2019-10-8(火)
北海道檜山郡厚沢部町の『道の駅 あっさむ』で41日目の朝を迎えました。
天気は雨 気温15℃
さて今日の観光でいよいよ北海道ともお別れです。
昨夜、2人で会議を開きました。
10月18日の浦和戦までこのまま北海道観光を続けるのが良いのか、それとも東北を観光しながら浦和に行くのが良いのか。
結果。
2人とも北海道の行きたかったところは全て回り、これで満足したので10月8日で北海道観光は終了。
北海道一周の旅はこれで完結です。
10月9日からは『東北編』ということで旅を続け、そのまま南下して10月18日の浦和戦に参戦することに決めました。
今までと違うところは、北海道観光は時間を区切らずに2人が納得するまで回る旅でしたが、今度の東北編で使える時間は浦和戦まで。
時間の使い方が逆の旅になります。
まぁそれでも自分たちらしくマイペースでいけたら良いかなと。
今までと変わらず2人を見守っていただけたら嬉しく思います。
という事で今日は北海道最後の観光です。
向かったのは『江差』
函館からだと車で約1時間30分の距離です。
AM9時45分
『道の駅 江差』到着。
思っていたよりも小さな道の駅です。
もしかすると今までで一番小さな駅かも知れません。
と思っていたら本当に日本で一番小さい道の駅でした。
現在北海道にある道の駅は全部で140ほど。
ここは六番目の早さで登録されたそうです。
さて問題です。
この建物はどちらが道の駅でどちらがトイレでしょうか?
答え。
左側がトイレなんです。
トイレの方が何倍も大きいんです。
実際道の駅の中に入ると3畳ほどの広さでした。
『江差』といえば民謡で有名な"江差追分"の発祥の地です。
『江差追分会館』 到着!
会館の中では江差追分がエンドレスで流れていました。
独特の音調が、心の中にしみてきます。
追分(おいわけ)と言うのは、道が左右に分かれている所という意味です。
日本海から北上してきた北前船が、蝦夷に到着して、ここ江差から陸路左右に分かれて物資が運ばれたと言う事です。
AM10時20分
『海の駅 開陽丸』到着。
何故この"江差"に開陽丸が復元されているのでしょうか?
江戸城が無血開城した時に、新政府(薩摩や長州)に不満を持っていた旧幕府軍が開陽丸を先頭に軍艦で脱出。
そのシンボルであった開陽丸が新政府軍に敗れこの江差の沖で沈没し、戊辰戦争が完全に終わってしまうわけです。
そこで復元されたのが"開陽丸"です。
開陽丸のすぐ横にあるのが
『かもめ島』
海抜20m、周囲2.6kmの小さな島です。
昔、このかもめ島は弁天島と呼ばれてました。
その頃この島はニシン漁や北前船交易の舞台でした。
江差の歴史はかもめ島から始まったと言っても過言ではありません。
この美しい自然の小島は、江差のシンボルとして多くの人に愛され、親しまれています。
そのかもめ島の静かな湾の中にポツンと立っている岩。
瓶子岩(へいしいわ)です。
『あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられています。』
その先にあるのが
『北前船係留跡(町指定文化財)』です。
往時、海路江差までたどり着いた北前船が江差に錨を下ろした場所は、日本海の荒波から船を守るかもめ島の内海でした。
その際の係留跡として、島の岩盤に細工した係留柱を入れる穴や係留環(ロープを通す環)が今でも残っています。
『義経と馬岩の伝説』
かもめ島の東側、えびす浜に面した波打ち際に、白馬が首を上げ、いなないているかのように見える岩があります。
かつて奥州平泉から源頼朝に追われた義経が、いっとき江差に逃れ住んだ後、葦毛の愛馬をかもめ島に残して再び出発したのですが、馬は雨の日も風の日も海辺を離れずに義経を待ち続け、やがてそのまま化石となってしまいました。
それがこの馬岩だと伝えられています。
11時30分 出発、
11時50分
『道の駅 上ノ国もんじゅ』到着。
ここが北海道で最後に訪れた道の駅となりました。
函館フェリー乗り場へ。
『18時 出航』
いよいよ北海道を離れます。
さようなら函館!
さようなら北海道!
函館から青森へ。
とここで嫁、北海道最後の日にやらかしてしまいました(笑)
津軽海峡フェリーと青函フェリーを間違ってしまったようです。
嫁がネットで調べていたのは『津軽海峡フェリー』
スマホナビに登録して実際に乗ったのは『青函フェリー』
ネットで調べた名前の駐車場は無いし、お土産売り場は無いし、そもそも乗船時間が17時台だったのが18時。
『でも消費税が上がったので乗船時間も変わったのよ』・・と言っていた嫁(笑)
フェリーを間違った事は認めたものの値段が安かったのと、乗客が少なかったので『まぁいいか』で終了(笑)
まだまだ続く東北編。
無事に浦和に行けるのでしょうか?
