hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

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(^_^)私はとっても普通の人です。

相手にしない

2019-12-12 13:24:00 | 伝統的考え方
🌸🌸相手にしない🌸🌸


昨年(2018年) 10月に、「ジャポニズム2018」の企画で渡仏し、パリで坐禅会🌸や講演会🎤を行ってきた。

フランス🇫🇷の方々は実に熱心💓に坐禅をされていて、

講演会も満席🌸になるほどで、フランスでの禅に対する関心💓の高さに驚いた。😍

坐禅会の折には、質疑応答🌸の時間を設けることにした。

質問に対してこちらが禅✨の立場で答えるのであるから、禅問答と言えなくもない。

とある女性🌸からの質問を受けた。

その日の坐禅会では、数息観(すそくかん)という呼吸☁️を数えて心💓を調える方法🍀を教えたのだった。

それを受けて、

「今回教わった坐禅や数息観を、日常の暮らしにおいて、どのように活用🍀して取り入れたらいいですか」

という質問だった。

坐禅を今回限り⚡️ではなく、普段の暮らしに取り入れたいという思いが有りがたく感じ💓られた。

それに対して私は、

「坐禅をするのに1番いいのは、朝起きてすぐの時間と夜の寝る前でしょう。

朝起きて、ベッドの上で5分でもいいから静かに坐ってみることです。😊

夜も同じくベッドの上でいいから静かに坐るという習慣🍀をつけることが大事です。

数息(呼吸を数えること)は、簡単なようで、大きな効果🌸があります。

1番いいのは、感情的💓になってしまった時でしょう。

腹を立てて怒り💢の感情にまかせて、言葉🍀を発したり、行動したりすると、
よい結果🌸にはなりません。

感情的💓になっている時ほど、

少し落ち着いて自分の呼吸☁️を1から10まで数えて🔢みることです。

それだけでも感情💕はおさまっていきます」

と答えた。

すると、また別の女性🌸から質問を受けた。

「坐っていても次から次へと思い☁️が湧いて、あふれてきて⛲️仕方がない。

どうしたらよいのか😵」

という問いである。

その日は、坐禅会の会場🏛である日仏会館に行く途中、セーヌ川の畔を歩いて行ったので、

川の流れを譬(たと)えにお答えした。

「先ず、思いが湧いて☁️くるのは自然🍀なことだと受け入れることが大切です。😊

思い☁️や雑念🌀が湧いて、自分の坐禅がうまくいってないなどと、

自分を責める💢必要はありません。😊

例えば橋の上から川の流れ☁️をただ見て👀いるように、

静かに自分の思い☁️を見ていることがいいでしょう。🎵

決して自分の思いの中に入り込んでいったり、追いかけたりしないで、

ただ見ている👀のです。☀️

すると、どんな思い☁️であっても、

必ず湧いては消えて☁️行きます。

そして少し離れて見ていることだと思います。

思い☁️の波🌊にのみ込まれないようにして、

思い☁️をそれ以上増幅⤴️させないようにすることが必要🍀です」

と。

これは、坐禅を始めた人が、必ずといっていいほど直面⚡️する問題⚠️でもある。

雑念🌀が起きて仕方がない😵、どうしたらいいのかと。


和歌山県日高郡由良町にある興国寺🏯の開山である法灯(ほうとう)国師(心地覚心(しんちかくしん))は、

雑念🌀や妄想の起こる様子🌸を、

「晴れた空に雲☁️が湧くようなものだ」

と譬えられている。😊🎵

我々の心💓の本体は、青空☀️のようなものであり、

妄想🌀は空に浮かんだ雲☁️なのだ。

雲が湧いて浮かぶのは、自然🍀の様子であり、

元来それほど苦に😵するほどのものではない。😊🎵

無理に雑念🌀を無くそうとがんばってみても、

それは盤珪(ばんけい)禅師が

「血💕で血💕を洗うようなものだ」

と表現🌸されているように、

はじめについていた血💕が落ちたとしても、

洗った血💕が残ってしまって、

堂々巡り🔄になってしまう。😊

雑念🌀を無くそうという思い自体が、新たな雑念🌀となる。

坐禅中に、雑念🌀が湧いて仕方なく感じるのは、むしろ自然🍀なことだ。

普段から雑念🌀を起こして暮らしているのがお互いであって、

普段は雑念🌀にまみれて、雑念🌀が起きていることすら気がついていない😵だけだ。😊🎵

少し落ち着ついて坐ってみると、

よく心の様子🌸が見えるようになって、雑念🌀が気になるのだ。

湧いてくる雑念🌀を相手にする必要はない。

雲☁️の譬えでいえば、

浮かんでいる雲☁️は自然🍀の風景くらいに思って、

それよりも大空☀️を見つめるようにする。

心💓の本体に目👀を向ける工夫🍀をすることが大切である。

例えば、鏡✨にはさまざまな像が映るが、鏡✨の本体には何の汚れもない。😊

映画🎥のスクリーンも同じだ。🌟

どんな映像🎥が浮かんでいたとしても、スクリーン本体に汚れはつかないのだ。

だから、ただ浮かんでは消える様子🌸を静かに見つめて👀、

心の本体は、清らかなまま✨であると気がつく🌟ことだ。

雑念🌀の中に取り込まれてしまわないように、

腰を立てて呼吸☁️を調え、息を数える方法🌸が数息観🍀である。

雑念🌀を無くそうというのではなく、

相手にしない対処法🌸なのである。😊🎵

空に浮かぶ雲☁️は、浮かんでは消えていくだけのものである。

それと同じように、雑念🌀とて、相手にしなければ必ず浮かんでは消える。🌟

追いかけたり、相手にしないことが大事だ。😊🍀


(「致知」1月号 横田南嶺さんより)

