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🐝🐝ミツバチと環境🌏🌏

2018-06-16 19:32:50 | 基本的な考え方
🐝🐝ミツバチと環境🌏🌏


(船橋さんは養蜂家🐝としてハチミツ🍯をつくるだけのなく、

環境問題🍀に関しても積極的⚡️に情報発信📡をしておられるそうですね)

🔹船橋、環境問題🍀をより身近に感じてもらうためには、ミツバチ🐝のことを話すのが1番わかりやすい😊からなんです。

そもそも地球上🌏の食べ物のうち約70%はミツバチ🐝の受粉🌸に支えられていて、

それを知ってか、あのアインスタインも

「ミツバチ🐝が地上から姿を消す☁️と人類は4年以内に滅びる⚡️」

と語っているんですよ。😊


(世界的な物理学者📗がそんな言葉を残しているのですか)


🔹船橋、なぜそんなことが言えるのかというと、

ミツバチ🐝が地球上🌏の生態系🍀を維持する起点🌟として存在🌸しているからなんです。😊

ミツバチ🐝は花🌸から花🌸へとミツを集める傍ら受粉🌸を手伝っている🎵ため、

様々な野菜🍆や果物🍎などの実🌸がなる。

その実🌸を食した動物🐻🐵たちの糞💩に紛れて大地に種子が落ち、

芽🌱が出ることで森🌲🌲🌲が維持されていく。

その森は酸素🍀を生み出すとともに、

土壌に溜まった水💦が栄養素🌸と一緒に染み出て、

川から海🌊へと注がれ、その栄養素🌸でプランクトンが育ち、魚介類🐟🐚の餌になる。


その一方で、海🌊の水が蒸発♨️して雲☁️ができ、

雨☔️を降らせて大地⛺️や生き物を潤す💧わけですが、

ミツバチ🐝がいなくなってしまうと、こうした循環🔄がストップ🚫してしまうのです。

食物連鎖🔗というのは学校🏫でも習うと思いますが、

地球上🌏の命💓の連鎖については教わりませんよね。😊

だから日本🇯🇵ではミツバチ🐝を見ると、

「あ、怖い😵。逃げよう💨」

ってなるのに対して、

フランス🇫🇷などでは、きちんと教えられているので、

「ミツバチ🐝さん、ありがとう🙏」

となる。


(ミツバチ🐝に対する認識が国によって全然違う⚡️わけですね)

🔹船橋、ええ。

そして、ミツバチ🐝の数が実際に減って⤵️いて、

2008年の時点で、北半球🌏のミツバチ🐝が3分の1程度になったという報告📝もあります。😵

詳しい統計は出ていませんが、

僕ら養蜂家🐝🏠にしてみれば、ミツバチ🐝は着実に減って⤵️いることは肌身で分かる🌟んですよ。

もし、このままミツバチ🐝の減少⤵️が続けば、いずれ食糧危機💢が訪れる。

その兆候は、クマ🐻やイノシシ🐷が人里に出てきていることにも表れていて、

その原因はミツバチ🐝の減少⤵️に伴って森🌲🌲の中で、わずかしか受粉🌸が行われていないことにあって、

食料となる木の実🌰などが著しく減って⤵️いるからなんですよ。😵😵😵


(なぜミツバチが減っているのでしょうか?)

🔹船橋、その理由🍀は主に2つあって、

一つは農薬💉です。

中でも、ネオニコチノイド系農薬💉はミツバチ🐝の脳神経🌀をダメ😵にして死滅💀させる。

実際、僕が育てているミツバチ🐝も、一昨年の秋に1度に40万匹が全滅😵してしまい、

その原因🍀を調べてみたところ、

近くで農薬💉が撒かれて💨いたことが分かりました。😵

(一夜にして40万匹も)

🔹船橋、もう一つの理由🍀が、地球温暖化♨️に見られる気候の変化↕️です。

僕らが子供の頃は、春夏秋冬☀️⛄️が割とはっきり⚡️していたと思うんですが、

いまは冬⛄️でも冬らしさが薄れてきてしまったでしょう。😵

ミツバチ🐝にとって冬越し✊というのは大きな試練⚡️なんです。

そのため、ミツバチ🐝たちは体を寄せあって、

羽を震わせながら巣箱の中を34度に保って♨️桜🌸の開花の時期をじっと待ち✊ます。

ところが、まだ冬⛄️の最中に暖かい♨️日☀️があると、ミツバチ🐝は動いちゃうんです。😵

ところが、またガクン😵と寒くなる⤵️もんだから、

その際に、力尽きて😵死んで😇しまう。

つまり環境🍀の変化による生態系🌸へのダメージ⚠️も放って置けないんですよ。😊


(その2つの原因でミツバチ🐝が徐々に減ってきていると)

🔹船橋、生き物🍀の減少って、なだらかに下降⤵️することはなく、

下降し始めた時点🌟でドーン💣と落ちる⤵️んです。

ミツバチ🐝にしても、いまグッと落ち始めたところにいる感じなので、

このまま手を拱(こまね)いていれば、

日本🇯🇵では、10年もかからずミツバチ🐝がいなくなってしまう😵かもしれません。✊

先進国🌍の中でも、特に日本🇯🇵はミツバチ🐝が減少⤵️する条件が揃ってしまっているんです。😵

だからこそ、ミツバチ🐝を起点🌟に地球上🌍でいま何が起こっているのかを伝える🎵のが、

僕の役割🌸だと思っています。😊☀️


人類🌸の生死🌝🌚を司る小さな生命💓を、このまま根絶やし⚡️にしてしまってよいのか✊という問題は、

環境🍀について考える上で大切🌸な視点👀だと思うんです。


(養蜂家🐝としての活動は何年ぐらい経つのでしょうか?)

