hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
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(^_^)私はとっても普通の人です。

🍀🍀誰に対して素直なのか?🍀🍀

2018-04-11 14:43:43 | ひとりさん
🍀🍀誰に対して素直なのか?🍀🍀


一人さんが思うことだから、みんなに当てはまるかどうか、わからないんだけど、

一人さんは、こう思うんだよね。😊

だいたい素直🍀って、みんな勘違い⚡️しているんだよ。

素直っていうと

「他人に対しての素直さ」

と考える人が多いんだけど、

本当は

「自分に素直🌸」

ってことだよね。😊☀️

成功の秘訣㊙️は、素直なことだよってよくいうけど、

多くの人が素直🍀に人の言うことを聞いて騙された😵とか聞いたりもするよね。

じゃぁ、現実的に、そういう素直な人は、

あまり成功してないんじゃない😵かってことだよね。

実際、周りを見てみると、

素直な人より、ズルがしこい😈人の方が成功していることもあったりして… 。

だったら、他人🌸に対して素直🍀な人が成功するっていうのは、

一人さんは、おかしい😵んじゃないかって思ってるの。😊

じゃぁ、何が1番いいと思っているかというと

「自分に素直🌸」

ってことなんだよ。😊

自分の気持ち💓に対して素直🌸ということなの。

わかるかい?

そして、素直さを、違う言葉🍀で表すとしたら、

「愛❤️」と「光✨」

かな。😊

それは、神様☀️が求めているものでもあり、

自分に素直🌸でいると、

どんどん溢れ出して⛲️くるものでもあるんだよ。✨✨✨


人は、生まれる前は、
「男👨」でも「女👩」でもなく、

愛❤️と光✨でできた魂💓だったんだよね。

そして生まれて🍀くる時に、

今世の課題🌸にぴったり🌟合うように「男」か「女」を選んできたの。😊

なぜ選んできたかと言うと、

そのどちらかの性🌸を通して学んだ方が、
魂💓を向上⤴️させられるからなんだよ。😊

男👦で生まれてきた人は、

その方が幸せ💕に気づき🌟、

いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できるから。


女👧で生まれてきた人は、

そのほうが幸せ💕に気づき🌟、

いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できるから。

男(女)の体を持って、女(男)の心で生まれてきた人は、

そのことで、たくさん幸せ💕に気づけ🌟、
いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できる人。


素直🍀に自分のことを受け入れて、その中から幸せ💕を見つけると、

魂💓が本来の輝き✨を放つようになるんだよ。😊🎵


(「『素直さ』こそ最強の武器である」斎藤一人さんより)

🍀🍀誰に対して素直なのか?🍀🍀

2018-04-11 14:40:38 | 笑み字
🍀🍀誰に対して素直なのか?🍀🍀


一人さんが思うことだから、みんなに当てはまるかどうか、わからないんだけど、

一人さんは、こう思うんだよね。😊

だいたい素直🍀って、みんな勘違い⚡️しているんだよ。

素直っていうと

「他人に対しての素直さ」

と考える人が多いんだけど、

本当は

「自分に素直🌸」

ってことだよね。😊☀️

成功の秘訣㊙️は、素直なことだよってよくいうけど、

多くの人が素直🍀に人の言うことを聞いて騙された😵とか聞いたりもするよね。

じゃぁ、現実的に、そういう素直な人は、

あまり成功してないんじゃない😵かってことだよね。

実際、周りを見てみると、

素直な人より、ズルがしこい😈人の方が成功していることもあったりして… 。

だったら、他人🌸に対して素直🍀な人が成功するっていうのは、

一人さんは、おかしい😵んじゃないかって思ってるの。😊

じゃぁ、何が1番いいと思っているかというと

「自分に素直🌸」

ってことなんだよ。😊

自分の気持ち💓に対して素直🌸ということなの。

わかるかい?