認知症の予防

2019-12-10 14:35:00 | 自分でできる健康維持
🌸🌸認知症の予防🌸🌸


先日、パーキンソン病🏥だった90代の男性をご家族🌸とともに看取らせていただきました。

ご縁🌸をいただき7年ほど診療に当たってきましたが、

終末は我欲をそぎ落とした⚡️ような澄み切った✨表情をされ、

人生🍀を大事に生き抜かれたご様子で、エンディングはかくりたいと強く思わされました。😊🎵

私は2005年に東京・銀座にクリニック🚪🏥を開業して以来、毎年10,000人以上の患者様🌸を見させていただいております。

その触れ合いの過程🌸でいつも願っていることは、

自分も含めて人生🌸は歳を重ねれば重ねるほどに、

心の成熟度💓を高め⤴️ながら、

山登り⛰で言えば頂上🌟を目指して一歩ずつ登り続ける⤴️ようにあってほしい✊ということです。

そこで課題🌸となるのが、社会問題⚠️となっている認知症🌸の克服です。

厚生労働省🏛の発表資料によれば、認知症を患う方の数は、2025年には700万人を起こすと報告📝されています。

これは65歳以上の高齢者の5人に1人が認知症🌸に罹患(りかん)するという計算になります。

例えば懐かしい旧友に会える同窓会🚪に出席した場合、仮に1クラス30人ほどの参加者🍀がいたとしますと、

6人ほどが該当する🌟というイメージ☁️です。

もはや認知症🌸は珍しくもないく、また他人事🍀ではありません。

だからこそ、早期発見🌟と予防🌸に目を向けることが大切🍀になってくるのです。

まず、
「こんな症状が出てきたら注意⚠️が必要」
という10項目の簡単🌸なテストを受けてみて下さい。

(該当箇所の□をチェック✔️してください)

□タンスの移動や部屋の整理整頓🌸ができなくなった

□些細なことでイライラ💢したり怒りっぽくなった

□新聞📰や雑誌📖を読まず、新しいことに興味🌸が薄れた

□話の辻褄が合わないことがある😵

□物忘れ☁️をすることがあり、探し物をする

□待ち合わせの場所🌸や、人の名前がすぐに出てこない

□段取りが必要な料理🍳や作業ができなくなった

□慣れ親しんだ道順を迷ったり🌀、わからなくなることがある

□同じことを繰り返し🔄たり、何度も話したりする

□不安😱になったり、疑い深く😨なる

以上

これらは医学的な基準🍀ではありませんが、

本人またはご家族の方がチェック✔️してみてください。

過度に神経質⚡️になる事はありませんが、もし3つ🌟ほど該当項目🌸があった場合は、

認知症の可能性☁️もありますので、
いちど専門医🏥に診療してもらったほうがよいでしょう。


「私、認知症かしら?」、あるいは
「うちの親は認知症かもしれない」
という疑念☁️が湧いてきた時は、

私は診断だけではなく生活習慣🍀を改善🌸するため「認知症予防トレーニング」をお勧め💕するようにしています。

その基本は「運動🚶‍♂️」「食事🍴」「脳の使い方🍀」の3点🌟となります。

まず、誰でも取り組めそうな14項目の【ステップ1】から始め、1カ月間ほど続けてください。😊🍀

【ステップ1】

①、1日8000歩のウォーキング🚶‍♂️

②、背筋伸ばし⤴️(10〜15秒、朝・昼・夜に5〜10回ずつ)

③、太もも上げ⤴️(10秒、朝・夜に右足・左足 各20回)

④、ケンケンパ🌟(左右の足を軸として各各5回、週3〜4回から)

⑤、腹7分🌸(50、60代は1日あたり約2000キロカロリー以下、70代は1700キロカロリー以下)

⑥、食事は和食🍙を中心とする

⑦、グラス1〜2杯の赤ワイン🍷を毎日飲む(または適量のぶどう🍇を皮ごと食べる)

⑧、よく噛んで食べる🌸(1口あたり20〜30回)

