食の旅人

~ 食べることは生きること、生きることは旅すること、そうだ食べることは旅すること~
  野村洋文

死刑執行

2012-01-10 05:44:16 | 日記
 殺人 ・ 死刑 という言葉を耳にするたびに、「 太陽がまぶしかったから 」という、カミュの代表作、異邦人の一節を思い出してならない。


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 昨年は、年間を通して一件も死刑が執行されなかった。


 これまで、就任中に執行しなかった法務大臣はいたものの、一年を通じて執行のない年はなかったそうである。


 死刑執行は、死刑廃止派とみられていた千葉元法相が「 国民的な議論を呼びかけたい 」として執行に踏み切って以来、およそ、1年半、途絶えている。


 常々、述べているが、自分は死刑温存派である。 遺族感情と社会不安、この二つにつきる。


 死刑という仕組みは、「 復讐 」「 あだ討ち」を防ぐために設けられた制度であって、もしも、死刑を廃止するのなら、遺族達に、個人的な復讐権をみとめてやるべきだとさえ思っている。


 ただ、死刑執行という語彙が俎上に載るたびに、その死刑囚に対して、一時的な感情移入が起きることがある。


 執行は、予告なしにある日突然、刑務官がやってきて行われる。


 「 ○月○日の何時に死刑執行があるから、それまでに、心の準備をしておくように 」というような段取りで行われるのではない。


 いつ訪れるとも知らない最後の時を、死刑囚達は、おびえながら迎え待っている。


 僕の管見を申すなら、せめて、死刑が確定したのなら、その○月後の○日に執行する、というように法改正するべきではないだろうか。 それが、人間として生まれ、感情を持つ彼らへの最後の酌量のような気がする。


 それができないのなら、思考を180°変えて、死刑を宣告された者達は、すべて、感情・人格を有さない人間とは呼べない者、と割り切って考えるしかない。


 千葉元法相も、そのお考えがあるがゆえに「 みせしめ死刑 」を施行できたにちがいない。