横浜市都筑区耳鼻咽喉科

南山田(センター北と北山田の間)の耳鼻咽喉科院長のブログ。

ゴールデン・ウィークも終わります

2011-05-08 21:05:09 | 院長ブログ

今日もクリニックの階段の工事の続き。

ゴールデン・ウィークも終わりますが、今日は本当に良い天気でした。

しばし、ひまわりと過ごしました。この季節は花と緑がいっぱいです。紫のクレマチス(鉄扇)が見ごろ。白いオオデマリの向こうに見える黄色いエニシダはまだ良い香りをただよわせています。モッコウバラはそろそろ終わりでしょうか。その根本の赤い花は名前を知りません。ひまわりは私の膝に前足を載せて立ち上がり、テーブルの上のお菓子に舌なめずりをしています。

夜は、ひまわりと散歩。公園の木の上に三日月がかかっているのが見えます。

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原発停止

2011-05-07 19:22:00 | 院長ブログ

今朝の朝刊(朝日)の第一面は、浜岡原発全停止へ、でした。首相が要請し、中部電力も受け入れる方向とのこと。M8程度の東海地震の可能性が近い将来起こる可能性が高いことが、理由としてあげられています。

首相には法律上、原発の停止を指示する権限はなく、要請しかできないとのこと。また原発を停止すれば、中部電力は不利益を被ったとして株主から訴えられる可能性もあるとのこと。日本は法治国家ですから、何事も首相や社長の一存で決まるわけではありませんから、まだ決定されたわけではないようです。

今まで国は原発依存を高めていく方針で、国民もそれを容認していました。容認といっても、私を含めた大多数の人にとって、原発は遠い所にあって何かあっても自分には被害がないと思い、黙認していただけなのかも知れません。

選択肢はいくつかあります。

1. 絶対安全な原発などないから、即時すべて停止する。 日本の電力の原発の依存度は30%程度。1980年には現在の約半分の発電量でやっていたのだから、節電をすればできるかも。しかし産業にどれぐらいの打撃があるか。いずれにせよ、現在の贅沢な生活は諦めなければならない。

2. 新しい原発は造らずに、現存する原発も順次廃止していく。 そのためには、原発に換わるエネルギー源が必要。石油には頼れないことが明らかだし、石炭にはC02排出などの問題が大きい。天然ガスも、日本ではあまり採れない。今までにない技術の開発が必要だが、すぐできることではない。

3. 原発はやはり必要なので、安全性を高めながら増やしていく。 ビル・ゲイツなどは「キロワット時あたりで比較すれば原子力より石炭による死傷者の方が問題にならないほど多い」と言っています。しかし、今、新しい原発を受け入れる場所など、日本中どこにもないでしょう。

このような重要なことは、一政権が決めてよいことではないでしょう。国民投票で決めて、皆がその決定に責任を持つべきかも知れません(実際には、日本の法律では、憲法改正以外の国民投票はありませんが)。国の将来を選ぶのは、政府ではなく国民だというのが、民主主義です。民主主義には、責任も伴います。重い責任は、私たちにあります。

選択肢の2.がうまくいけば理想的でしょうけど、そう簡単ではありません。スウェーデンでは、1980年の国民投票で、2010年までに12基あった原発を段階的に廃棄していくことが決まりましたが、30年の間に期待された代替エネルギーの開発は進まず、廃棄された原発は2基にとどまっていました。このため2010年という期限は延期され、今後も代替エネルギーの開発と省エネの努力を重ね、それでも現存の原発の寿命が来るときに間に合わなければ、新規の原発も建設するということになりました。

 

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天井桟敷と由布院の歴史

2011-05-06 05:22:39 | 旅行、レストラン

朝、階段の工事のため、鍵を開けにクリニックへ。午後はテニス。

昨日書いた、天井桟敷について補足します。天井桟敷は由布院の最も有名な旅館亀の井別荘に併設された喫茶店です。亀の井別荘は、高いし予約がなかなか取れないし、一度も泊まったことがないのですが、天井桟敷は若いころから大好きで、よく行っています。

 

江戸時代の建物の梁や柱を使って造られており、ほの暗い店内にはグレゴリオ聖歌が流れ、窓からは緑と光のあふれる庭が眺められます。2階席には、コーヒーなどが木製の手動リフトで届けられるのも面白いのですが、若いころこの2階席がお気に入りだったのはそのためではなく、本棚に昭和20年代30年代のキネマ旬報のバックナンバーがずらりと並んでいたからです。