⑨、(間食はお勧めできませんが)どうしてもという時には、ダークチョコレート🍫とナッツ🥜を摂る

⑩、美意識🌸を持つため朝昼晩に鏡✨で顔を見る

⑪、ぼーっとする時間(プチ瞑想☁️)をつる

⑫、アロマテラピーなど嗅覚👃を働かせる生活🍀を取り入れる

13、普段聴かないジャンルも含め、2種類以上の音楽🎵を聴く

14、利き手でないほうの手✋を使う

以上

この14項目は、知識🍀としては理解🌸している人が多いのですが、

なかなか実行🌸できていないのが現状です。

これができるようになったら、
少し負荷をかけるなどしてステップアップ⤴️をするよう指導🌸させていただいています。

この中で強調✊しておきたいのはウォーキング🚶‍♂️など「体を動かす」ことの大切🍀さです。

実際、私のクリニック🏥に来られるご高齢のみなさんは、とてもよく歩いて🚶‍♂️います。

お年を召すと近所の病院🏥に通う場合が多いのですが、

ご自宅🏠から電車に乗って片道1時間くらいかけて通院するのは珍しくありません。

高齢になってからでも適度な運動🍀を心がければ、

認知症🌸のリスクを減らせることは免疫学、科学的にも証明☀️されています。

その代表的🌸な研究が2009年にノーベル生理学・医学賞👑受賞した
生物学者のエリザベス・ブラックバーン博士(米国🇺🇸)を中心💓としたグループ🎵で行われています。

この研究グループ🎵は、認知症🌸など老化👴🏻や病気🏥の予防は、

細胞の中にある染色体🌸の端に存在する「テロメア」(末端小粒(まったんしょうりゅう))の長さが鍵🔑を握っている✊ことを発見🌟。

テロメアの長さは、遺伝子の本体であるDNAを再構成する塩基対の数で表されるのですが、

一般に出生児👶には15,000塩基対があるとされるテロメアは、加齢🌸とともに減少↘️していくのです。

35歳で半数の7500、65歳で4800へと低下↘️。

6000を下回ると染色体🌸が不安定☁️になり、

2000ともなると細胞分裂ができない「細胞老化😵」になります。

逆にテロメアの長さを維持🌸できれば老化防止🚫になるわけです。

実際、ウォーキング🚶‍♂️など週三回の有酸素運動🍀によって、テロメアの長さが維持🌸できるとの見方もあります。

最近の研究📃によれば、ウォーキングの歩数目標は1日8000歩👟が理想🌸とされています。

距離にして4キロ、時間にして75分ほど。

歩数計やスマホ📱を使って歩数を確認し、記録することをお勧め🌸しています。

「今日はこれだけ歩いた」という達成感💕が生まれ、続けやすくなるからです。😊🎵

ウォーキング🚶‍♂️と並んで重視☀️したいのが、

体の心深い部分にあるインナーマッスルと呼ばれる筋肉💪のトレーニング。

通常の軽い運動に比べて、インナーマッスルトレーニングをしている時の方が脳🌀の活性領域が広く血流💕が多いという説もあります。

さらには認知症テストの点数🔢が向上したという報告📃も出ています。


運動🍀と並んで大事な点が食事🍴。

中でも日本🇯🇵が世界に誇ることができる和食🍱がお勧めです。

50代を過ぎたら、主食🌸プラス一汁二菜🍀(主菜、副菜、汁物)がベスト🌟であると思います。

脳の神経細胞🍀を良好に保つためにもバランス🌈のよい食事は必須🌸ですが、

理想✨とされる1日30品目はかなりハードルが高い😵ので、

二日間で40品目を目指してはいかがでしょうか。😊🎵

特に積極的✊に取っていただきたいのが青魚🐟です。

DHA(ドコサヘキサエン酸)や
EPA (エイコサペンタエン酸)が多く含まれており、

脳🌀の血管💕障害や脳梗塞などによって起こる認知症🌸予防に繋がります。😊🎵

内外の研究でも魚🐟の摂取によってアルツハイマー型認知症のリスクが大幅に低下⤵️したとする報告📃も発表🌸されています。

ただし、栄養🌸が過度に偏ってしまうことは避けてください。

人の健康🍀維持に欠かすことのできないトリプトファン(必須アミノ酸)を取るためには、

タンパク質🌸が多く含まれている肉類🍗なども必要です。

個人的には、魚3 対 肉2、くらいのバランスを意識🍀しています。

食事🍴は本来「楽しい場🌸」であり、あまり健康🍀情報に振り回されすぎないことも大事です。😊🎵


これまで説明🍀してきたことは、ご高齢者ご本人🌸が意識して取り組むテーマ🎵ですが、

ご家族🌸など周囲の支援✊も欠かせません。

その一例として、私自身🍀の体験🌸をお話ししましょう。

私の父は61歳の時にアパレル関係の会社経営🌸から退き、母と悠々自適☁️の長旅に繰り出そうとしていました。

ところがその矢先⚡️、母🌸に先立たれてしまったのです。😵

まさに坂道を転げ落ちる⤵️⤵️ように年老いた父は、認知症🌸の危機⚠️に直面しました。

私はなんとかしないといけない✊と考え、

目と鼻の先ほどの近くに住んでいたこともあって、父をきめ細かく指導👉することにしました。

幸いなことに父は素直🍀な性格で、私の次の提案🌸を受け入れ実行✊に移してくれました。

①毎日のウォーキング🚶‍♂️(コースは複数とする)

②私が飼っている小型犬🐶との散歩(犬友との交流もできる)

