花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

古都鎌倉史跡めぐり  建長寺 『施餓鬼会』

2009-07-19 | 鎌倉の四季
  【施餓鬼会】

建長寺は鎌倉五山第一位で正式には巨福山建長寺興国禅寺が正式名です。
総門・三門・仏殿・法堂が一直線上に並ぶ禅宗寺院独特の伽藍配置を採っています。

★8:00 三門下に施餓鬼棚が設けられ、位牌のまわりに果物や野菜などが備えられ、三門には七如来の名前や幡がたなびいています。国宝の梵鐘が厳かに撞かれ館長のお経がはじまります。
  

★「水向け」先ず館長が桶の水をシキミの枝で撒き、三界万霊に供養をします。餓鬼に水や食物を食べさせた事になるのです。次に僧侶が二人ずつ組になって水懸をします。
     

★ 行道(ぎょうどう)が始ります。お経を唱えながら三門の周りを廻る作法です。このお経を浴びる事で私欲が祓え、清浄な境地を得られると言います。
皆が元の位置に戻ると施餓鬼法要の終わりです。
 

建長寺の落慶式が無事に済んだ翌年の建長六年(1254)7月15日、一門総出頭で三門施餓鬼が行われ、終了して引き上げようとした時、息せき切って駆け込んできた武者一騎がありました。施餓鬼が終わってしまった事を知り、後悔の念で引き返そうとしのを見て 開山は再び施餓鬼棚を戻して、梵語心経を唱えて施餓鬼を行いました。
その武者は非常に感謝して「我は梶原景時の霊である。只今の有り難きご供養で長年の苦患を脱する事が出来て忝い限りである」と歓喜の涙を浮かべて謝し去りました。この供養を梶原施餓鬼と言い、以後毎年七百五十余年の今日まで7月15日に回向を行っているのです。

★8:30頃 梶原施餓鬼が始ります。
 「梵語心経」(サンスクリット語の般若心経)が詠うように唱えられ、梶原景時 の霊の供養が始ります。
 

★読経の声に鉦の音が和す中、導師が最後のお焼香をして立ち去り、その後各僧が焼香しながら立ち去って行きます。これで一連の儀式が終わります。

【鐘楼 梵鐘(国宝)】
開基北条時頼の初願で大和権守重光が鋳造しました。時を知らせたり、儀式の合図に打ち鳴らしました。本日も勿論打ち鳴らされました。
      

【法堂(はっとう)】
住職が説法をする場所で、鎌倉五山ではここにしか存在しません。
平成14年、解体修理が行われ「雲龍図」が小泉淳作画伯により制作されました。
     

【三門 五百羅漢像 十六羅漢像】
山門とも書きますが、禅宗では三門です。「空・無相・無作」の三つの解脱を意味します。あらゆる執着や迷いから解き放たれること。
三門は30mの高さがあり二階建てになっていてこの日は開放されましたが、非常な急斜の梯子を登ることになります。
中央に釈迦如来像、両脇には銅像の五百羅漢が、その又脇に非常に美しい絹本著色の大きい十六羅漢像が安置されています。前回は語り部のお話を聞きましたが、今回は拝礼をして外側の回廊を廻って、境内の広大さを目にしながら「執着や迷い」から解き放たれるよう念じてみましたが・・