由布院はもともと盆地の小さな農村で、昭和40年代までは温泉と言ってもひなびた宿が何軒かあるだけでした。そこに、東宝で稲垣浩監督らの助監督をしていた、亀の井別荘の跡取り中谷健太郎さんや、玉ノ湯の婿溝口薫平さんら当時20代30代の若い世代が、ヨーロッパ各地の観光地や温泉保養地を視察してまわり、和なのに欧のセンスも感じさせる宿を造って、現在のような人気温泉になったのです。

彼らは由布院にゴルフ場建設計画ができたときには反対運動を行って中止させ、自然を残した、ゴルフ場もない歓楽街もない、現在に続く由布院のイメージを確かなものにしました。湯布院映画祭、ゆふいん音楽祭を始めたのも彼らです。

彼らはまた、由布院町民の多くを占める農家を味方にすることを忘れなかったようです。観光客が来るだけでは農家の人には迷惑なだけですが、中谷さんたちは地元の農家や酪農家の人たちに名産品となるようなものを工夫してもらい、それを宿の食事で出したり、店で売ったりしました。まちづくりには行政の力も必要だったと思います。現在の由布院をつくったもう一人の立役者は岩男穎一町長ですが、岩男氏は医師でもありました。

 

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1泊2日の帰省

2011-05-04 21:04:06 | 旅行、レストラン

連休中に、クリニックの入り口の階段を、より安全により明るいスペースにするための、工事を行っています。

その中で、用事があって昨日と今日は、九州に1泊2日で行ってきました。昨日の午後と今日の午後で用事を済ませ、今日の朝は、母を由布院に連れて行きました。正月には、雪で行けなかったのです。元旦 帰省 

由布院は、初夏の蛍、夏の避暑、秋の紅葉、冬の雪景色、朝霧と、四季折々いつ訪れてもよい所です。ただしゴールデンウィークの由布院は、新緑が見事ですが、恐ろしく混雑しますので、あまりお勧めしません。今日は、まだ混まない朝のうちに着いて、天井桟敷でモーニングセットを食べて、金鱗湖周辺を散策しただけで、混む前に帰って来ました。帰るときには、対向車線は、高速道路の出口から由布院の中心まで数キロに渡って車が連なり、ほとんど動かない状態になっていました。

冬の朝、金鱗湖の湖面から立ち上る霧は神秘的で、一見の価値があります。この季節でも少し朝霧を見ることができます。この写真で、湖面に湯気のようなものが見えるのが、分かるでしょうか。

  

天井桟敷では、この窓際のテーブルが一番気に入っています。この窓からの眺めは、どの季節でも最高です。モーニングセットは一見普通ですが、温泉卵、パン、バター、チーズ、ジャム、ヨーグルト、蜂蜜、鴨のハム、ピクルス、すべてが地元の名品です。

 

母は来年米寿ですが、思ったよりも元気だったので安心しました。旅行にはいつも、移動中などに読む本を持っていくのですが、今回は、亜沙郎先生も推薦されていた” ニーチェの言葉”。行きの飛行機で半分読みました。ところが夜のうちに母が勝手に読んで、「ニーチェの考え方は私とそっくりだ」とえらく気に入っていたので、置いてきました。帰りの飛行機は、睡眠タイムになりました。

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安藤美姫さん世界選手権優勝

2011-05-01 00:03:45 | スポーツ

フィギュアスケート世界選手権で、1年ぶりに競技に復帰したバンクーバー五輪金メダリストの金妍児を抑え、安藤美姫さんが優勝しました。とても嬉しいニュースです。

この世界選手権は、もともと3月21日から東京で行われる予定だったのですが、地震で中止。9月に延期して東京で行う道も探ったようですが、断念せざるを得ず、モスクワで行われることになったものです。東京での開催の中止を強いられた関係者にとっても、彼女の優勝は救いになったでしょう。

私の出身教室が主催する国際鼻科学会XIV IRS & XXX ISIAN, 2011, Tokyo, Japanも、4月初旬に予定されたのが、9月に延期されました。学会の事務局を担当している後輩の心労は、察するに余りあります。9月の学会が成功することを願っています。

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