③ラジオ・テレビ体操🌸

④私と私の2人の子供と集い、月に1度か2度は外食🍴する

⑤新聞📰に掲載されていたニュース🎵を私にわかりやすく解説🌟する


これらの習慣🌸を続けて18年、88歳の父は元気🍀で暮らしています。

この父の生き方を通して感じる💕ことは、

「元気🍀に長生き🌸する」

「人生🍀を有意義に過ごす🎵」

ことが人間🍀にとっていかに大きなテーマ🌟であるかということです。😊🎵

この大命題🌸を考え続けている中で、ある事実に気づき🌟ました。

それは画家🎨が極めて長寿🌸であるということです。

主な著名な画家🎨たちの没年齢😇を記します。

葛飾北斎89歳、横山大観89歳、
熊谷守一97歳、梅原龍三郎97歳、
中川一政97歳、東山魁夷90歳。

海外も同様、

ミケランジェロ・ブオナローティ88歳、
クロード・モネ86歳、
マルク・シャガール97歳、
サルバドール・ダリ84歳、
パブロフ・ピカソ91歳… 。

画家🎨たちが長寿🌸ということは、単なる偶然🌟ではないでしょう。

さらに強調✊しておきたい点は、晩年まで絵筆🎨を握り創作活動🍀に情熱🔥を傾けていたという事実🍀。

画家🎨の生き方には、かけがえのない人生🍀、与えられた命💓を可能な限り長く有意義に過ごすためのヒント🌟が隠されているのではないでしょうか。

日本🇯🇵の社会では、年齢は定まってはいないものの「老後」という言葉🍀が頻繁に使われます。

日本人の平均寿命🌸は、
女性87.32歳、男性81.25歳(2018年)
という長寿🌸ですから、

定年退職しても人生🍀はまだ続くわけです。

画家🎨たちには定年などはなく、生涯現役🌸を貫かれる人は珍しくありません。

脳🌀には「定年退職🍀」はないのです。😊🎵

私は医師🏥として、この「老後」という2文字を使いたくはありません。😊🎵

超高齢化🌸社会🌆へと進む中で、

1人でも多くの高齢者🌸が生き生きと、その世🍀を全うしてほしい。

そのお手伝い💕を、今後もさせていただきたいと考えています。😊💓


(「致知」1月号 医師 霜田里絵さんより)

ラグビーワールドカップ

2019-12-09 17:53:00 | 色んないい物を勝手に応援!
🏉🏉ラグビーワールドカップ🏉🏉


4年に1度、ラグビー🏉世界一🌏を決める第9回ワールドカップ(W杯)日本大会は、南アフリカ🌸の優勝👑で幕を閉じました。

南アフリカ🌸は2007年以来3大会ぶり3度目の優勝👑でした。

W杯ロスを味わっているいま、改めてラグビー🏉と今大会について考えてみました。😊🎵


1823年、ラグビー(正式名称はラグビーフットボール)は、

名門パブリックスクール🏫のラグビー校🏫で生まれたといわれます。🌸

パブリックスクール🏫は、イギリス🇬🇧では私立校🌸に当たります。

地主階級🌸「ジェントリ」が、やがて貴族も合わせて
「ジェントルマン=紳士🌸」と呼ばれるようになり、

彼らを養成🍀する学校🏫として発展🌟しました。

その中でもさらに名門とされるのが、ラグビー校を含む「ザ・ナイン」と呼ばれる九校🏫で、

イギリスの指導層の大半は、その出身者🌸で占められています。

ラグビー校の卒業生🍀たちが進学先のケンブリッジ大学🏫でラグビー🏉を広めたことで、

当時の上流階級⛪️を中心💓に一般化💚したといいます。

パブリックスクール🏫においてラグビー🏉は重要⚠️なスポーツ🎵です。

ラグビー🏉をすることで、フィジカル💪(肉体)もメンタル⚡️(精神)も鍛えられるからです。

そして、何より、自分のためではなくチーム🌸のためにプレーすることの大切さ🍀に気づき🌟、

フェアプレイ🍀の精神を学べるからです。

その精神⚡️はイギリスの指導層における
「ノブレス・オブリージュ」
(恵まれた才能と環境🍀に生まれた真のエリートは率先⚡️して社会の責任🌸を果たす義務がある)

という伝統🌸とも繋がっていると言えるでしょう。😊🎵


ラグビー🏉では他の競技で見られるような、選手がレフリーに詰め寄って文句💢を言っている姿がめったに見られません。

レフェリーという存在✨が選手からリスペクト🌸(尊敬)されていて、

レフェリーの判断⚡️が非常に重い意味🍀を持つのです。

ラグビー🏉は、屈強な選手たちが体をぶつけ合う競技でありながら、

「紳士のスポーツ」と言われ、
規律(ディシプリン)が重んじられます。

レフェリーへの接し方も、その一つと言いますが、

そうした姿勢🌸はプレイヤーだけでなく観客者🍀の側にも共通🌟しています。


W杯👑日本🇯🇵大会は、9月24日から11月2日まで44日間、日本各地で熱戦💓😍が繰り広げられました。

日本代表は強豪✊ぞろいの一次リーグを4戦全勝🌸で終え、史上初の8強入りと、

決勝トーナメント進出🌟を果たし世界を驚かせ😵ました。

その戦いぶりは4年前よりずっと進化⚡️し、

すべての試合🍀は私たちに興奮😍と感動😭を与えてくれました。

私は、1964年の東京五輪🌈で、
「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール🏐日本チームが、