🔹船橋、今年で7年目になりますが、それ以前は環境🍀シンクタンク🏢の社長👑でした。

環境問題🍀を突き詰めてやってきた人間🍀が、養蜂家🐝🏠になったのは世界中🌏探しても、おそらく僕ぐらいだと思います。😁

51歳を境に、それまで築いた地位👑や名誉🍀、財産💰すべてをなげうって💨、

つなぎ姿で、日の出🌄とともに仕事場に向かう生活🍀となり、

収入💰なんて、それまでの20分の1になりましたからね。😁


(なぜ、それでも養蜂家🐝🏠の道を選ばれたのでしょうか)

🔹船橋、ある環境問題🍀の公演後🎤に若い女の子👧が僕の前に来て、

「先生🍀、私たち、子供👶を産まないほうがいいですよね🎵」

って話し掛けてきたんです。😵

彼女🌸には未来✨への希望の代わりに絶望💀しかなく、

「こんなに生きづらい世の中で、しかも環境🍀まで、めちゃくちゃ🌀なのに、

これから子供👶を産み出すってことは、

その子に苦労😵を強いる💢ことですよね」

って。😵

それも1人じゃなく、何人か😵に言われました。😵

同じ時期に中学2年生🏫の女の子👧が、環境問題🍀についてインタビュー🎤したいと尋ねてきたことがありましてね。

環境問題🍀って、結局は人間🍀の話になるんですけど、

話の途中で、その子が急や泣きじゃくり😂ながら、

「船橋さん、生きる💓ってなんですか?

人生🍀って何ですか?

私の周りの友達🌸が、みんな下を向いて病気🏥になっていきます。

私たちを助けてください🙏」

って叫ぶ💢ように訴えて⚡️きたんです。

(では、そういった切実な声🎵が後押しになったわけですね)

🔹船橋、彼女たちの言霊🌸の剣🔪が、僕の胸💓をズボッ🌟と貫いた⚡️⚡️⚡️。

自分の無力さ😮を感じるとともに、もうシンクタンク🏢の社長👑やっていられない😳、そう思ったんです。

その直後に、たまたま知人🍀に誘われたのがきっかけで、ある養蜂家🐝🏠を訪ねました。


実際🌸にミツバチ🐝を見たり、75歳の養蜂家🏠にミツバチ🐝が危機的⚠️状況に置かれていることなどを聞いて👂いるうちに、

僕は稲妻⚡️に打たれた💢ような感覚💫に襲われて、ハッと😵気づいた🌟んです。

そうか🌟、

ミツバチ🐝を先生🍀にして、教えてもらったら、

きっと、すべてが解決🌟するだろうって。😊☀️


(ミツバチを先生🍀にして学ぶために養蜂家になられたと)

🔹船橋、ミツバチ🐝のことは知っていても、本当の意味🍀で分かってはいませんでした。😊

分かるっていうのは頭🌀ではなく腹🌟です。

僕は、その時に腹🌸に落ちた。✊

それで会社🏢を辞める✋という行動に出たんです。


僕は愛知県出身なので、地元で養蜂🐝🏠を始めたのですが、

実は最初から商品🍯自体にはすごく自信🍀があったんです。

それもあって、いまはたくさん売れて💕いますけど、

以前は知名度🌟がないからずいぶん苦労をしましてね。😵

寒空の下⛄️、スーパー🏬の入り口に長机を1本出して、息子と2人で凍えながら、

「試食してください💕」

って朝🌄から晩🌌まで言い続けて、やっと一個売れるなんていう時期もありました。😳😵


(どのようにその状況🌸を脱したのでしょうか)

🔹船橋、シンクタンク時代に環境🍀の展示会に出展した際、隣のブースに池内タオル🚩の社長👑がいましてね。😊

売り上げ低迷を打破💢するために、風力💨発電⚡️を利用した
「風で織るタオル」を打ち出したばかりの頃で、

誰からも見向きされていませんでした。😳

ところがしばらくして、ニューヨーク🇺🇸の展示会🏤に出てグランプリ👑を取ったのを機🌸に、

日本🇯🇵のバイヤーが手のひらを返す🔀ように押し寄せて🏃🏃💨きたんですよ。😊

(いわゆる逆輸入🚢ですね)

🔹船橋、そのことをふと思い出し🌟て、そうだ、僕もニューヨーク🇺🇸に行こうと。✊

そうしたら、食の専門家🏠に、食に関してはパリ🇫🇷に限る⚡️と助言をいただいたので、

それならばと、パリ🇫🇷に行くことにしたんです。😊

そして、いざ出国✈️するにあたって、僕は3つの目標🌟を立てました。

1つ目は池内タオル🚩のように現地の人たちに認めてもらうこと。🌟

2つ目は屋根裏で養蜂🐝を行っていることで有名なオペラ座🏠に行って、何がしかの関係性🌸を持つこと。

そして3つ目がミツバチ🐝を使った環境教育🍀をしているパリ中央養蜂委員会の会長👑と会って、意見交換🎵をすることでした。😊

とはいえ、お金💰がありませんから銀行🏦に借金して、ハチミツ🍯を50個を担いで✊出掛けていきました。😊


(現地では何から着手されたのでしょうか?)

