花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

渡良瀬遊水地

2010-06-02 | 撮影を楽しむ
【渡良瀬遊水池】



渡良瀬遊水地は 栃木、群馬、埼玉、茨城の4県にまたがる、日本最大の遊水地で、渡良瀬川、思川、巴波川の流入を調節して治水上の重要な役割を果たしています。例えるなら山手線内の半分の面積に相当しているのだそうです。
日本一の大河 利根川との関係や日光線を利用した割には、眼にする事が無かったこと等・・沢山の事が解かって、楽しさプラスアルファでキット思い出に残る事でしょう。

【渡良瀬遊水池 渡良瀬貯水池 谷中湖 と色々な名称があります 】

     

渡良瀬遊水池はハート型をしています。中央に真っ直ぐな道と途中から左手にもう一本延びていますが、入り口でこのハートの全貌を見ることは出来ません。それほどに巨大なのです。
左手に分岐した路を進みますと、護岸に20~30cmの魚が何匹も打ち上げられていましたし、釣を楽しんでいる人達も見受けました。

【渡良瀬遊水地 】
           

やがて湖が終わり広大な草原が開けてきました。「大きな楡の木の下で」輪になってお弁当を広げている人達がいます。私たちも休憩をとることにしました。(地図上ではオレンジ色のゾーン)

【クローバーの原っぱ】

    

《チョウジソウ》

       《ユウゲショウ》
       
              《ヘラオオバコ》
              
                     《ヘビイチゴ》
                     

実はこのゾーンこそが、洪水常襲地帯であり洪水がもたらす肥沃な土壌環境に恵まれ、沼地や湿地が広がり農業や漁業も盛んで、自然に恵まれた穀類豊穣な農村として繁栄していました。
しかし明治18年頃より足尾銅山から流出する鉱毒が渡良瀬川を汚染し、谷中村一帯を毒害するに及び悲惨な死の沼と化したのです。爾来30年に亘り衆議院議員田中正造を先頭に村民は鉱毒との闘いを続けました。
明治37年栃木県議会は堤防修築と言う名の許に谷中村買収を強行議決しました。
明治40年堤内に残留する16戸を強制破壊し、大正6年谷中村は名実共に滅亡しました。

【首都圏の水がめ】
利根川から取水される水道用水の水源は、上流にある多くのダムに依っていますが平野部に出来た我が国初の多目的貯水池として、生活用水の補給を状況に応じた素早い対応で可能にしています。地図上の目算では谷中湖から利根川まで5Kmくらいでしょうか。

【ウオッチングタワー】

     

この塔に登ると360度見渡すことが出来ます。晴天なのに東方の筑波山が薄く薄く見えたような・・・見えなかったような。
眼下にヨシ原が広がっています。貯水池の水を遊水地内に自生しているヨシ原に通して、窒素やリン、植物プランクトン等を吸着、沈殿、吸収などにより取り除いて、水質の自然浄化を図り、貯水池の水質を保全しています。

     

朝は東武日光線を利用して浅草から柳生で下車。帰りは古河からJRにしました。
早朝から夜中まで15時間を要する旅でした。大宮で降りて食事をしたり、歩き疲れしゃべり疲れて横浜駅寸前まで居眠りをしてしまいました。
渡良瀬渓谷や、足尾銅山、足利市の中心を長大な川が貫通している様は、足を運んで見たことはあったのですが、そしてこの遊水地の事は漠然とは知っていたのですが、この地を歩き見つめて この100有余年の人々に思いを馳せたのでした。 
そして沖縄のこれからを胸に刻むことになるのでしょう・・・


遊水池・遊水地の2葉はパンフレットより借用