体格において遥かに勝るソ連チームを打ち負かし、
金メダル🥇に輝いた時のことを思い出しました。😊🎵

当時、私はアメリカ🇺🇸に滞在していましたが、
「東洋の魔女」の活躍は遠くアメリカまでも伝わって🎵きました。

当時のことを彷佛とさせるほど、
今回のW杯👑における日本人の熱狂ぶり🔥はものすごい😍ものがありました。

私は今大会をテレビで残らず観戦🌸しましたが、

日本にいながら世界の一流🌟選手のゲームを観戦できることの幸せ💕を感じました。

印象的🌸だったのは、大会2日目に南アフリカ代表との大一番を制したニュージーランド代表を皮切りに、

アイルランド🇮🇪、イタリア🇮🇹、サモア、ナミビア、ウェールズ🏴󠁧󠁢󠁷󠁬󠁳󠁿といったチームが、

勝敗にこだわらず、試合後は1列に並んで日本式のお辞儀⤵️して観客に感謝🌸の気持ち💓を伝える姿でした。

試合後に感謝🌸の気持ち💓をお辞儀で表す。

これが今大会だけで終わらず、今後も世界のラグビー界🏉で続くようになれば、

W杯日本🇯🇵開催の思いがけないレガシ(遺産)になるはずです。


また、試合後、「ノーサイド」(敵味方なく)で選手🍀がだがいを抱き合い、

お互いの健闘をたたえ会う💕姿は実に清々しい✨ものでした。

そしてノーサイドは選手🍀だけのものではなく、

スタンドでは両チームのサポーターが笑顔😊で記念写真📷に収まっていました。

実は本場の英語圏で今は使われない「ノーサイド」(試合終了)というラグビー🏉用語が、

ラグビーの精神⚡️を表すものとして、今回改めて日本🇯🇵から発信🌟されたといってよいでしょう。😊🎵

それぞれのサポーター💕が交ざり合って、座るW杯式の観客席というのは、日本の試合ではあまり見られないものでした。

この「ノーサイドの精神」がさらに日本🇯🇵で広まってほしいものだと思います。😊🍀


日本🇯🇵代表チームの選手の国籍🌎は様々で、代表31人中15人が外国籍🌏でした。

これも他のスポーツではあまり見られない光景🌸です。

日本代表チームに外国籍選手が多いことに関しては当初、批判的💢な意見もあったようです。

しかし、その戦いぶり✊を見ている中で、そのような声🎵はいつの間にか鳴りをひそめました。

選手たちのW杯までの道のりがメディア📺で紹介されて、彼らが血のにじむ努力🌸の上に、日本代表🇯🇵として、

日本人の精神⚡️を自らのものとして戦ってくれたことに、

多くの日本人は驚き😵と感動💓を抱いたのです。

彼らは並々ならぬ思い💓で日本🇯🇵の代表🍀を務めています。

なぜなら、

「一度でもどこかの国での代表歴🌸があると、

別の国で代表選手となることはできない🚫」

というルール📖が存在🌸するからです。

一度日本代表になってしまうと、
自国の代表🍀になることはできないのです。

ラグビー日本🇯🇵代表は国外出身の選手やジェイミー・ジョセフヘッドコーチら外国人スタッフも含めて、

全員🌸が日本の国歌🎵「君が代」を覚え、歌っています。

それだけの覚悟🌟を持って日本代表に選ばれているからこそ、

私たちも国を挙げて応援🌸できたのだと思います。

日本代表チーム🎵のメンタルコーチ荒木香織さんは

「日本代表チームの選手🍀たちに何か共通点🌟はありますか」

との問いに、

「高校🏫や大学🏫で日本一🇯🇵を経験していない人が多いですね。😊

すごくラグビー🏉が好き💕でみんな優しかった。

黙々とチームのためにプレー🌸し、他人に共感💓できる選手が残っている気がしました。

わがままな選手🍀は一人もいなかったです」

と答えています。

日本ラグビー🏉の歴史を変えた男たちは、
ラグビーが好き💕で優しくて思いやりの心を持っていた。

ラグビーを愛する💕人は、それを知っただけでも嬉しく😊なります。

また、前回のW杯👑で一躍有名🌸となった五郎丸歩氏は

「ラグビーが注目👀されている今だからこそ日本🇯🇵代表にいる外国人選手🌸にもスポットを当ててほしい。😊

彼らは母国🌸の代表より日本🇯🇵を選び、
日本🇯🇵のために戦っている最高の仲間🍀であり、

国籍は違うが日本を背負っている😊」

とツイッターで発信しました。

元駐中国大使の宮本雄二氏は、2015年W杯での日本代表🌸の活躍を受け、

同年10月の日本経済新聞📰のコラム『明日への話題』での中で、

「欧州🌍の国家はDNAより、文化🌸を重視した区分けである」

と説明🍀しました。

「DNAの研究が進み日本人自身、縄文時代から多様なルーツ🎵を持っていたことがわかってきた。🌟

そうなると、そろそろ血統💕だけではなく文化🌸を重視した日本人論が出てもいい。

ラグビー日本🇯🇵代表の選考基準🍀は、我々にそのことを考えさせる重要⚠️なきっかけを作ってくれたのではないだろうか」

と書き、日本代表🌸が今後の日本社会🌆のあり方のモデルの1つとなりうるという考えを示したのは実に興味🌸深いことです。


今回のW杯👑を制した南アフリカにとってのラグビー🏉は、この国を象徴🌸する特別なスポーツです。

1995年第3回ワールドカップ👑はその南アフリカが初出場🌸でホスト国を務めた特別な大会でした。

アパルトヘイト(人種隔離政策)が廃止🚫され、
ネルソン・マンデラが黒人初の大統領👑に就任したのは1994年。

マンデラは黒人⚫️と白人⚪️の融和🌸を成し遂げたいと願い、

報復を恐れる白人の不安を緩和させるため、

白人中心💓のスポーツでアパルトヘイトの象徴🌸と言われ、不人気であったラグビー🏉の代表チームを、11年ぶりに編成しました。

そして、異なる人種🍀が協力する✊必要性を訴え、

白人への敵対心が拭えない人々に対して、

「(ナショナルチームの)スプリングボクスを応援🌸してほしい」

と説いて回り、スプリングボクスを

「マイ・ボーイズ🎵」と呼んで応援🌸してしたのです。

アパルトヘイト政策をとっていた南アは
制裁により1985年から91年まで国際🌍試合をしてもらえませんでした。

だからこそW杯には南アの国際社会復帰🌸をアピール🎵する狙いが込められていました。

その時、南アのラグビー史上初、
そしてただ1人の "黒人" 代表選手が、「黒い真珠」と呼ばれた

"快速" チェスター・ウィリアムスです。

残りの25人は全員白人⚪️でした。

迎えた開会式。

マンデルは前日のチーム激励⚡️の際にもらった緑(スプリングボックスのチームから)のキャップ🧢をかぶってグラウンドに登場🌸し、大歓声🎵を浴びました。

最大の理解者🌟に守られた選手🍀たちは、
国全体のために戦うことを誓い✊、

新しい国歌🎵を誇り高く歌いました。

国民和解🍀の象徴🌸として、黒人運動で盛んに歌われた

「神よ、アフリカに祝福🌸を」
(コサ語、ズールー語、ソト語)

と旧国歌
「南アフリカの叫び」
(アフリカーンス語、英語)

