花水木の独り言

庭の大きなハナミズキの、白い蝶のような花びらや、真紅の葉に気持ちを託して・・徒然なるままにキーを打ちました。

茅ヶ崎に頼朝にまつわる史跡を巡る

2009-09-13 | 鎌倉の四季
                            【鶴峰八幡宮参道】

茅ヶ崎は東海道が貫通している いにしえから栄えた土地であることを、訪れて始めて認識する事になりました。源頼朝の何代も前からの神社や、始めて聞く大地震の贈り物など興味の尽きない史跡巡りになりました。

【旧相模川橋脚】
大正12年(1923)関東大震災の噴砂現象に依って7本の橋脚が地上に出てきたのです。その後地下に埋もれた3本も発見されました。
「国指定史蹟 旧相模川橋脚」と石柱は示していますが、現在の相模川は氾濫を繰り返し蛇行しながら1.5 kmも西方へ移動してしまっていたのです。しかし当時の橋脚は土中に埋もれたまま700年余を経て地上に露出して来ました。人々の驚きは如何ばかりだったことでしょう。
 

            

《橋脚の発掘調査の様子が図示されています。》
        
               

《旧相模川橋脚公園見取り図》
          

《現在橋脚はレプリカとして再現》
  

橋巾は9m 長さ40m以上で南北に架けられていたと推定されています。
源頼朝の武将の一人稲毛重成が亡き妻の供養に、相模川に橋を架けて盛大に完成を祝い頼朝を招いて渡り初めを行いました。亡き妻とは将軍の妻政子の妹でした。
橋供養の帰路頼朝は落馬し16日の病臥の後死亡するのです。

「吾妻鏡」には鎌倉幕府創業の将軍の死についての詳細が一切なく、謀反或いは暗殺の推測が成されています。現在の橋脚は此の時造られたものといわれ、国の指定史跡になっていてとても興味深いものでした。

【鶴峰八幡宮】
源義家が後三年ノ役勝利のお礼に、父頼義創建の矢畑(八幡)本社宮をここに移しました。長大な参道は760mあり、徳川家光から7石の朱印を得ます。これを記念して朝恵が松並木を植林しました。

  

 《大銀杏 義家お手植え》
    

  根廻り:8.5m
  高さ :29m

茅ヶ崎駅から新湘南バイパスを左に見つつ北上し小出川の陸橋で大きくジグザグと横切って、その川辺の緑地帯を暫く進んでから南下します。南北に長く歩く事6キロ 史跡や神社そして多くの寺院を拝観して縁側でお弁当を遣わせて頂き (鎌倉ではこのようなことは出来ませんが) 程よく疲れて茅ヶ崎の旅は終わりました。   

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