🔹船橋、パリ🇫🇷に着いたらすぐにシェフ🍳やパティシエ🍰、ハチミツ🍯専門店の方々に会いに行きました。

すると口々👄👄に

「これは、世界一👑のハチミツ🍯だ😍」

と言ってくれましてね。

ある店🏠では、

「すぐに、4千個持ってきてくれ🎵」

って頼まれました。😊

そればかりか、まるで水戸黄門🌟の印籠💮のように、

僕のハチミツ🍯を持っていくと、

ビックリするくらい、もてなしてくれるんです。😍

(それは不思議ですね)

🔹船橋、これは後で知ったことですが、

向こうでは

「ハチミツ🍯の味は、つくり手の人生🍀そのもの」

という考え方があって、

「世界一👑おいしいハチミツ🍯をつくる君は、世界一👑の人間🍀だ」

となる。😊

それでどこに行っても、僕をVIP👑のように扱ってくれたんです。😊

これで1つ目の目標🌟が達成したわけですが、

次のオペラ座🏤については、

アポなしで総支配人🌸に会いたいと正面から行ったところで門前払い⚡️されますよね。

そこで、バレリーナ専用の裏口🌚から潜り込もうとしたのですが、

当然、そこには警備員👮がいる。😊

通訳🌸も連れていましたけど、僕は破れかぶれで

「ボンジュール🎵」だけで押し通ろうとしたんです。

しかも、これでもかってほどの満面の笑み😊で(笑)。

そうしたら警備👮も挨拶🎵を返してくれて、スッ☁️と通れてしまったんです。😊

そうやって第一関門💥、第二関門💢と次々と突破💢して、

何とか執務室🚪までたどり着いたところ、

そこには100人ぐらいのスタッフ🌸が仕事🍀をしていました。

その内の1人を呼んで、

総支配人🌸に合わせてほしい🙏と伝えたのですが、

なぜ部外者がここにいるんだ😵ということで、大騒ぎ💢になってしまったんです。😵😵😵


その騒ぎ💢を聞きつけて、警戒感⚠️あらわに現れたのが、

俳優🌸のリチャード・ギアのようにオーラ🌈のある人物🌸で、

ひと目👀で総支配人🌸だと僕には分かりました。🌟

ただ、ここであれこれ言ったところで放り出される💨と思ったので、

ハチミツ🍯の蓋を開けて、彼の口元に持っていったんです。😊🎵

屋根裏で養蜂🐝をやっているくらいですから、彼は僕のハチミツ🍯にも興味🌸を持った。

ひと口👄食べてくれた

その瞬間⚡️でしたね、

彼の態度🌸がガラッと変わり🔄、

「大変失礼いたしました。😊

どうぞこちらへ💕」

って、丁寧💛に総支配人室🚪へと案内🌸されたのは(笑)。


(まるで映画🎥のシナリオのような展開ですね(笑))


🔹船橋、先ほど話したように、ハチミツ🍯の味で私のことを世界一の人間🍀だと認めて🌟くれたんです。

そればかりか、これはという人物🍀を次々と紹介🌸してくれた上に、😊

養蜂🐝に関わる人間以外、誰1人足を踏み入れたことのないという屋根裏に僕🍀を入れてくれたんですよ。😊

(ごく限られた⚡️人しか入れない場所に案内されたと)


🔹船橋、そもそもオペラ座🏤で養蜂が始まったのは30年以上前のことで、

それが世界における都市型🌆養蜂🐝の先駆け⚡️でした。

その創始者☀️であると総支配人🌸が、ヨーロッパ人にとって聖地✨とされるミツバチ🐝の園に僕🍀を案内してくれたんです。

そればかりか僕と息子の2人で運営していた

一般社団法人「ハニーファーム」とオペラ座🏤との間で協力関係🌸を築くために、

姉妹🌸提携まで結んでくれたんですよ。😊

(それはすごい😵)

🔹船橋、そして最後に残った目標🌟に関して言うと、パリ中央養蜂委員会っていうのは、

ヨーロッパ🌍で1番規模の大きなミツバチ🐝の団体で、300年以上の歴史📚があるんです。

それだけに、その会長👑と会うなんていうことは

本来ありえないんですけど、ハチミツ🍯が会わせてくれました。🌟

このハチミツ🍯をつくる人間ならばぜひ会いたい✊ってことで。😊

しかも多忙⚡️を極め中、僕のために三日間☀️も時間🕑を割いて、

養蜂🐝に関するノウハウ✨や環境教育🌸に関することなど全部🌟教えてくれたんです。😊🎵

そればかりか、

互いに意見交換🔄をするうちに仲良し💕になったことから、

700人のスタッフを擁し、5千箱の巣箱を有する団体🏢と、

当時30箱を持つハニーファーム🏠とが、

ここでも姉妹校🏫提携🌸を結ぶことになったんです。😊

こうして2週間🍀にわたる滞在期間☁️を経て、無事☀️に帰国することができました。😊🎵


(ここまで話を伺ってきて1つ気になったのですが、

なぜ船橋さんのハチミツ🍯はそこまでおいしい💕のですか?)