を1つに編曲🎵した新しい国家

「虹色🌈国歌」が5つの言語🍀で歌われました。

すべての国民を代表🌸する新国家を建設すると宣言🎵したマンデラの願いが新しい国歌🎵には込められていたのです。

マンデラが投獄されていた当時の囚人番号「46664」をジャージに縫い付けた南ア代表は、

「ワン・チーム、ワン・カントリー」

のスローガン🎵のもと快進撃💢を続け、決勝進出を遂げました。😊🌸

6月24日、マンデラの長年にわたる努力🌸と苦労が実を結びます。

黒人も白人も、あらゆる肌の色を持つ国民がスプリングボックスを応援🌸し、

ニュージーランド🇳🇿代表との激闘💢の末、

南アフリカは優勝👑🎊を遂げたのです。

会場は「ネルソン!ネルソン!」の大合唱🎵でした。

主将🌸のフランソワ・ピナールがカップを高々と掲げ、

マンデラは笑顔😊で手を何度も突き上げました。⤴️⤴️✊

マンデラがピナール主将🌸に優勝杯を渡した場面は、
ラグビー🏉史上最も印象的💓なシーンの1つといわれます。


まさにスタジアムの観客🌸だけでなく、南アは国民4300万人の願い✊と祈り🙏がもたらした勝利👑でした。


2007年のW杯、南アにとって2度目の優勝👑は、いまの多くの代表選手の心💓に刻まれました。

2019年のW杯主将🌸を務めたシヤ・コリシもその1人です。

「家にテレビがなかったので居酒屋で見た」

というコリシは

「優勝👑が国に何をもたらしたのか覚えている。

今回も同じことをしたい😊」

と語り、主将🌸という大役を務め切りました。

そして試合後、

「一丸となって困難に立ち向かいは国として何を成し遂げられるかを示せた勝利👑になった」

と話ました。😊🎵

黒人選手⚫️として初めて南ア代表の主将🌸になったコリシは、

ウェブ・エリス・カップ(W杯👑の優勝トロフィー)を母国の国民に捧げました。

感極まった😭様子で、

「私たちの国には本当に多くの問題⚠️がある。

今回も異なるバックグラウンド、人種🍀が集まったチームだったが、

1つの目標を持ってまとまり、優勝👑したいと思っていた」

と語りました。😊🎵

コリシによれば、南アを率いるラシー・エラスムスヘッドコーチもまた、

「チームのためだけでなく国民のために戦おう」

と励ましたといいます。😊🎵

母国からたくさんのメッセージ🎵をもらったコリシは、

「生まれてから、こんな南アフリカ🌸を見たことはなかった」

「本当にありがとうございました。

南アフリカが大好き💕。

一つになれば何だって成し遂げられる✊」

とつけ加えました。😂

1995年はチェスター1人だった南ア代表の非白人選手は、今大会では11人まで増え⤴️ました。

南アではラグビーはもはや白人のスポーツではなくなったのです。😊🍀


私はいま、日本🇯🇵においてW杯が行われたことの意味🍀は大きいと感じています。

興奮🌸と熱狂😍に沸き上がった日本人(私もその1人でしたが)の姿を眺めて、

スポーツには一瞬⚡️にして空気☁️を変え、

流れを変える大きな力✊があることを改めて感じたからです。😊

おそらく多くの国民の強い思いが、うねりとなって現状🌸を変える大きなエネルギー⚡️を生むのでしょう。

今大会の日本VSスコットランド戦は、台風19号🌀の影響で開催が危ぶまれました。

その一部始終を目の当たりにした英国🇬🇧ガーディアン紙の記者は、

日本人の「おもてなし」に感銘し記事📰にしています。

「ラグビー協会🏉は、当日の開催の有無を日本の組織委員🌸に委ねた。

堤防が壊れ、川は溢れ、会場の近くで100万人が避難し、

多数の方が行方不明、その時点では犠牲者の数さえ把握できない状況🌸だった。

にもかかわらず、彼らは開催🌟を決定した。

組織委員🌸は、スタジアムに泊まり込んで、

更衣室から水💧を吸い出し、

ピッチに流れ込んだ泥やゴミを一掃し💨、

政府🏛や交通機関🚄と協力し、開催に向け困難な課題🌸に取り組んだ。

まさに開催国としてのおもてなしの心💓で動いた。

W杯開催にあたって日本🇯🇵では、

『おもてなし』とは何かを問う議論が活発になされてきた。

日本で過ごした記者は、日本人の『おもてなし』とは、客人を喜ばせる💕ために全力✊を尽くすことで、

その姿は他国の予想☁️をはるかに上回るものだった」。

国際統括団体ワールドラクビー🏉のボーモント会長は、

すべてのレベルで際立った成功👑を収めた日本🇯🇵開催を高く評価💕し、

