、

「屍(しかばね)を敵に渡すな⚡️」

ど部下に言い残して自決🌟しました。

その遺体は今もなお硫黄島のどこかに眠って💤います。


硫黄島🗻で栗林中将と将兵たちが命💓を賭して戦って💢くれたおかげで、

アメリカ🇺🇸はずいぶん考え方、戦略を変えた🔄とされていますね。😊

当時アメリカは日本が完璧に屈服するまで戦争💣を続け、無条件☀️降伏🌸させようとしていました。

しかし、硫黄島での日本軍の勇敢⚡️な戦いぶりを見て😵、

「日本🇯🇵はここまで戦えるのか。本土に上陸したら大変なことになる😵」

と、当初の無条件降伏の要求を放棄☁️し、

停戦条件🌸の「ポツダム宣言🎵」を提示する方向に切り替えた⚡️んです。

もしアメリカ🇺🇸が戦略を変更しなかったら、

歴史は本土決戦💢へと突き進み、

膨大な日本国民🌸と米兵🇺🇸の命が犠牲⚡️になったはずです。☀️


🔹岡田、平成6年2月、天皇☀️皇后🌸両陛下が慰霊💕のため硫黄島🗻をご訪問された時のことを思い出します。

天皇陛下☀️は栗林中将🌸の

「国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき」

という辞世⚡️の句に対して、

「精魂を 込め戦いし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき」

という御歌🎵を詠まれました。

この御歌には、栗林中将たち二万余兵の日本軍🇯🇵の死闘がアメリカ🇺🇸に深い打撃⚡️を与え、

日本を救った🌸という陛下の深い思いが込められていると私は思います。😊


🔹岡田、ここまで本気・本腰を貫いた歴史の偉人🌸たちの生き方を見てきましたが、

結局、わたし自身は1人の人間として、

日本人として、正しく☀️美しく🌸生きるとはどういうことなのかを、
偉人🌸たちから一所懸命💓学んできたように思います。

その偉人🌸たちが最も大切🍀にしてきたものは何かといえば、

私は、誠🍀、真心💓だと思います。

そして、それは世のため、人のため、国のため、私利私欲ではなく、利他の心💓で生きる🍀、

報恩🌸と感謝🌸の心💓で日々生きることだと思います。😊🎵


🔸服部、あぁ、誠🍀、真心💓…。

私はどうしても教員🏫としての立場から歴史の人物🌸を見てしまうのですが、

我われのご先祖様🌸には、もう学ぶべき人物が無数☁️にいますから、

そのことをしっかり意識🌸して歴史の勉強に向き合っていくことが大事🍀だと思ってきました。

要するに年号や出来事を学ぶだけが歴史の勉強📝ではなく、

人物🍀から学ぶ、「人物学習🌸」が大事だと。

今教育現場では、コミニケーション能力🌸とか、アクティブラーニング✨とか、
横文字🔠がどんどん入ってきていますが、

ただおしゃべり🎵できるようになればいいかというと、そうではないわけですね。😊

🔹岡田、おっしゃるとおりです。

🔸服部、やっぱり、コミニケーション能力🌸を言う前に、

歴史📚や道徳の授業でも、子供たちには、歴史の偉人たちの生き方🍀を通じて、

自分たちは、どうやって生きることが正しい☀️のか。

また、どうやって生きれば、かっこいいのか😊をしっかり考えてもらいたいですし、

自分の人生🍀の指針👆になるような人物にも出逢ってもらいたいですよね。😊

そして、そうした人物🍀を心💓に持つことは、

将来✨人生のここぞ🌟という時に必ず心の支え✊、糧🌸になるんだということを教えてあげたい。😊🎵

結局、歴史📚の人物から学ぶということは、

この偉人🌸は、あの時こうしたんだと、生き方の事例から1つひとつ自分の覚悟⚡️をつくっていくことだと思うんです。😊

そして、その積み重ね⏬の中から、人間と人間とが本質的な部分で理解しあっていくために、必要なものも自然に身に付けていく。😊✊

それは、コミニケーション能力🌸やアクティブラーニング📝を身につくような軽い☁️ものではないと私は考えています。

🔹岡田、歴史の人物を学ぶ✊ことは、自分の覚悟⚡️を一つひとつつくっていくこと。素晴らしいですね。💕

🔸服部、私たち一般人は、歴史の偉人🌸のようにいつでも本気☀️・本腰⚡️でいることは難しいかもしれません。😊

それでも日々、歴史の偉人🌸たちの生き方の事例を学んで✊いれば、

いざ⚡️という時に必ず本気・本腰で臨めると思うし、

本物☀️にも近づいていけるはずなんですね。😊

🔹岡田、日本🇯🇵はまさに国難というべき状況🌸にありますが、

今最も大切なことは、

やはり、日本人一人ひとりが

「日本人🇯🇵としての誇り✨」

を取り戻すことではないかと思います。😊

そのために大切なことは、誠🍀の心💓を持って、

公のために本気☀️、真剣⚡️に生きた歴史の偉人🌸たちに学ぶことです。

これからも日本の未来✨のため、1人でも多くの人に

歴史📚の偉人🌸に学ぶ大切さや、

素晴らしさを伝えて💕まいりいと思います。😊🎵


(おしまい)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)

🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑤

2018-04-16 11:30:42 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸⑤
(樋口季一郎(ひぐち きいちろう))


🔸服部、今ポーランド孤児救済✊の話に関連して、ぜひ語り継ぎたいのが、日本人とユダヤ人難民を巡る歴史の真実🌟です。

「命のビザ」を発給し、迫害💢された多くのユダヤ人難民を救った外交官、

杉原千畝(ちうね)のことは、教科書📖でもよく取り上げられていますので、皆さんご存知☀️だろうと思うんです。

ただ、取り上げられる方が非常に一面的でしたね。

多くの教科書📖には、同盟国のナチス・ドイツに配慮しユダヤ人を助けようとしない日本政府🏤に抗して、

杉原千畝の一存🌸で助けたかのように書かれていますが、事実🍀ではありません。

🔹岡田、最近公開された杉原千畝を題材にした映画🎥でも、そのようにつくられていますね。

🔸服部、ええ。

でもよく考えてみると、もし本当に日本政府🇯🇵がドイツ🇩🇪に配慮してユダヤ人を助けない方針だったなら、

日本に亡命してきたユダヤ人を入国拒否🚫、強制⚡️送還💨しているはずです。

しかし、実際には亡命してきたユダヤ人を、ほぼすべて受け入れて🌸いるんですね。

そもそも、当時の日本🇯🇵がことある毎に言っていたのは

「八紘一宇(はっこう いちう)」という言葉🍀です。

この言葉🍀は現在では軍国💣主義的な意味合いに誤解😵されていますが、

本来は✨人類みな兄弟、人種平等🌸という意味🍀で使われていました。😊

つまり、日本人🇯🇵は人種差別⚡️をしない✊正義の国✨なんだと。

その八紘一宇の言葉、精神から、日本政府🏤がユダヤ人を受け入れなかったということは、あり得なかったと分かるはずです。😊

🔹岡田、おっしゃる通りです。😊

🔸服部、それで杉原千畝の「命のビザ」より少し前、

一説に2万人ともいわれるユダヤ人難民😵を救った日本人🇯🇵がいたんですね。

それは、陸軍中将・樋口季一郎です。

この樋口中将の前例があったから、杉原千畝はユダヤ人を救う決断⚡️ができたのではないかと私は思います。😊


🔹岡田、この方も立派🌸な方です。

🔸服部、樋口中将が、どのようにユダヤ人難民😵を救ったかというと、

それは昭和13年3月、樋口中将が満州国に駐留していた関東軍💣のハルビン特務機関長🌸を務めている時のことでした。

満州国と国境を接するソ連🇷🇺のオトポール駅で、

ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民😵たちが、

満州国に入国できず立ち往生😵しているという情報⚡️が飛び込んできたんです。

そこで樋口中将は

「ユダヤ人難民を助けましょう。🎵
私が引き受けます」

と、ユダヤ人難民を助けることを決断⚡️し、

即座に⚡️南満洲鉄道の松岡洋右総裁に電話で特別列車🚂の運行を要請🌸。

事態の深刻さ⚡️を理解した松岡も快諾🌟して、

13本の特別列車🚂で、すべてのユダヤ人をハルピンまで送り届けたんですね。😊🎵

🔹岡田、樋口中将だったからこそできた決断⚡️ですね。

🔸服部、このあとがまた、すごいんです。😊🎵

ユダヤ人救済に対し、ドイツ政府🇩🇪から抗議💢が来ると、関東軍司令部は樋口中将を呼び出す🎵わけです。

しかし、樋口中将は

「ドイツは同盟国であり、私も日独の友好🌸を望んでいます。

しかし、そのやり方が、ユダヤ人を死に追いやる⚡️ものであるなら、

それは人道上の敵💢です。

日本🇯🇵は、ドイツの属国ではありません!」

と堂々🌟と答えたのです。

それで日本政府🏤も

「当然なる人道上の配慮🌸によって行ったものだ」

と抗議💢を一蹴👞💨しました。


🔹岡田、毅然✨とした態度です。

🔸服部、樋口中将は、弱い者や虐げられた者を放っておけない、心の優しい🌸方だったことが、様々なエピソード🎵から伝わってくる方ですが、

ご本人は

「自分がユダヤ人を救った」

とか、周囲にあまり語らなかったそうです。

先日お話を聞く機会のあった樋口中将のお孫さんも、

「お祖父さんは、本当に自分がやったことを語らない人だった😊」

とおっしゃっています。🎵

そういうところも、偉いというか、男らしくてかっこいいな😊と思います。😊💕


