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8月の七夕?

2018年08月03日 | ほしふることふみ~星降事記

七夕と言えば7月7日。天の川を隔てた織り姫と彦星が年に一度だけ出会える日ですね。

ところ星野村では七夕といえばひと月遅れ、夏休み真っ最中の8月7日です。私が小学生の頃、その日は短冊に願い事を書き、家の前の笹竹に飾るのはもちろんですが、それに加えて7日の朝に揮毫をしてそれを床の間に飾っていました。その時に使う墨汁は、朝一番にサトイモの葉の朝露をすった墨汁を使います。そうやって文字を書き、天の神様に文字を見せると字が上手になると言われていました。

七夕が日本に伝わったのは平安時代に中国から。そして7月7日に宮中で行われていたこの行事が江戸時代には庶民にも広がったそうです。それではなぜ星野村では七夕が7月じゃなくて8月なのか。小学生の私はあまり気にせず、星野村は田舎だからひと月遅れてるんだろうな、というくらいの認識しかありませんでした。しかし調べてみるとその起源は明治時代に遡ります。

普段、当たり前すぎて意識しないカレンダー。江戸時代から明治に入る時、明治維新とともにカレンダーにも大きな転機がありました。それまで使っていた、月の満ち欠けを元にしたカレンダーの太陰暦(太陰太陽暦)から太陽の動きを基準に作られたカレンダーの太陽暦(グレゴリウス暦)に切り替えられたのです。太陰暦では冬至から数えて2回目の新月を1月1日として、次の新月までをひと月としていますが、太陽暦では月の満ち欠けは関係なく、太陽の年周運動を基準に12カ月が決まり、ちょうど春分の日が3月21日頃になるようになっています。そうするとその2つの間には1カ月程度のズレが出てしまうことになります。

具体的に今年の旧正月(旧暦1月1日)は2月16日。1カ月半ズレてます。そして七夕となる7月7日の日本はもちろん梅雨の真っただ中。日本列島には梅雨前線が停滞していて天の川を望むべくもありません。一方旧暦(太陰暦)の7月7日は新暦8月17日で夏の真っ盛り。雲がなければ午後9時以降あたりから夜空に立ち上る天の川を楽しむことができます。そしてその川を挟んできらめく星がこと座のベガ(織女星:織り姫)とわし座のアルタイル(牽牛星:彦星)。新暦の七夕では気候条件的に織り姫と彦星のロマンスはほとんど実現できないことになります。

旧暦は季節の正確性は若干欠けますが、月の形を見れば大体の日付が分かります。例えば三日月(旧暦の3日の夜の月)や十五夜(旧暦15日の夜の月≒満月)などに今でもその名残があります。そしてそれは田植えや収穫の時期を決める基準であったり、年中行事の日取りであったりと農村の生活に密接に関わっていました。だから明治になって突然新暦(太陽暦)が導入されたことは、農村の人々に混乱をもたらしたことは想像に難くありません。先述したとおり新暦では梅雨の真っただ中。でも世間は新暦が導入されており、いまさら旧暦の7月7日がいつなのかは庶民は分からない。そこで便宜的にひと月ずらして8月7日を七夕とした、というのがこの経緯のようです(※諸説あり)。

確かに新暦の8月7日だったら日にちとしても分かりやすいし、梅雨も明けて天の川を挟む織り姫と彦星のロマンスを楽しむことができます。これは七夕に限らずお盆もそうで、ひと月遅れの8月15日に行っている地域も少なくありません。つまり七夕が庶民に浸透し、生活に密着した行事だったからこそ、新暦にこだわらずひと月遅らせてでも行っていました。織り姫と彦星を大切にする庶民の思いがすごく伝わってきます。

2001年から国立天文台では通常の7月7日とは別に旧暦の7月7日(今年は8月17日)を伝統的七夕として、夜空に光る星と天の川を楽しめるよう、明かりを消して星空に目を向けようと呼びかけています。星野村の星の文化館でもその日は「伝統的七夕観望会」を開催。天の川をはさんで光輝く織り姫と彦星を九州最大の100cm望遠鏡でご案内します。もちろん天の川、ベガとアルタイルは七夕の日にちに限らず、6~9月頃の間で楽しむことができますので、ぜひこの機会に星野村で美しい天の川のロマンスを体験して下さい!

ronでした

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