そして、素直さを、違う言葉🍀で表すとしたら、

「愛❤️」と「光✨」

かな。😊

それは、神様☀️が求めているものでもあり、

自分に素直🌸でいると、

どんどん溢れ出して⛲️くるものでもあるんだよ。✨✨✨


人は、生まれる前は、
「男👨」でも「女👩」でもなく、

愛❤️と光✨でできた魂💓だったんだよね。

そして生まれて🍀くる時に、

今世の課題🌸にぴったり🌟合うように「男」か「女」を選んできたの。😊

なぜ選んできたかと言うと、

そのどちらかの性🌸を通して学んだ方が、
魂💓を向上⤴️させられるからなんだよ。😊

男👦で生まれてきた人は、

その方が幸せ💕に気づき🌟、

いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できるから。


女👧で生まれてきた人は、

そのほうが幸せ💕に気づき🌟、

いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できるから。

男(女)の体を持って、女(男)の心で生まれてきた人は、

そのことで、たくさん幸せ💕に気づけ🌟、
いろんなことを🌸経験🌸しながら魂💓を向上⤴️できる人。


素直🍀に自分のことを受け入れて、その中から幸せ💕を見つけると、

魂💓が本来の輝き✨を放つようになるんだよ。😊🎵


(「『素直さ』こそ最強の武器である」斎藤一人さんより)

🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸④

2018-04-10 18:51:25 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸④
(松沢フミさん)