🔸服部、それからもう一つ、樋口中将の偉業🌸として触れておきたいのが、

「占守島(しゅむしゅとう)の戦い💢」です。

🔹岡田、これも本当に長く語り継がなくてはならない偉業🌸ですね。

🔸服部、第二次世界大戦💣が終戦を迎えた8月15日。

日本🇯🇵は、あと武装解除🚫し、降伏🙌するだけという状況の中、

日ソ中立条約を破棄💢して宣戦布告していたソ連🇷🇺が、

突如⚡️として、カムチャッカ半島から千島列島に侵入💨、攻撃💢🔫してきたんですね。😵

スターリンは北海道まで占領しようとしていたといわれてます。😵

それでその当時、北方の最高責任者🌟である北部司令官だった樋口中将は、

千島列島の最北端に位置する占守島で、ソ連軍に断固✊反撃💢することを決断⚡️します。

抵抗すれば本国に帰れるはずの将兵たちを死なせて😇しまうかもしれないと、非常に悩まれ🌀たと思うんですが、

ここで戦わなければ、日本🇯🇵の名誉🌸が潰れる、

ソ連の行為は正義🍀に反する💢として戦い⚡️を決意🌟したのです。

🔹岡田、ああ、名誉🍀と正義🍀のため。

🔸服部、そして占守島の守備隊は、ものすごい激戦💢を繰り広げ、ソ連軍を撃退。💨

結局は、日本政府🏤🇯🇵の指令で抵抗を止めざるをえなくなるんですが、

ソ連軍が千島列島の最初の1歩でつまずいた😵ことで、北海道を占領するというスターリンの野望😈も潰えるんですね。

というのも、ソ連軍がようやく国後島あたりまで来た頃には、

すでにアメリカ軍🇺🇸が北海道に進駐していたからです。

ですから、樋口中将の決断⚡️がなければ、今頃北海道はソ連領🇷🇺になり、

日本も朝鮮半島🇰🇷のような分断⚡️国家になっていたかもしれません。😵

樋口中将は日本🇯🇵を分断国家の危機⚠️から救ったといえます。


🔹岡田、そう思うと大変な功績👑ですね。

私の故郷は北海道深川ですから、樋口中将🌸がいなくては私もどうなっていたかわかりません。😊🎵


(つづく)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)

🍀🍀人は、なぜ本来の「素直さ」を見失うことがあるのでしょうか?🍀🍀

2018-04-12 14:30:43 | ひとりさん
🍀🍀人は、なぜ本来の「素直さ」を見失うことがあるのでしょうか?🍀🍀


見失う😵と言うより、周りから見ると、見失っているように見える人でも、

本人の魂💓は、そのことを学び✊たがっているだけなんだよ。😊

要するに、人に言うことを聞かせようとしている人からすれば、

聞かない人は素直じゃない⚡️って映る🌈だけなの。

でも魂的✨に見ると、

「自分は、こういうことをしたい✊」

って言い出すこと自体が、素直🍀になっている証拠🌸なの。

一昔前は、親の言うことを聞くこと、

要するに、扱いやすい子のことを「素直な子」って呼んだの。🎵

でも、これからは、幸せ💕に向かって素直🍀に生きている子を「素直🍀」っていうんだよ。

素直さの意味自体が
「相手から自分」というように変わって🔄きているんだね。

じゃぁ、自分の心💓に素直🍀になって、

働きたくない😵、学校🏫に行きたくないって子はどうなのかって言うと、

行かないとどうなるかを本人が素直に学べば✊いいだけなの。😊🎵

そんなふうに思う人たちにとって、

ようやく魂💓の経験🌸ができる環境が整った、というのが現代🍀なんだよ。

この家族🌸で、この環境🍀で、この場所🎵で、魂💓のことを学ぶんだっていうね。

これからは素直さの意味自体が変わっていくわけ。😊🎵

今までは、親とか目上の人に対して素直かどうかが問われる時代だったんだよね。

でも、ここからは自分に素直🌸ということを学ぶ✊時代なの。


一人さんは、中学🏫も行きたくなくて、ろくに通わなかったの。😊

まさに「自分に素直」に生きてきたんだよね。

でも、だから成功👑しちゃうの。

それにしても、うちのお袋はすごかったよ。😊

学歴🏫が大事、親の言うことを聞くのは当然☀️って時代に、

学校🏫に行かない一人さんに

「僕ちゃんは学校🏫向きじゃないんだよ。

きっと社会に出たら出世✨するよ」

って言って、一人さんの素直さを信じてくれたんだから。😊🎵

そんなふうに、自分に素直🍀で働き者に産んでくれたお袋に感謝🌸しているの。😊💓


(「『素直さ』こそ最強の武器である」斎藤一人さんより)