昨日の朝 チエさんが出勤するやいなや表で私を呼ぶ声がする。何時もより声のトーンが沈んでいるので何かあるなと思ったら、
「血圧が160あり、脈も速くて足先に痺れを感じるので、病院へ行こうと思うけど、何処がいいかしら?」と、聞いてきたので、病気の卸問屋であった母を呼んだ。
「脳外やね。」
「何処の病院がいい?市内より、隣町の○○病院がいいかな。」
以前、隣町に入院設備はないが見立ての良い病院があることをお得意に聞いていたので、チエさんはその病院の住所を聞いてきた。先日の彼女の事もあり、気が気でない。
ご主人の車ですぐ出かけていった。
昼近くになり、母が
「連絡無いけど、点滴でもしてるのかな。そのうち連絡もあるでしょう。」と、言いながら、誰かもう一人雇わないといけないのかなとも思ったが、なるようにしかならないので考えない事にした。
午後に事務所へ行くと、チエさんが出勤してきた。
「お陰で、CTも取ったけど、脳には異常がなくほっとしたわ。足のしびれも関係なかったわ。先生もしっかりされていてとても綺麗でいい病院だったわよ。」と言い、安心した。
彼女も亡くなられたご両親とも高血圧で、大阪で勤めていたのが、お母さんを看病するために帰って来たのだった。遺伝的に高血圧の血を引いているので最近は薬を朝だけ服用している。
まあ何が起きても不思議ではない年齢だ。
父は父で、私が彼女の影響を受け弱っていたので、気づかなかったのが、4月の半ば頃から、
「しんどい...」と、言って日課であったプールを一日置きにしていたが、別段気に留めてなかったと言うより、自分自身の事でいっぱいで残念ながらその余裕が無かった。
「もう泳ぐのが辛くなって、教室にも付いて行くのも出来ない。」と言ってため息をこぼしていたが、
「無理せん方がええわ。出来る範囲でしたら?」と、深く考えずに言っていた。
冷静に考えれば、そのぐらいの年齢でもマスターズには結構参加している人もあるが、急にそう言い出したのは変。
しかし、プールへは行かなくなり、長いすに横になるばかりで
「だるい...、だるい。」の連発で、母が病院で点滴してもらうように勧めた。
「立っているのもしんどい...。」と、こぼし、本当につらそう。
母は父が高齢なのでもうそのまま弱ってきてお迎えが近いのではと心配していた。
友人の墓参りから帰宅すると、ソファに横になっている姿を見て気づいた。何か憑けてる。
ノワタリさんに連絡を取り、遠隔してもらうとやはり、思ったとおりで
「左の肩から右の腰に掛けて...。とても体が冷えてますね。」と言われる。プールで拾ったみたいで、おまけに風呂嫌いで、
「プールのシャワーで洗った。」と言って、風呂には入らなかったのも悪く、余計に血行が悪くなったみたいだった。
「お父さんはお元気ですよ。お迎えなんてまだまだですよ。温泉でも行ってゆっくり温めるといいですよ。」と言われたので、家族揃って温泉へ出かけた。
翌日、またノワタリさんが遠隔で父にエネルギーを流すと、今度は姿を見せたが、プールで憑けててきたのとはまた別人だった。
「あのね、後ろ向きに座って顔は見えないんだけど、なんかすねた感じで座ってますが、ご親族で心当たりありませんかね。」と言われる。父は二人憑けていた。道理でしんどいはずだ。
「あの、父の弟が二人亡くなってますが...、多分、15年くらい前に亡くなった叔父でしょうね。」
その叔父は生前父を裏切り続け、ちゃらんぽらんな人だったが、亡くなり方もそれなりで、何かの本で読んだ事があるが、「生き様は死に様と同じで、真っ当に生きれば、死に方も真っ当」の言葉通りでちょっとした事で寝たきりになり、脳と目と耳しか機能せず、痰を吐くこともできず、管だらけで数年生き60歳余りで亡くなったが、生き地獄だったと思う。多分この経緯は後日書くであろうと思う。
数年前 従姉妹の家へ行った時、ドアを開けた途端、息苦しさを覚えその叔父の存在を感じたがその時もノワタリさんのお力をお借りしたて、水子供養だけはしたが、 言われた事を途中で止めてしまいそのままになっているので今度は父に縋ったものと思った。
「あの世も大掃除だから すがってきたんでしょうね。そんな風だったら、いい所には居ないでしょうし、人によってはあの世へ行ってもすーと上がっていく人も居るんだけどね。」
父の部屋でセイジを焚き、鈴で清め、ベッドの下四隅に盛り塩を置いたが、体の冷えはなかなか取れず、まだおなかの調子が良くないのでとうとうノンアルコールビールも止めてしまった。
しかし、胃が荒れているので、私達が助言しても聞かなかったのに余計な薬を飲む事をやっとやめたのでそれだけは良かったのか?