🔹船橋、それは巣箱を置いた周辺に咲く花🌸に恵まれていたからだと思います。😊

それに、ミツバチ🐝には感謝🌸を込めて、いつも声💕を掛けながら育てて🍀いるんですよ。

(それが世界一🗻と称されるハチミツをつくる秘訣㊙️であると…)

🔹船橋、府に落ちないのは分かります。😊

実際、いまのように説明🍀しても、納得🌸されない方もいらっしゃるので、

その場合には開き直って🌟、

「僕がつくってるからです😊」

と答えているんです(笑)。

それしか僕も説明🍀のしようがない。

1つ言えることとして、僕の作るハチミツ🍯は糖度🌸が80を超え⤴️ます。

この数値🔢は、どんな熟練🌸の養蜂家🐝🏠でも滅多に出すことができませんが、😊

僕がつくると、全部同じレベル☀️のものができる。

これって、例えば木村秋則さんがつくる「奇跡のリンゴ🍎」と同じで、

他の人がいくらやり方を真似しても、

木村さんと同じレベル🌈のものはつくれないのと一緒だと思うんです。

つくり方などは全部オープン🌟にしていますけど、誰も同じレベル🌈のものはつくれません。

僕としては、きっと天☀️か何かが応援🌸してくれていると勝手に思っているんです。😊🎵


(天☀️に応援されていると)

🔹船橋、ええ。

それに僕はミツバチ🐝から教えてもらったことがたくさんあって、

それを伝えていく🎵ことも大事な役目🌸だと思っています。


たとえば、

ミツバチ🐝は1日に3,000カ所回って🔄少しずつ花🌸の蜜🍯をいただく代わりに、

受粉🌸を手伝うことで、

何千もの果物🍆🍑を実らせて🌸います。

これは、

相手から少しだけいただく代わり🍀に、

役立つ🌸ことを、たくさんする🎵ことの大切さ🌟を教えてくれていると思うんです。😊🍀

それに、

ミツバチ🐝って、1つの巣箱に約2万匹が一緒🌸に生活🍀をしているのですが、

そこには

「自分が✊、自分が✊」

という我の世界が一切⚡️なく、

絶対🌟調和🌸の集合体として存在✨しているんです。😊

まるで、1つの意識🍀で動いているかのように、

常に平和🌸が保たれて、

私的幸福💕の追求ではなく、

公的幸福💕の追求⚡️こそが、

最も幸せ💕であることを示してくれていると、僕は感じています。😊🎵


(ミツバチ🐝が生き方を教えてくれていると)

🔹船橋、僕はこうしたことを「ハチ育」として、子供たち👦👧に伝えてきましたが、

たとえば、何事にも消極的で😵、親も半ばあきらめかけていた😓子がいましてね。

その子が「ハチ育」を受けた後に、自ら学級委員🍀に立候補🌸したばかりか、

「自分のためではなく、クラス全体の幸せ💕だけを考えて学級委員🌸をやります」

とスピーチ🎤をして当選🌸までしてしまった。

両親🌸や先生🍀がいくら言っても暖簾に腕おし😵だった子供👦が、

ミツバチ🐝に教えられたられたことで行動が変わったんですよ。😊🎵


それから出張授業🌸では、ミツバチ🐝を入れた観察ケースを持っていって、

子供たちのミツバチ🐝の羽音🎵を聞いてもらうんです。😊

そうすると、一瞬⚡️にして子供たちの顔がパッと綺麗✨になる。

(顔がきれいになる?)

🔹船橋、何か憑き物が取れた☁️ようにパッと明るく🌟なって、
「うん🎵」って頷くんです。

そして、ほとんどの子が、

「ミツバチ🐝からメッセージ🎵をもらった」

って言うんですよ。😊🎵

結局、これは何を意味🍀しているのかと言うと、

人間🍀の心の中は、自然🌎生態系🌏と同じ🌟だということなんです。😊🎵

ふかふかの土から、いろいろな芽が吹き出し、愛💓や希望💚、友情💛、夢🎠といった花🌸が1つ、また1つと咲いていく。😊☀️

そして、

その花🌸を、ミツバチ🐝が受粉🌸することによって、実を結びます。😊

ところが、

子供の頃から、自然🌏との触れ合いが欠乏😵すると、心💓の中がざわざわ💢として落ち着かなくなってしまうんです。😊

ミツバチ🐝の羽音🎵には、そうした心💓を一瞬⚡️にして穏やかに🍀させてしまう力✊があるんですよ。

僕はいまの子供たちを見ていて危ない⚠️と思うのは、

自然🌏の延長線上にある心💓が枯渇💀しているとことです。

いくら記憶☁️の貯蔵庫🏠いっぱいに知識🍀を詰め込んでも、

葉が生い茂る🍃だけで、肝心の根っこ🌲の部分が育ちません。

それでは、本当の花🌸を咲かせることができないばかりか、

ちょっと強い風💨が吹くと折れたり💢倒れたり💥するんですよ。


(自然🍀との触れ合いなくして、人間の花は咲かないと)

🔹船橋、その通り🌟です。

特に日本🇯🇵は四季がめぐり、素晴らしい自然環境🍀に恵まれたことで、これまで多くの人材が育って🍀きました。

こうした見方は海外🌏でも根強く、パリ🇫🇷中央養蜂委員会の会長👑は、

「尊敬👑する日本人🇯🇵の友人ができて嬉しい💕」

って、泣きながら😭僕に言ってくれたことがありました。

なぜかと言えば、

日本人🇯🇵はすべてのものに神☀️を見出し、

なおかつ感謝🌸しながら、丁寧🍀に生きている国民🇯🇵だというのが、

彼らの認識🍀だからです。


(彼らはそのように日本🇯🇵人のことを褒めてくれているのですね)