「将来W杯が日本で再び開催🌸されることに躊躇(ちゅうちょ)はない」

と話しています。

惜しくも3年前に他界した「ミスターラグビー」平尾誠二氏は10年後、20年後に日本がW杯で優勝🎊するという夢🌈を抱いていました。

それが「夢」ではなくなる日が来る。

いま私はそう強く思えるのです。😊🎵


(「致知」1月号 村上和雄さんより)

アルツハイマー薬5

2019-12-08 12:33:00 | お話
アルツハイマー薬5

(杉本さんは部下と共に世界初のプロジェクトを成功に導いてこられましたが、リーダーの条件は何だと思われますか?)

🔹杉本、やっぱり、あの人のためならついていこうというカリスマ性が必要でしょうね。

エーザイは社内での競争も激しかったのですが、

他のチームが攻撃を受けている時でも、私は一緒になって戦っていました。

時には喧嘩してしまう時もありましたけど、

この義侠心があるから部下がついてきてくれるのだと思います。

(義侠心が大切だと)

🔹杉本、あと「飲みニケーション」も大事です。

研究開発の成功に不可欠なのは、研究員一人ひとりのやる気です。

研究員のモチベーションを高めるのがリーダーの役割だと言っても過言ではありません。

リーダーの役割としてわかりやすい譬(たと)えがあります。

西洋型リーダーシップをカッターボードとすると、

日本型は神輿のようなものです。

ボートは1人のリーダーだけが進行方向を見て、その指示に従って全乗組員が後ろ向いてオールを漕いでいます。

一方、神輿の場合は担ぎ手たちが「わっしょい」と声を掛け合いながら前進していくのですが、

リーダーは傍(そば)で担ぎ手たちを煽いでいる。

これと同じように一人ひとりの研究員の心に火がつけば、放っておいても働きますよ。

(火をつけるのがリーダーの役割だと)

🔹杉本、ええ。そのために大切なのがちゃんと評価をし、褒めることです。

指導者がちゃんと見ているチームのモチベーションは絶対に下がりません。

ただし、褒めるだけじゃダメですね。

もちろん9割は褒めていいんですけど、あと1割は恫喝(どうかつ)。

「あの人は怒ると怖い」という威厳も必要です。

これがないと、わさびが効ません。

ですから、「よいしょ」と「恫喝」、この2つがリーダーの条件とも言えますね。


(物事を成就する人と成就できない人の差はどこにあるのでしょうか?)

🔹杉本、これは『致知』だから言える話ですけど、

物事を成功させる条件は、どれだけ「無形財産」を持っているかではないでしょうか。

無形財産というのは、「どれだけ世のため人のためになることをしたか」、

その積み重ねのことです。

いくら優秀でも、無形財産が足りない人は成功しません。

もっと言うと、人生は善いことを思い、善い行いをすれば、善い人生になります。

悪いことを思い、悪い行いをすれば、悪い人生なんです。

世のため人のためになることをすれば、絶対成功する。

そのお手本が大自然ですね。

(大自然がお手本)

🔹杉本、私たちの心臓は生まれた時から1回も休んでないでしょう。

ちょっと疲れたから休暇を取る、旅行に出かける。

そんなことありませんよね。

しかも、心臓は全身の心臓は自分のためじゃなくて、全身の臓器のために生きているんです。

植物だってそうです。

人間を含めた他の動物のために、二酸化炭素を吸って酸素を出してくれる。

大自然というのは皆、他のために生きているんです。

人間だけが自分中心なんです。

この自分自身をなくせば、絶対に世の中は丸く収まると思いっています。

(無形財産を持つというのは「徳を積む」とも言い換えることができますね)

🔹杉本、そういうことです。お金は使ったら減りますけど、この無形財産、徳というのはいくら使っても減らないんです。

そして、魂についているので、死んでもまたその無形財産を引き継いで生まれてくる。

私が強運なのはたぶん前世で何かしらの無形財産を積んでいたからでしょう。

だから今私は自分にできる施しを心がけて、

募金とか托鉢をやっているのでしたら必ず少しでも寄付をしています。

トイレ掃除も1日に3回行っています。

それを積み重ねることで種が植えられ、将来困ったときに助けてもらえるものなのです。

人を助けたことのない人、人のために己を犠牲にしたことのない人は絶対に助からないし、成功しません。


(最後に、人生で1番大切なものは何だと思われますか?)

