《内容》
山中で発見された白骨死体。現場に残された唯一の手がかりは伝説の名駒だった。4か月後、2人の刑事が竜昇戦の会場である天童に降り立つ。世紀の対局の先に待っていた、壮絶な結末とは-。『読売プレミアム』連載を書籍化。(紹介文より)
《内容》
山中で発見された白骨死体。現場に残された唯一の手がかりは伝説の名駒だった。4か月後、2人の刑事が竜昇戦の会場である天童に降り立つ。世紀の対局の先に待っていた、壮絶な結末とは-。『読売プレミアム』連載を書籍化。(紹介文より)
この葉っぱの名前がわかりました
合田草。。。ルナリア(ゴウダソウ)とは. ヨーロッパ原産の草花で、日本には20世紀初頭に入ってきました。この植物をフランスから日本に持ち帰った合田清さんの名前にちなんで、 ゴウダソウ(合田草)の和名があります。花壇の他、ドライフラワーとして利用されます
忘れないようにしなくちゃ・・・と思っていてもどんどん忘れていっちゃう
けっこう雨が降ってきました
これからもっと降ってくるのかな
金襴手 -人々を虜にした伊万里焼-展
江戸時代元禄年間には好景気を迎え、経済力を蓄えた町人を中心として元禄文化が発展します。
贅を好む風潮の中で、色絵を施した豪奢なうつわを求める気運が高まりました。そうした需要に応えるように、ちょうどこの頃、伊万里焼に“伊万里金襴手様式(いまりきんらんでようしき)”が成立します。
この色絵と金彩(きんだみ)を施したうつわは、高級食器として富裕層の間で大変好まれ、以降、伊万里焼の色絵を代表するものとなります。
また、同時期に海外輸出向けにも古伊万里金襴手様式の壷や皿が生産され、西欧の王侯貴族にも食器や室内装飾として人気を博しました。
続く明治時代になると、それまで道具であった様々な攻撃品が鑑賞品として評価されるようになります。食器であった伊万里焼にも鑑賞を目的に愛好し蒐集する外国人や日本人が現れましたが、真っ先にその対象とされたのが伊万里金襴手様式でした。(パンフレットより)
戸栗美術館
場所 渋谷区松涛1-11-3
開館時間 午前10時~午後5時
渋谷駅から徒歩15分くらいです
名前がわかりません
このあと明治神宮御苑に向かいます
明治神宮御苑 『花菖蒲』
暑いときは明治神宮にいると涼しいですよ~
この葉っぱ(?)なんていう名前でしょ?
帰りは北参道から出て新宿に向かいました
19859歩 歩きました
自転車のスポークが知らない間に2本無くなっていたので(去年も2本直した)先週、自転車屋さんに持っていったら『タイヤも歪んでますよ。そのうち他のスポークも取れてしまいますよ』って
(10年以上乗ってました)
なので買うことに決めて今日買ってきました
新車です
大雄山最乗寺 (南足柄市)
大雄山最乗寺(道了尊)の 草創応永元年(1394年)。福井県の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式のある曹洞宗のお寺です。創建に貢献した道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと伝えられることから、道了尊とも呼ばれています。この道了にちなんで、境内には多くの下駄が奉納されています。また、仁王門からの参道約3kmには樹齢500年以上の杉並木(県天然記念物)がうっそうと茂っています。(紹介文より)
今回が2回目になります大雄山最乗寺
前回は初冬に来たので新緑のころに来てみたいと思い出かけてきました
このあと、階段を上るのが大変だったので今回は鍛えてきました(笑)
一昨年Mさんにいただいた紫陽花の切花を植木鉢にさしたら・・
去年は2輪咲いて今年はなんと9輪も
植木鉢が小さくて窮屈(?)そうな紫陽花
《内容》
石川島人足寄場、オランダ渡りの禁制の薬…。火盗改・長谷川平蔵は、裏ではびこる悪事も決して見逃さない-。鬼平ファンに捧ぐハードボイルド時代小説第2弾。『オール讀物』掲載をまとめて単行本化 (紹介文より)
聖徳記念絵画館
平成23年に重要文化財に指定されています
建築中の国立競技場が見えます
入口のところだけ撮影許可いただいたので撮りました
佐藤美術館までは徒歩7分くらい・・・
千駄ヶ谷駅の反対側の通りから見えた国立競技場
佐藤美術館はすぐでした
この後、新宿西口にある 『銀座 ライオン』まで歩きました(暑い)
暑かったので美味しかった~
ブーツグラスを頼むとくじ引きが一枚
2等が当たりました
この日の歩数 14279歩 9995m でした
5月、久しぶりの休みに早起きして
偕楽園に
梅が・・・
徳川ミュージアム
朝出かける時は雨が降っていてちょっと心配してたけど
着いたころには雨があがっていい天気に
ラッキーでした