八溝山地のふところ深く、清らかな渓流に沿う境地に、臨済宗妙心寺派の名刹、雲巌寺があります。筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれ、山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっています。俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています。 (大田原市観光協会より)
松尾芭蕉は、元禄二年四月五日(1689年)に雲巌寺にある仏頂和尚の山居の跡を見ようと人々をいざない山道をにぎやかにうち興じ、遠近の景を賞でながら山門をくぐった。
『奥の細道』に「かの跡はいづくのほどにやと後の山によぢのぼれば、石上(せきしゃう)の小庵(せうあん)岩窟にむすびかけたり、妙禅師(めうぜんじ)の死関、法雲法師の石室をみるがごとし。
木啄(きつつき)も庵(いほ)はやぶらず夏木立(なつこだち)
と、とりあへぬ一句を柱に残侍(のこしはべり)し」とある。
仏頂和尚は、常陸国鹿島根本寺の住職で、鹿島神宮との寺領争いを提訴のために江戸深川の臨川庵に滞在していた。芭蕉はこの時に仏頂和尚との交渉を持ったという。また参禅の師ともいう。和尚の山居の歌に「たて横の五尺にたらぬ草の庵(いほ)むすぶもくやしあめなかりせば」があり、芭蕉が山居の跡をみようとしたいわれの歌でもある。
芭蕉は樹下石上の小庵をなつかしみつつ、さすがの木啄も、この高徳な仏頂和尚の庵だけは破らぬという冷産の句を柱に残して惜別した。 芭蕉の里 くろばね (案内板より)
ちょうど雨があがってよかった!!
ほんと、雨男だと思う。 天気が良ければさぞかし紅葉も綺麗に撮れると思うけど・・・・