🔹船橋、金子みすずの詩に

「蜂🐝と神さま☀️」

というのがあります。

「蜂🐝はお花🌸のなかに、

お花は庭のなかに、

お庭は土塀のなかに、

土塀は町のなかに、

町は日本🇯🇵のなかに、

日本🇯🇵は世界🌏のなかに、

世界は神様☀️のなかに。

そうして、

そうして、

神さま☀️は、小ちゃな蜂🐝のなかに。」


とあるように、小さな生き物🐛の中に神☀️を見出しているだけでなく、

ミツバチ🐝を起点🌟にして地球上🌏の生命体が1つに繋がっていることまで謳っている。😊🎵

つまり、金子みすずも、アインシュタインと同じように分かっていたんですよ。😊🎵

僕も、また人間🌸と自然🍀とのつながりをミツバチ🐝から教えてもらった人として、

そのことを、1人でも多くの人たちに伝えて💕いきたい。😊✊

人々が幸せ💕に生きる🍀とともに、一人ひとりが心の花🌸を咲かせるための学び✊が

そこにあると、僕は信じて☀️いるからです。😊🎵


(「致知」7月号 養蜂家 船橋康貴さんより)

注文をまちがえる料理店

2018-06-14 21:51:49 | お話
注文をまちがえる料理店


僕は普段、テレビ局で番組を作るディレクターをやっています。

と当時に、「注文をまちがえる料理店」というプロジェクトの発起人をしています。

今日は、「このプロジェクトって一体どういうものなのか」
「何でこんなことやったのか」、そういったことをお話しします。

「注文をまちがえる料理店」を一言で言うと、注文と配膳をするホールスタッフがみんな痴呆症の方という、
ちょっと不思議なレストランです。

具体的には2017年6月に、プレオープンとして東京の港区で小さなレストランを借りて二日間、
その後、9月に東京の六本木で、三日間 再オープンさせました。

ですからこれは常設のお店ではありません。

その時のホールスタッフに、昭和2年生まれのシズさんというおばあさんがいました。

90歳で、今回参加した方の中で最高齢です。

もともと彼女は高級料亭の女将をやっていらっしゃったそうです。

そんなシズさんですが、
「注文をまちがえる料理店」に来る前、
「不安でいっぱいでした」とおっしゃっていました。

認知症になって以来、できることがどんどん減っていっているのをご自分でも自覚されていたのです。

そんなシズさんにお客さんが
「自分の母と同じ歳のシズさんが元気に働いてるのを母に紹介したので写真を撮らせてほしい」
と声をかけました。

これはシズさんにとって、とても大きなことだったようです。

すごく喜んでいました。

シズさんはこの9月のイベントの1ヶ月後に亡くなられたのですが、

「注文をまちがえる料理店」で働くシズさんの顔が、すごくイキイキされていたので、

その写真をご家族に差し上げたら、とても喜んでくださいました。

ご家族の方が言うには、

「注文をまちがえる料理店」から帰ってきたシズさんは、

「私はまだまだやれる。自信がついた」というようなことをおっしゃっていたそうです。


僕はその話を聞いて、

福祉の専門家でもないし、認知症の何たるかも分かっていないのに、

「注文をまちがえる料理店」をやってよかったと素直に思えたのでした。


6月の「注文をまちがえる料理店」がテレビで紹介されると、想像以上の反響がありました。

9月のときには「アルジャジーラ」という中東のメディアやアメリカの「ニューヨークタイムス」、中国・国営放送「CCTB」、そして韓国の公共放送「KBS」など、
多数の海外メディアから取材を受けました。