🔹杉本、やっぱり1番は「恩を知ること」。

これ以外にありません。

今この世の中が乱れているのは、恩を忘れてしまったからだと私は思います。

恩を知っていれば自分がファーストになんなりません。

どれだけ両親が苦労して育ててくれたかを思えば、親孝行するのが当たり前じゃないですか。

それと、奥さんがどれだけ尽くしてくれているか、

その恩を知っていれば絶対に奥さんを粗末にできません。

私は若い頃、よく研究員を自宅に招いて飲み会を開き、部下たちのストレス発散やモチベーションアップを図っていたのですが、

それらをすべてもてなしてくれたのが妻でした。

その恩に至れば、自然と尊敬につながります。

尊敬し合える人間関係は絶対に崩れません。

これは夫婦、親子、上司と部下、どんな関係性でも同様です。

今年私たちは金婚式を迎えるんですけど、50年間1度も喧嘩をしていません。

(恩を知り、尊敬しあえる人間関係を築いていけるかが大事だと)

🔹杉本、あとは、成功者の多くが言っていることですけど、

成功するまで諦めないこと。

「断じて行えば鬼神もこれを避く」

という言葉がある通り、男気や信念が人生を切り拓く力になると思います。

私は12年前から『致知』を愛読しているのですが、

最近『致知』で学んだのは教育者・東井義雄先生の

「本物は続く。続けるから本物になる」という言葉です。

私は諦めずにコツコツやり続けたからよかったのでしょう。

あと坂村真民先生の「鈍刀(どんとう)を磨く」という詩も大切にしています。

「鈍刀をいくら磨いても

無駄なことだというが

何もそんなことばに

耳を借す必要はない

せっせと磨くのだ

刀は光らないかもしれないが

磨く本人が変わってくる

つまり刀がすまぬすまぬと言いながら

磨く本人を

光ものにしてくれるのだ

そこが甚深微妙神の世界だ

だからせっせと磨くのだ」

これは、努力してもなかなか報われないと思っている人には最大の援助の言葉です。

24時間寝ても覚めてもという姿勢で仕事に打ち込んでいると、

人知を超えた大きな計らいが得られる。

それが今年喜寿を迎える私の信念です。

私は老後と言うのは100歳からだと思っています。

まだまだ青春だと思うと頑張れるじゃないですか。

その心意気で、これからもアルツハイマー病の根本治療薬の完成に向けて、精進し続けたいと思います。


(おわり)

(「致知」12月号 杉本八郎さんより)


アルツハイマー薬④

2019-12-07 13:07:00 | お話
アルツハイマー薬④

(その後はどういう歩みを辿られたのですか?)

🔹杉本、ある時飲み会で社内のライバルと大喧嘩し、私は手を出してしまったんです。

そうしたら、「君はもう研究はいいから、人事部に行け」と。

悔しかったですね。

アリセプトが臨床試験の段階に入って、これからという時期でした。

人事部に行っても研究の思いが断ち切れず、一時転職活動をしたことがあります。

でも、どこも採用してくれなかった。

それもそのはずです。

50代目前にして、大学は夜間部を卒業しただけで博士号はなく、論文も1本もない。

これでは採用されるはずがありません。

泣く泣く前人事部の仕事をすることになりましたが、

結果としてそれが非常によかった。

時間に余裕ができたので、仕事終わりに毎日零時まで図書館にこもって、論文を書き続けました。

また、人事部にいたおかげで全国の大学の先生とネットワークができ、

私の論文を読んだ広島大学の先生が声を掛けてくださり、広島大学で学位を取れることができたんです。

それがなければ教授にはなれていません。

つくづく、人生において無駄なことは何一つない。

人生すべて当たりくじなのだと実感しています。

(一見、左遷と思いたくなるような不遇な状況でも、心を腐らせることなく精進されたのですね)

🔹杉本、人事部には結局7年在籍しました。

転機が訪れたのは、アリセプトがようやく新薬として販売開始されることになり、

記念大会が1997年にアトランタで開かれた時です。

開発代表として、母親のエピソードを交えながら開発に懸けた思いを語ったところ、

大歓声と共にスタンディングオベーションが起きたんです。

あれはもう感動の瞬間でしたね。

その後社長が研究所に戻してくれ、60歳の定年まで所長として勤めあげることができました。

(研究者として花道を飾ることができたのですね)

🔹杉本、実は研究者になった頃から、私はある葛藤を抱えていたんです。

母親の影響で『法華経』になじみがあったのですが、

その中に、「生き物を殺してはいけない」と書かれている。

でも研究室では動物実験をしなければいけない。

人間の健康を得るために小さい動物の命を犠牲にしなければならないという矛盾にぶつかった。

(難しい問題ですね)

🔹杉本、それで「もう研究をやめよう」と思った矢先、

人事部に異動になったんです。

だから、人事部から再び研究職に戻った時、

私は「研究に携わっている間は肉を断とう」と自らに誓いを立てました。

以来20年間、一切肉を食べていません。

それだけではなく、毎朝30分間、実験に使った動物たちの供養のためにお経をあげ、毎年法名をつけています。

マウスやサル、イヌといった動物たちのおかげで研究することができている。

ならば、お礼が必要なんですよね。

普通の科学者はそんなことしないでしょう。

これが冒頭でもお話しした、

根拠のない自信につながっていると思うのです。


(つづく)

(「致知」12月号 佐々木洋さん 平岡和徳さんより)