たばこと塩の博物館『ミニチュア展』
錦糸町駅から歩いて行きました
最初に『あまりに小さく、目が疲れてしまうかもしれませんが、ぜひ、目を凝らして、・・・・・・』書いてありました
くすっとしてしまいましたが そのとおりでした
大きさがよくわからないですけど・・・・・とにかく小さい
見えないので写真撮りましたけど・・・・・
小林礫斎のミニチュア
小林礫斎(1884~1959)は、礫斎を名乗る職人の四代目です。本名は小林夏太郎といい、実父の三代目礫斎は牙彫(動物の牙を用いる細工物のこと。たばこ入れの根付やきせる筒などの牙彫のものが多くみられる)を生業としてました。小学校卒業と同時に父のもとで修行し、高度な技術を見につけ、袋物商(たばこ入れや紙入れなどの商人)などの仕事を請け負っていました。19才の時には、日本橋木屋で開催された全国工芸品展覧会にたばこ盆を出品し、一等を獲得しています
1923年、三代目礫斎が亡くなり、夏太郎が四代目礫斎を継ぎますが、この頃から人々の服装が洋装へと変化し、また、人々の吸うたばこも刻みたばこから紙巻たばこへと変わって行きました。袋物制作の仕事も減り、優れた技を活かす場として、四代目礫斎はミニチュア制作へと傾倒していきます。
礫斎には、1931年から2年ほど、家族と離れ、箱根でミニチュア制作をしていた時期がありました。中田藤之助という、箱根宮ノ下の富士屋ホテル前で古美術を営んでいた人物の庇護を受け、ミニチュア制作に没頭し、より小さく、より精巧なミニチュア制作をしていたのです。この時期の礫斎の作品は特に優れており、これ以後、礫際の技は他人が真似ることの出来ない域へと入っていきます。
礫際は、自らのミニチュアを「繊巧美術」「繊巧工芸」と呼びました。文台、箪笥、硯箱、印籠、茶道具などを小さくしただけでなく、実物と同じ素材を用い、実物同様に動くように制作しました。蒔絵や象嵌も忠実に再現しています。まさに繊細で精巧な工芸品です。寸法を確認せずに画像だけを見ると、まるでミニチュアではない作品を撮影したかのように見えます。
象牙の箪笥などは、象牙の板を合わせるのではなく、「刳り貫き」という技法で制作し、板を合わせたように見せるために、わざと線を付けたりしています。又、様々な木材で制作し、薄いガラスをはめた同型の箱は、数十年を経た今でも歪みがなく、滑らかに開閉することができます。ミニチュア本体だけでなく、素朴な箱一つをとっても、礫際の技に感嘆せずにはいられません。
礫斎制作のミニチュアは、主に彼の出入りしていた銀座の袋物商が扱い、三井・三菱といった財閥関係者、または来日する外国人などが購入者となりました。ヘレン・ケラー(1880~1968)もその一人で、礫斎作の象牙箪笥を愛蔵していたと伝えられています。
(パンフレットより)
こちらは常設展
たばこと塩の博物館
ミニチュア展 期間 9月7日~12月1日
開館時間 午前10時~午後6時
休館日 月曜日
料金 100円