面白かったのは、国や人種、思想の異なる人たちが、
この「注文をまちがえる料理店」を熱心に取材してくれたことです。

皆さん、何に1番反応したかと言うと

「認知症の人なのになぜあんなに笑顔で働いているのか」

ということと、

「注文をまちがえているのに、なぜお客は起こらないのか」

という、この2点です。

6月のプレオープンの映像を見て、それはどういうことなのか知りたくて取材に来たということでした。


「注文をまちがえる料理店」というプロジェクトをどうやって作ったのかという話ですが、
1つは、「ハンバーグが餃子になった」というエピソードが原点となっています。

5年前、僕はディレクターとして、名古屋で認知症介護のプロフェッショナルといわれている和田行男さんという方のグループホームの取材をしました。

和田さんはかなりユニークな介護をやっている方で、

「認知症になっても最後まで自分らしく生きる姿を支える介護」

に、こだわって30年近くやってこられた方です。

だから、和田さんのグループホームでは、皆さんお料理はするし、お掃除、洗濯、買い物など、当たり前の暮らしを続けています。

ただ、認知症ですからちょっとずれてしまう。

そこをサポートしていくのがプロの介護福祉士の仕事というポリシーです。

取材中、入居者の方にご飯を作っていただきました。

献立はハンバーグと聞いていました。

ところが出てきたのは餃子でした。

「どこでどう間違えたのハンバーグが餃子になるのかな」

と思うのですが、

ひき肉だけが共通した材料ですよね。

それで
「これは違いますよね。今日はハンバーグですよね」

と言おうとして、その言葉を飲み込みました。

何でかと言うと、

そのことを気にしているのは、

その場で僕だけだったからです。

それが日常のことなので、皆さん餃子を美味しそうに食べているんです。

その時、はっとしました。

「間違いと言うのは、その場にいる人たちがそのことを受け入れさえすれば、間違いではなくなるんだ」
という当たり前のことに気づいたのです。

同時に、「注文をまちがえる料理店」というキーワードが思いつき、頭の中に映像が流れてきました。

僕がその料理店に入ったら、お年寄りの方が接客してくれて、

僕がハンバーグを頼んだのに餃子が出てくる。

僕が

「餃子じゃないですよ、ハンバーグですよ」

とツッコミを入れると、

おじいさんおばあさんも、

「わっはっはっ」と笑う、そんな映像が浮かんで、

「これ、いつかやりたいな」

って思ったんです。

これが僕が「注文のまちがう料理店」を作ろうと思った1番のきっかけです。


(「みやざき中央新聞」H30.6.11 NHKディレクター小国士朗さんより)

🌸🌸人間の花🌸🌸

2018-06-09 21:06:05 | 基本的な考え方
🌸🌸人間の花🌸🌸


木🌲が弱り衰えて⤵️いくのには5つの段階🌸がある、と安岡正篤師🍀が言っている。

「木の五衰(ごすい)」である。🌟

その第一は、
「懐(ふところ)の蒸(む)れ」。

枝葉🍀が茂りすぎると、日当たり☀️も風通し☁️も悪くなり、木の根幹が弱ってくる。😵

この状態が続くと、根が上がってくる。

これを「裾(すそ)上がり」と言う。😊

そうなると、木は頭から枯れてくる。😵

「末(うら)枯れ」である。🌟

「末」は梢のことである。

梢が枯れてくると「末止まり」となる。

成長🍀が止まるのである。

この頃になると、いろいろな害虫🐛がつき始める。

「虫喰(く)い」である。

この木の五衰⛅️を避けるためには、
枝葉🍀が茂ってきた段階で刈り取る⚡️こと、

すなわち省くこと⚡️だと安岡師は説き、

人間🍀もまた同じだと言う。😊💕


人間も貪欲😈、多欲になって修養🌸しない、

つまり省かなくなると、

風通し☁️が悪くなり、真理☀️や教え🍀が耳👂に入らなくなり🚫、
善語善言🌸を学ぼうとしなくなる。😵

これは「裾上がり」で、
そうなると「末枯れ」が起こり、
「末止まり」となる。

人間が軽薄😁、オッチョコチョイ😝になり、進歩が止まってしまう。😵

揚げ句は、つまらない人や事に関わり、
取り憑かれて😨没落する。😱

「虫喰い」である。😢

これを「人間の五衰」というと安岡師は人間の通弊を突いて⚡️いるが、

こういう人に、花🌸が咲かないのは自明の理🌟であろう。

では、人間の花🌸はどういう人に咲くのだろうか。😊

あるいは、人間の花🌸を咲かせるために大事🍀なことはなんだろうか。

安岡師の言葉🍀に見えるとおり、
雑念🌀、妄念😈を心に茂らせている人に花🌸は咲かない。

心の雑草を取り去り⚡️、よく手入れし、調和🍀させている人、

心の力✊をよく知る人のみが、人間の花🌸を咲かせるのだろう。😊


『易経🌸』にこういう言葉🍀がある。

「性を尽くして命に至る」

自分が天☀️から授かったもの、持って生まれた能力🍀を、すべて発揮✨していくことで天命💓に至る、というのである。😊🎵

天命に至る道は、そのまま人間の花🌸を咲かせる道である。

このことを深く肝に銘じたい。😊


本誌5月号掲載の稲盛和夫氏のインタビュー🎤は、人間の花🌸を咲かせるための示唆に溢れている。😊

86年の人生🍀を振り返り、人生🍀で1番大事なものは何かの質問に、稲盛氏は、こう即答⚡️されている。

「1つは、どんな環境🍀にあろうと真面目に一所懸命💓生きること…、

(私が)ただ1つだけ自分を褒める👑とすれば、

どんな逆境🌊であろうと不平不満を言わず、
慢心をせず、いま目の前に与えられた仕事🍀、

それが些細な仕事であっても、

全身全霊💓を打ち込んで✊、真剣⚡️に一所懸命努力を続けたことです」

「それともう1つは、やはり利他の心🌸、皆を幸せ💕にしてあげたいということを強く自分に意識🍀して、

それを心💓の中に描いて生きていくこと。

いくら知性🌟を駆使して、策📝を弄しても、

自分だけ良ければいいという低次元の思いがベースにあるならば、

神様☀️の助けはおろか、周囲の協力🌸も得られず😵、

様々な障害💥に遭遇して、挫折してしまうでしょう。

"他に善かれかし" と願う邪心のない美しい✨思いにこそ、

周囲はもとより神様☀️も味方し、成功👑へと導かれるのです」

これまで本誌にご登場いただいた多くの先達🍀が、同じことを述べている。😊☀️

人間の花🌸を咲かすための原点🌟がここにある。😊

我が行いとしたい言葉🍀である。


最後に、花🌸はすぐには咲かない。

凡事の徹底と、長い歳月⛅️の掛け算の上に、咲くものであることを忘れてはならない。😊✊


(「致知」7月号より)

