父は祖父のようにピンころりんと逝くと思っていたのが医者に告知され動揺していたが、数日過ぎると落ち着いてきて、家でゆっくり過ごしたいと言い出した。
母は
「どうせ生きても、二,三年で寿命かもしれないから、やっぱり家にいる方がいいわ。」と、言い、
その方向へ進むみたいである。
母も、今週ペースメーカーの検診で、今年の秋にには入れ替えらしい。
金曜の朝、今度はチエさんの義兄が肺がんで、すぐにがんセンターへまわされた事を聞いた。
昨年の検診時、
「少し、様子を見ましょう…。」の言葉だったが、今年はかなり進んでいるみたいで、昨年、他の病院へ行っていたらと悔やんだ。
チエさんのご主人は心筋梗塞を患ったので、今週カテーテルで調べると、また新たにほかの所が詰まっていた。しかし、お父さんが危篤状態なので股関節の手術の予定が経たたず、仕事が終わっても毎日病院へ行き、忙しい。
今朝は今朝で、尿の出が数日前から悪く近くの病院へ行ったが、その時だけでまたでないと言うので、泌尿科へ連れて行くと、膀胱炎でペニシリンを打ってもらうと落ち着いた。
そんなこんなで今週毎日、誰かは病院へ通う日々だったが、そんな年周りになったのかと思う。
チエさんの義兄と比べると、父には猶予がまだある。
父はノワタリさんに言われた事をせっせとしている。そのうち御真言もスラスラと言える様になるだろう。
「長生きしすぎた...。」と寂しそうに言う。同級生の三分の一以上は戦争で亡くなり、この10年余りでくしの歯が欠けるように亡くなって行き 存命なのは片手も無く、自分自身の事が出来るとなると、まだ少ない。よく遊びに来られていた、おじいちゃん達もいつの間にかあの世に逝かれ、昨年1級上の幼なじみも亡くなり、今のお友達は一回り下かそれよりもずっと下の人達である。
改めて、高齢でも介護保険を使うことなくしっかりしている親がそろっている事をありがたく思うと同時に感謝。
旅を始めて、2年余り経った時、広島と宮島へ行った。その10日ほど前、父と出雲大社へ行く夢を見た。
その夢の中で、峠の様な山の上から、暗い海ととぼなとぼなとついている小さな灯りを見下ろしていた。その後出雲大社についたと思ったら、全く実際の神社とは違うものだったが、そこに数十人の兵がいて、一人若い武将の姿を見た。斜め後ろだったので、はっきりとした顔は分からなかったが、綺麗な鎧を身に付け、印伝の赤いアサノハ柄の肘宛をしていたのをしっかり覚えている。
宮島の水族館横の古戦場に行った時、海沿いの松林の感じが400年余り立っているが、夢の中の場所とどことなく良く似ている事に気づいた。
念を押すように、父と闇夜の海を見たのは、それは残された陶晴賢軍の兵士達が山の中で隠れ住み、夜に浜辺に降りて貝を堀り食料としたそうであるが、宮島のロープウェイを乗り換えようとした時、また、ノワタリさんが古いセピア色の写真のように山の中の兵士たちの姿を見て、私達に伝えたが、その時は分からなかったので、
「山の中に集落はありませんよ。」と言ってしまった。
その話をノワタリさんに話すと、それは私の前世の一つと言われ、すぐにその続きがビジョンで現れ、その武将は戦場で何か右の腰から下を怪我をして歩けず、両脇を抱えられて落延びている姿を見せられた。
今思うと、抱えて落延びて行ってた一人は父だ。
私達は戦友、生死をともにしているので深い所で繋がっているとノワタリさんは言われた。
この前世の武将が今世に一番影響があるとノワタリに言われたが、私は父に助けられている。
先日の夢のブルーは暮れかけと空けかけだったが、心根次第でどちらにでも行くことだと捉えた。
出来る限りの事をしようと思っている。