4月に引き続き5月も四国だった。その翌6月も四国で3ヶ月連続で何か四国にあるのかしらとその年思った。
5月19日の朝1便でノワタリさん達と高松空港で合流した。其処まで自分ので行ったが、通称ヨサクと言われる酷道439号線を走る自信が無いのでヴィッツを借りた。今回はウチダさん、ヒラサワさん男性二人がいるので運転は心強い。
空港近くでラジオから小学生の頃流行った懐かしいフランスギャルの「夢見るシャンソン人形」が流れてきた。かわいらしいかしかと思っていたら本当の愛なんて歌の中だけよ~」と歌っている。寂しく、夢の無い辛らつな歌詞に驚いた。
まず最初に讃岐の一宮である田村神社にお参りした。
私達が入ったのは裏参道からだった。鐘楼があり、慰霊碑、桃太郎、十二支、七福神の石像があり賑やかだった。私は88箇所の札所でも隣接しているのかと思ったがそうではなかった。近くに石の産地があるからだろうか。
ヤマトトモモソヒメ命、吉備津彦命、猿田彦命、高倉下命、天村雲命がご祭神さまで祭られている。境内は明るく軽やかだった。ご挨拶をして出た。
その後、高速を使い金比羅さんへ向かった。
琴平に着き、まずは名物の讃岐うどんを参道近くの虎屋で頂、みんなで堪能した。その後石段横の店を見ながら上った。
御本殿横の睦魂神社
奥社 厳魂神社
奥社横 上のほうに天狗の面がある
御本宮と前に立つだけでとてもエネルギーの濃い睦魂神社とお参りして奥宮に向かった。
御本宮までは人が多いが、奥宮への参道はほとんど人が居なく静かだった。
常盤神社、白峰神社、菅原神社とあったが、菅原道真は讃岐の国の国司であったそうだ。
奥社は厳魂神社と言い、厳魂彦命が祀られている。横の岩壁の上の方に天狗の面が2つあった。
その後、ノワタリさんと私は金比羅さんの天狗が一休みしたと言う金陵の庭の大楠の木をお参りして、琴平を出た。ウチダさんとヒラサワさんはたぶんを買っていたのではないかしら…
ウチダさんが祖谷の集落にある栗枝渡(クリシト)八幡神社に行きたいと言うので、池田にでて大歩危から祖谷に向かった。45号線に入り、トンネルを出ると、目の前に秘境の湯という看板が見えてきたが、眼下には観光地で賑々しく秘境と言う趣はきえていた。
かずら橋の近くを通ると、川の向こうに大きな駐車場か何か建物と土産物があった。30年前に民宿に泊まったが夜は真っ暗で静かで、もなく、何もなく大きく様変わりしていた。しかし、其処を過ぎ奥祖谷に向かっていくと、道は狭くなり、曲がりくねった悪路である。
探していた栗枝渡八幡神社のある集落の表示を見つけ、山の中に入って行った。集落のような物は見当たらない森林の中だった。少し走り抜け上のほうに行くとやっと集落があった。しかし、鳥居のような物は無い。集落を抜けるとやっと鳥居があった。
住吉神社
しかし其処は住吉神社だった。お参りしてのワタリさんの指示でお清めした。また、ずんずん上に向かって走ると、通行止めになり其処から先は道が無かった。こんな時、男性の運転は安心できる。
ひっくり返して集落に入り、丁度通りかかった若い女性に教えてもらうと、山際にあったが鳥居は無かった。みんな「この山奥にあんな若い綺麗な女の子がいるなんて」と言った。それまで見かけたのはお年寄りばかりだったので以外だった。
その神社は安徳天皇を荼毘にふしたというが、敵方の守り神である八幡神とは解せない。又、元はクリシト八幡神社でなく、クリスト神社と書いてあった。キリストと関係あるのだろうか?剣山に契約の箱があるとか、平家の落人伝説でカムフラージュしているが元はユダヤと言う話を読んだ事があるが、ウチダさんによると、ユダヤ教とキリスト教は全く別物と言われていたが…翌日もそれと同じような事があった。
その日の宿は剣山近くの「いやしの温泉郷」と言う所だった。周囲に集落も何も無いのに私達の前を軽トラックでに入りにきた御夫婦を見かけたのには「みんな何処から来たのだろう」と驚いた。私達は残念ながら、本館は取れず、バンガローである。
大分日が長くなっていたが、露天に入り、周囲の山深い自然に囲まれ気持ちが良く長湯をしてしまった。夕飯を頂く時にはもう8時近くでレストランは人が少なくなっていた。夕飯はとても美味しかったが、どうも男性2人は、名物の祖谷そばのつゆが口に合わないらしくぼやいた。私からすると、関東の真っ黒な醤油のつゆは口合わない。
バンガローは広く、板の間はキッチンと囲炉裏が付いていた。そこで翌日の予定とかを話した後、畳の間に布団を4つ敷くには頭をひねった。
4つ並べる事もできず、田の字に頭を合わせ布団を敷いた。長い1日が終わり