🎨🎨ピカソ🎨🎨

2018-06-05 18:59:39 | お話
🎨🎨ピカソ🎨🎨


フランス🇫🇷の劇作家📖モリエールは、

「学ばずして、すべてを知る🌟ことが、偉大な芸術家🎨の特徴の1つである」

と言っているが、

人間の持つ能力🌸は、学習によって後天的に習得✊されるものであり、

生まれつきの天才🌟は存在しないと私は考える。😊🎵


脳🌀の発達する幼い頃に、どのような環境🍀で、どのような情報💻を得て、

どのように感性🌸が育まれるかによって、その人の能力✊はつくられる。

このことは、20世紀最大の画家ピカソ🎨の生い立ちからもうかがえる。😊


ピカソは、言葉🍀を覚える前に絵🎨を覚えた🌟と言われている。

スペイン🇪🇸には長い渦巻きの形をしたチュロスというお菓子🍪があるが、

幼いピカソは、螺旋🌀を描くことでチュロスを食べたい✊と意思表示🌸した。

最初に口👄にしたのは鉛筆✏️を意味する「ピス」というスペイン語で、

「ピス」と言うたびに母親は鉛筆✏️を渡してくれ、

ピカソは飽きることなく絵🎨を描き続けた。☀️


学校🏫へ上がってからも、ピカソは絵🎨ばかり描いていた。

教科書📖の余白は絵で埋め尽くされたが、

読み書き計算🔢はまるでできず😵、
アルファベットの順序を覚えることすらできなかった。😵

ピカソがなぜそこまで絵🎨を描くことに夢中🌀になかったかといえば、

画家🎨の父親がいつも絵筆✏️を握っているのを見ていたからである。


幼い頃の環境🍀がピカソ✨の才能🌸を育んだのである。

彼の家族は、決して絵🎨を描くことを禁じたり🚫、

勉強を押し付け👉たりはしなかった。😊

父親は、息子ほどの画才🎨があれば必ず将来✨立派🌟な画家になるだろうと期待を寄せ💕、

母親も、我が子は何をやっても最高👑の能力を発揮🌟するだろうと、その将来を信じて🍀疑わなかった。✊

一家🏠を挙げてピカソ✨の才能🌸を称賛💕してやまなかったのである。☀️


ピカソが10歳になると、父親は自分が教師🌸を務める美術🎨学校🏫に我が子を入れ、

学校でも自宅でも徹底的💢に絵の基礎を教え込んだ。

生涯🍀に二万点もの作品を描いたピカソだが、

実は描いたデッサンの数も膨大😵であった。

父親のもとで徹底的💢に基礎を養ったからこそ、

ピカソ✨はその才能🌸を大きく開花させることができたのである。


そうした父👨と子👦の関係は、ピカソが13歳の時に転機🔄を迎える。

ピカソ✨が描いた鳩🐦の絵を見て👀、我が子が、自分の力量を凌駕している😵ことを悟った父親は、

自分の絵筆✏️を息子に譲り💕、

以来絵を描くことを一切⚡️やめて✋しまったのである。😊🎵

類似したエピソードは、レオナルド・ダ・ビンチ🌟にもある。

アンドレア・ヴェロッキオというフィレンツェ🏡の有名な画家🎨に弟子入りしたレオナルド🌟は、

ヴェロッキオから制作中の『キリストの洗礼』に天使👼の絵を描くように言われた。

でき上がった絵を見て👀、弟子が自分の才能をはるかに上回って⤴️いることを悟ったヴェロッキオは、二度と絵筆✏️を取らなかった。


ピカソ✨が幸せ💕だったのは、同じ絵の道を歩んでいた父親が、

我が子の才能🌸を素直🍀に認め、いたずらに矯正しなかったことである。😊☀️

教えることばかりが、父親の役割🌸ではない。

我が子の素質✨が開花🌸するよう温かく見守る✊ことも父親👨の役割であり、

愛情💓の表現💚であると私は思う。😊🎵


(「致知」六月号 木原武一さんより)