🔹岡田、もちろん歴史上の偉人🌸も大事なんですが、

日本🇯🇵には「名もなき一庶民」が、歴史に残るような偉業🌸をなした例が数多くあります。😊

例えば、日本政府🏤と日本国民が力を合わせ、多数のポーランド孤児👦👧を救った話などは、

ほとんど知られていないと思います。😵

🔸服部、知られていませんね。

🔹岡田、これはどういう話かというと、

第一次世界大戦💣やロシア革命🇷🇺⚡️の混乱🌀の中、

シベリア⛄️にいたポーランド人が、数多く亡くなり😇、両親を失った😵孤児が何千人🗻と出たのです。

そこで、その悲惨な😵状況を見るに見かねて、ウラジオストック在住のポーランド人たちが立ち上がり✊、

大正8年に「ポーランド救済委員会🌸」がつくられました。

ところが、救済委員会が欧米各国🌍に「孤児たちを助けてほしい🙏」と訴えても、

同じキリスト教国にもかかわらず、ことごとく断る✋んです。

🔸服部、欧米諸国は断った⚡️と。😵

🔹岡田、それで「もう頼れるのは日本🇯🇵しかいない」と、救済委員会🌸の会長が日本にやって来て、

当時の原敬内閣🏤に

「孤児を何とかしてもらえませんか🙏」

と嘆願します。

日本政府🇯🇵は、その救済の申し出を快諾🌟。

日本赤十字社🏥が救援活動🍀を中心に担い、

早くも翌月7月には、375人のポーランド孤児👦👧を
陸軍輸送船🚢に乗せ、敦賀経由で東京🗼まで運びました。

🔸服部、本当に迅速⚡️な対応でした。


🔹岡田、それで子供たちは、もう飢えて体はガリガリ😱、半病人😨もいっぱいいたのですが、

それを全員治療🌸して健康🍀にし、着物👚も与えてあげて、

祖国ポーランドまで送り返して↩️あげました。🎵

さらに大正11年には、

第二回救済事業🌸として、大阪で390人の子供たちを受け入れ、

同じく1人の死者を出すこともなく祖国🌍まで送り返しました。😊

また、大正天皇のお妃🌸である貞明皇后様も、ポーランドの子供たちに深く同情💓され、

現在の価値👑で約5000万円の御手元金💰を出されていますし、

ポーランドの子供たちの元には、

全国🗾から、子供用の衣服👚や義援金💰などが殺到⚡️しました。


🔸服部、困っている人の力✊になりたいという日本人🇯🇵の優しい💕心根が伝わってきます。😊🎵

🔹岡田、この第一回救済事業の時には、日本国内で腸チフスが流行し、二十数人のポーランドの子供たちが腸チフス👿に罹ってしまいます。😵

日赤の医師🏥や看護師🌸たちが

「ここで死者を出したら申し訳ない」

と、全力✊をあげて治療💉したことで、
全員元気🍀にすることができたのですが、

その時に、看護🌸をしていた
23歳の松沢フミという女性🌸が腸チフスに罹るんです。😵

ところが、フミは腸チフスになっても、
昼夜問わず献身的に子供たちを看護🌸し続け、

心配する同僚🌸たちには、こう言ったといいます。

「人は誰でも、自分の子👶や弟👦や妹👧が病に倒れたら、

己が身を犠牲⚡️にしても助けようとします。😊

けれども、この子たちは、両親も兄弟🍀、姉妹🌸もいないのです。✊

誰かが、その代わりにならなければなりません。✊

私は、決めた🌟のです。

この子たちの、姉🌸になると☀️」


そしてフミは、殉職😇。

ポーランドの子供たちは、その死を悼み😭、声が嗄れるほど泣いた😭といいます。


🔸服部、胸を打つ😭お話です。

フミは、医師が

「もうこの子は助からないかもしれない😰」

という女の子👧を、

「どうせ死ぬなら、私の手の中で死なせてあげよう😊」

と言って、毎晩🌌、就寝の時に抱き寄せて☀️添い寝💤したそうですね。

それで、腸チフスが、うつってしまった。😵

そうしたフミが示した思いやり💕の心❤️は、

私たちが子供たちに、ずっと語り継い☁️でいかなくてはなりません。✊

🔹岡田、フミは名もなき一庶民🌸ですが、

歴史📚に残されるべき偉人🌸です。😊☀️


(つづく)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)

🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸③

2018-04-09 18:19:12 | お話
🌸🌸知られざる日本の偉人🌸🌸③
(柴 五郎 (しば ごろう)さん)