口ナビ様、スマホナビ様よろしくお願いします。
北海道檜山郡厚沢部町の『道の駅 あっさむ』で41日目の朝を迎えました。
天気は雨 気温15℃
さて今日の観光でいよいよ北海道ともお別れです。
昨夜、2人で会議を開きました。
10月18日の浦和戦までこのまま北海道観光を続けるのが良いのか、それとも東北を観光しながら浦和に行くのが良いのか。
結果。
2人とも北海道の行きたかったところは全て回り、これで満足したので10月8日で北海道観光は終了。
北海道一周の旅はこれで完結です。
10月9日からは『東北編』ということで旅を続け、そのまま南下して10月18日の浦和戦に参戦することに決めました。
今までと違うところは、北海道観光は時間を区切らずに2人が納得するまで回る旅でしたが、今度の東北編で使える時間は浦和戦まで。
時間の使い方が逆の旅になります。
まぁそれでも自分たちらしくマイペースでいけたら良いかなと。
今までと変わらず2人を見守っていただけたら嬉しく思います。
という事で今日は北海道最後の観光です。
向かったのは『江差』
函館からだと車で約1時間30分の距離です。
AM9時45分
『道の駅 江差』到着。
思っていたよりも小さな道の駅です。
もしかすると今までで一番小さな駅かも知れません。
と思っていたら本当に日本で一番小さい道の駅でした。
現在北海道にある道の駅は全部で140ほど。
ここは六番目の早さで登録されたそうです。
さて問題です。
この建物はどちらが道の駅でどちらがトイレでしょうか?
答え。
左側がトイレなんです。
トイレの方が何倍も大きいんです。
実際道の駅の中に入ると3畳ほどの広さでした。
『江差』といえば民謡で有名な"江差追分"の発祥の地です。
『江差追分会館』 到着!
会館の中では江差追分がエンドレスで流れていました。
独特の音調が、心の中にしみてきます。
追分(おいわけ)と言うのは、道が左右に分かれている所という意味です。
日本海から北上してきた北前船が、蝦夷に到着して、ここ江差から陸路左右に分かれて物資が運ばれたと言う事です。
AM10時20分
『海の駅 開陽丸』到着。
何故この"江差"に開陽丸が復元されているのでしょうか?
江戸城が無血開城した時に、新政府(薩摩や長州)に不満を持っていた旧幕府軍が開陽丸を先頭に軍艦で脱出。
そのシンボルであった開陽丸が新政府軍に敗れこの江差の沖で沈没し、戊辰戦争が完全に終わってしまうわけです。
そこで復元されたのが"開陽丸"です。
開陽丸のすぐ横にあるのが
『かもめ島』
海抜20m、周囲2.6kmの小さな島です。
昔、このかもめ島は弁天島と呼ばれてました。
その頃この島はニシン漁や北前船交易の舞台でした。
江差の歴史はかもめ島から始まったと言っても過言ではありません。
この美しい自然の小島は、江差のシンボルとして多くの人に愛され、親しまれています。
そのかもめ島の静かな湾の中にポツンと立っている岩。
瓶子岩(へいしいわ)です。
『あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられています。』
その先にあるのが
『北前船係留跡(町指定文化財)』です。
往時、海路江差までたどり着いた北前船が江差に錨を下ろした場所は、日本海の荒波から船を守るかもめ島の内海でした。
その際の係留跡として、島の岩盤に細工した係留柱を入れる穴や係留環(ロープを通す環)が今でも残っています。
『義経と馬岩の伝説』
かもめ島の東側、えびす浜に面した波打ち際に、白馬が首を上げ、いなないているかのように見える岩があります。
かつて奥州平泉から源頼朝に追われた義経が、いっとき江差に逃れ住んだ後、葦毛の愛馬をかもめ島に残して再び出発したのですが、馬は雨の日も風の日も海辺を離れずに義経を待ち続け、やがてそのまま化石となってしまいました。
それがこの馬岩だと伝えられています。
11時30分 出発、
11時50分
『道の駅 上ノ国もんじゅ』到着。
ここが北海道で最後に訪れた道の駅となりました。
函館フェリー乗り場へ。
『18時 出航』
いよいよ北海道を離れます。
さようなら函館!
さようなら北海道!
函館から青森へ。
とここで嫁、北海道最後の日にやらかしてしまいました(笑)
津軽海峡フェリーと青函フェリーを間違ってしまったようです。
嫁がネットで調べていたのは『津軽海峡フェリー』
スマホナビに登録して実際に乗ったのは『青函フェリー』
ネットで調べた名前の駐車場は無いし、お土産売り場は無いし、そもそも乗船時間が17時台だったのが18時。
『でも消費税が上がったので乗船時間も変わったのよ』・・と言っていた嫁(笑)
フェリーを間違った事は認めたものの値段が安かったのと、乗客が少なかったので『まぁいいか』で終了(笑)
まだまだ続く東北編。
無事に浦和に行けるのでしょうか?
口ナビ様、スマホナビ様よろしくお願いします。