🌸おもてなしの原点を求めて🌸🌸

2018-06-04 11:25:40 | お話
🌸おもてなしの原点を求めて🌸🌸


「茶事🍵」といいますのは、千利休さんによって400年以上前に確立🌟された茶会です。

4時間ほどの工程🌸の中で、亭主が懐石🍱やお酒🍶を振る舞い、最後に濃茶(こいちゃ)でもてなします。😊

濃茶は「お抹茶」と呼ばれる薄茶(うすちゃ)とは異なり、

色も味わいも極めて濃く、深いお茶🍀です。

薄茶は「点(た)てる⚡️」と言いますが、

濃茶は「練る🌀」と言います。

おいしく練る🌸には5年ほどの修行⚡️が必要といわれます。


濃茶🍵を美味しくいただくために、水💦から沸かし♨️、湯がたぎるのを待つ間に軽い食事🍴と共に酒🍶を酌み交わす、

この一連の流れを「茶事✨」といい、

そのための一汁三菜🍀の食事🍴を
「茶事懐石✨」といいます。


懐石といっても高級日本料理🍣ではありません。

身近にある旬✨の食材🍆🍅を使って、日ごろの家庭料理🍳よりひと手間かけていく、

「濃茶のための茶事懐石料理」です。


私は、この「おもてなし文化🌸の原🌟」ともいわれる茶事🍵の真髄⚡️を極めたい✊と思い、

50歳を機🌸に、着物姿👘で車🚗を運転しながら

全国🗾一人茶事行脚の旅🌸を始めました。

鍋釜と茶道具を車🚗に積み、

各地で出会う方々に、その土地の食材を使って料理🍱やお茶🍵を振る舞っています。

全国を走る私の車🚗の走行距離は、年間3万キロ以上です。

新車✨のワゴン車を買って20万キロくらい走ると、また新車✨を買います。

そうやって、これまで5台ほど乗り換えてきました。😊🎵


お茶🍵の世界には

「火相(ひあい・火🔥のおこり具合)」



「湯相(ゆあい・湯♨️の沸き加減)」

という言葉🍀があります。

火🔥をおこし、火の具合が良くなって、

お湯♨️もグラグラと煮立った一番いいタイミング🌟で一服を点てる🍵のです。


お客様🌸は多い時で10人さんくらいの時もあります。

人数さんに応じて、炭のつぎ方を変えたり、

寒い時⛄️は、炭も灰も冷えていますので、炭のつぎ具合も一様ではありません。😵

天気⛅️や湿度💧によっても変えるのです。


「一期一会」と申しますように、1つとして同じ場所🍀はありません。

そんな中、お客様に可能な限り⚡️おもてなしし、満足💓して帰っていただけるように心掛ける。

それがこのお仕事🍀です。


「最初のご飯🍚のできばなを、まず1口どうぞ🎵」とお出しする。

そして次に、やや蒸れた☁️ものをお出しする。

そしてその次には、

「充分蒸れれましたので、たんと召し上がれ🌟」

と、ご飯🍚を三度にわたりお出しします。

それぞれ1番いいタイミング✨を考えます。😊

そのうち、お湯♨️加減が整って、
一服のお茶🍵を点ててお出しする。


食べ物もお茶も、作った瞬間⚡️から味が落ちて⤵️いきます。

その落ちていかない絶妙✨なところでお人の口👄に届けていく。

その間合いと、時の見定め✊が大事🌟です。

だから茶事は、

「間合いの文化🌸」

「時の移ろいの文化🌸」

だと思っています。😊🎵


時と場所にかなった料理🍴のために必要なものは、

食材🍆🍅への、愛おしさ💕です。

魚🐟や野菜🍆など、食材に耳👂を傾けると語りかけて🎵くるのです。

そして火相🔥と湯相♨️に心を合わせ、
お天道様☀️や樹木🌲とも相談をします。


私の茶事の点数🔢は、いまだに40点くらいしか付けられません。😊

それほど一服のお茶🍵のために
火相・湯相を整えながら食事🍴をもてなすことは、

毎会客ぶりも違いますので難しい😵のですね。😊


茶事は、1人ではなかなか間に合わないこともあります。😊

例えば、水屋で手伝ってくれている半東(はんとう)さんが、

茶碗🍚を落として割って💢しまった時など、

落とすような空気☁️を作っている亭主である私の責任🍀です。

いつもわが身にそう言い聞かせながら務めます。✊

亭主がどんなに力んでも、
茶事をご馳走にしてくださるのはお客様🌸です。

亭主ができるのは、

お客様が持っているいい波動💕を、出して差し上げられるように場🍀を整える✨ことです。

その波動⚡️を1つにまとめ、
シンフォニ🎵のように奏で🎶られる流れができた時、初めてご馳走😍になっていくのです。


茶事においては、刻一刻、時の移ろいのドラマ📺があります。

そのドラマチック😍な感動💓をお土産🎁にお持ち帰りいただくのが私の役目なんですね。😊🎵


日本各地🗾を旅すると、お茶の流派🌸によっていろいろな決まりごと🌟があり、

おっしゃることも皆さん違い⚡️ます。😵

「利休さんの時代には流派🌸なんてなかったのに」

と思いながら紐解いて✨いくうちに、

「流派は財産分与💰みたいなものだったんだな」

と、だんだんその内容🍀を理解🌟していきました。

ですから、

「流派🌸のことは各流派のお客様🌸にお尋ね👂しながら、

その方が満足できるような茶事🍵を整えればいいのだ✊」

と考えて、動けるようになりました。😊🎵

すると、これまで見えなかったお茶🍵の世界の奥深さ🌌が見えてきて、

少しずつそれを理解🌟できるようになりました。

そうすると旅🚗がさらに面白くなり💕、止められなくなっていきました。😊🎵


人を温める♨️「木🌲」と「火🔥」、

人の命💓を守る「水💧」、

人の食べ物🍚を育む「土⛺️」、

そして土の中🗻に含まれる「金💰」。

この五つは人間🍀が生きていく上で、それぞれ必要⚠️なものですが、

それらが時にバランス🌈を崩すと😵、

人に向かってくる刃🔪(やいば)にもなります。

きっと利休さんをはじめとする先人の方たちも、この茶道🍵に、

木火土金水で成り立つ、

生きとし生けるものの世界🌏を、見出して✨いたのでしょう。😊🎵


火🔥がついた瞬間⚡️から灰に向かうように、

人間🍀も生まれた瞬間⚡️から死💀に向かって生きていきます。

命💓は、そのような時の移ろい☁️と自然の営み🌸の中でしか生きられないのです。😊🎵

その意味🍀の深さを、しみじみと実感💓しながら、

生きる今日☀️この頃でございます。😊🎵


(「みやざき中央新聞」H30.5.21 半澤鶴子さんより)