🔸服部、私はやっぱり母👩の影響☁️でしょうか、
会津出身の偉人の勉強して、いろいろやってきたんですが、

その中でも、特に柴五郎🌸中将👑はもっと多くの日本人に知られてもいい本当に立派🌸な方だと思います。

🔹岡田、私、柴五郎は多くの人に、ぜひ知ってほしい人の1人です。

🔸服部、幕府軍🏯と明治新政府軍🏤が戦った「戊辰の役」で会津藩が破れた😵とき、柴はまだ8歳でした。

しかしその後も、朝敵💢とされた会津藩の悲劇は続き、柴は父や兄とともに青森の斗南(となみ)藩に強制的💢に移住🌸させられ、

もう飢え死に😵するんじゃないかというほど、

非常に厳しい⚡️生活を余儀なくされるんですね。

それこそ、死んだ💀犬の肉🍖を吐き気を抑えながら食べたといいます。

その極限⚡️状態の中、お父さんがまた立派な方でして、

子供たちに

「ここは戦場💥なるぞ」

「これくらいで弱音を吐くな✊」

と厳しく⚡️教えるんです。

やっぱり侍🍀の矜恃というのは、すごいなと思います。


🔹岡田、おっしゃるとおりですね。

🔸服部、その後、長じて陸軍💣に入った柴は刻苦勉励📝し、頭角✨を現していきますが、

特に、その名を広く知らしめたのが、

明治33年(1900年)に清国で起こった「義和団事件」の際の指揮👆統率🌸です。

義和団事件💢は、秘密結社の、義和団と農民🍀が蜂起🔥した、外国人排斥運動✊として始まりましたが、

やがて清国も列国に宣戦布告💢。

清国軍は北京の外国公使館🏤を包囲して攻撃💣💢を始めます。

そして日本🇯🇵を含む8カ国の軍隊と義勇兵✊約500人が、

1万の清国軍💣を相手に、

2カ月の籠城戦💢を余儀なくされるのですが、

この戦いのリーダー👆となったのが北京の日本公使館🏤付武官だった40歳の柴中佐🌸なんですね。

🔹岡田、日本の柴中佐が各国の軍隊の指揮統率🌸を担うことになった。

🔸服部、というのも、柴中佐は英語🇬🇧もフランス語🇫🇷も流暢に話せましたから、

自然に各国の軍隊💣の意思疎通の役割を果たすようになったんです。

柴中佐の働きで作戦計画なんかも上手に立てられた。😊

それに何といっても、柴はなかなかのイケメン💓でしてね(笑)、

大使の奥様🌸方にも非常に人気💕がありました。

それで柴中佐は、攻防の焦点🌟となる公使館区域中央部の守備✊を指揮👆することになりますが、

わずか100数十名の兵力🔪で奮戦💢し、

その数十倍の清国軍を撃退💢。

ついに敵の侵攻を阻み抜き⚡️ます。

柴中佐が敗れていれば、各国の居留民は1人残らず殺されて😇いたかもしれません。


🔹岡田、おっしゃるとおりです。

義和団事件の時に、もし柴中佐の卓越した指揮👆統率🌸がなかったら、間違いなく全滅😇、皆殺し😵でした。

よく日露戦争💣で日本🇯🇵の軍隊が世界一、二であることを証明✨したと言われますが、

実は義和団事件の時に証明☀️したんですよ。

義和団事件では、英、米、露、仏、独などの軍隊🌸が一緒に戦い💢ましたから、
いわば軍隊💣のオリンピック🌈のようなものです。

おのずと各国軍の優劣が表れてくる。

その中で当時、世界一の覇権国🚩だったイギリス人🇬🇧がこう言っているんです。

「各国の中で最も優れていたのは
柴中佐、日本🇯🇵の将兵だ。

その次がイギリス🇬🇧だ」

と。

また、野戦病院🏥でも日本兵の立派さ🌸は際立って✨いました。

怪我の処置をする際、各国の兵隊たちが泣き叫ぶ😂中で、

日本🇯🇵の兵隊たちは、どんなに痛く💢ても軍帽をかっと噛み締め、絶対に声🎵を上げない。🚫

各国の看護師🌸たちはその日本兵の姿を見て、

「我が国の兵は、なんて情けないんだ😵」

と感嘆します。


🔸服部、そうですね。
各国のジャーナリストも、柴中佐と日本🇯🇵の兵隊さんのことを褒め称え🌸ています。

🔹岡田、先ほど、義和団事件は軍隊のオリンピック🌈だと言いましたが、

私は同時に国民性🌸のオリンピック🌈でもあったと思います。😊

軍事力💣だけではなく、日本人🇯🇵の国民性の素晴らしさ💕も明らか☀️になったと。

そして、その柴中佐の活躍🌸がイギリス🇬🇧の日本🇯🇵への信頼🍀を生み、

ひいては、後は日英同盟🇬🇧🇯🇵にも繋がりました。😊🎵

🔸服部、日英同盟が結ばれたのは義和団事件の2年後☁️ですからね。

🔹岡田、そういう意味でも、柴中佐の働き✊は永遠☁️に歴史に刻まれる⚡️べきものなのです。😊🎵


(つづく)

(「致知」4月号 岡田幹彦さん服部剛さん対談より)

🌸🌸優先順を決める🌸🌸

2018-04-03 22:39:59 | お話
🌸🌸優先順を決める🌸🌸


ひとりの青年🍀が、人生や将来に不安😵を抱えながら、ビーチを散歩👟👟していた。

すると、遠くの波打ち🌊際の岩に見知らぬ老人👴が座っていた。

青年が近づくと、老人👴は青年を見上げて言った。

「君が答えを得たいと思っている疑問は、何だね?」

青年🍀は答えた。

「しなければならないことがとても多くて、😵

どれを最初✨にやったらいいのか、わからないんです😵」

すると、老人は、

浜辺に落ちていた粗末なガラス🌟の壺を取り上げると、

そこに石✨を詰め始めた。

どれも、彼のこぶし✊ほどの大きさだった。

壺の口までいっぱいにすると、老人は青年に言った。

「この壺は、いっぱいか?」

青年は、そうだ🌟と言った。

老人は黙って頷き、

今度は、ひと握りの小石✨を拾い上げ、壺に入れた。

彼が壺を軽くゆすると、小石は石の間になんなく滑り込んだ。

老人は再び訪ねた。

「さぁ、今度はいっぱいかね?😊」

青年は、そうだ🌟と答えた。

老人は、次に、細かい砂✨をひと握り✊つかむと、壺の中に入れた。

砂は小石✨と大きな石✨の隙間に流れ込んだ。

今度はもう隙間なく、壺は完全にいっぱいになった。

「さて」

と老人👴は言った。

「最初に砂✨を入れる過ちを犯す人がいる。

そんなことをすると、

小石✨も大きな石✨も入らなくなる。

君の人生🍀も、同じだ☀️」


時間🕐とエネルギー⚡️を、ささいな重要でないことに割いて⚡️しまうと、

本当に重要⚠️なこと、幸せ💕に欠かせないことに、

それらをさけなくなってしまう。😵

優先順🌸を決めることだ。☀️

最初に大きな石✨を、、、

本当に重要⚠️なものを入れることだ。😊🌟

砂は、放っておいてもいい。💕

あなたが最初に入れる石✨は、何だろうか。😊🎵


(「新 自分を磨く方法」スティービー・クレオ・ダービック著 干場弓子訳より)