納骨をした翌日の日曜日、妹と同じく忌開けたユキちゃんと3人で伊予の国の一宮様である大山祇神社へご挨拶に行った。
父の仏事のある日はいつもお天気に恵まれ穏やかで暖かい。昨日も麓の河原は菜の花の真っ盛りで一面黄色くきれいだったが、鶯の初鳴きも聞いた。
その日もお天気に恵まれ、普通の日曜なので参拝者もボツボツであった。
やはり大山祇神社は厳かで楠の緑が美しい。
参拝した後、鶴姫様と阿奈波神社へお参りした。
これまで、数回参拝したが、珍しく阿奈波神社にお参りされた人と初めてすれ違った。
前回、お清めしながら
「寂しくて暗いわね。」とみんながいっていたのを聞かれたとご祭神様である岩長媛様が、
「本当は朱塗りで華やかったのよ。」とつぶやかれたのをユキちゃんが聞いた。
確かに気を付けて見ると所々色あせてしまった朱色と緑色が残っているが、以前よりも明るくなっている。
その翌日妹はとてもスッキリした気分だと言って帰って行った。
ノワタリさんも後日お聞きしたことだが、
「良い仕事をした。」と国常立命様からのお言葉を頂いたそうだ。
私達がとてもスッキリしたのは、今回の事で先祖事が収まったからだった。
私は数年前、ノワタリさんのお力を借り、古い元墓の墓石を埋めて片付た事で収まったと思っていた。しかし、私の家には今の墓を作る前に、亡くなられた幼女が居り、埋めた処があいまいになり分からず、墓を作った時にその辺りの土を拾って入れたと言う。
その事が30年余り前に祈祷師に
「幼女が泣いている。」と指摘された事から分かったが、全く知らなかったので、とてもびっくりした。
高校生の頃、その幼女と夢の中で遊び、あまりにもリアルであったのでしっかり覚えている。夢の中で会ったのは埋められている山の麓で、彼女が埋められたあたりの柿畑のある山を駆けて二人で遊び、彼女は名前まで名乗った。
分かった時、元墓のご先祖さんと一緒に彼女も御魂移しをしてもらったので当然鎮まったと思っていたのが、力不足で出来ておらず、今回の事で収まった事を気づいた。それで私達の気分がスッキリしたのはご先祖様も落ち着いたからだろう。
2,3日経った朝、ノワタリさんに確認すると思った通りで、今回の事で先祖事も土地の因縁も解消された事を言われた。
話していると、上から
「これからは第二の人生だ。」と言われた。
「あなたは解消したからいいわ。分からずまたそれを持ち越していく人が多いのよ。これがお役目ね。」
「そうですね。これがお役目ですね。次の人に渡す前にフラットにする事が…。悪因縁を子孫に残さなくできるけど、誰かが姓を継いで行くのか…。でも第二の人生ってもう60だものね。ひと回りですね。この先何が出来るか…」と言っかたが、感慨深い。でも現実はいつもと変わることは無い。
半年か1年経った事にあれが転機かと思うくらいだろう。
3年前に「天中殺の2階建て」と言われた状態をやっと脱出出来たらしい。
そして納骨の朝、見た夢は戦争中父がジャワ島にいた頃の事だと気づいた。
周辺の島々は激戦地で大変だったが、資源のない島だったので時折空襲はあったものの、亡くなるのは要領の得ない現地の人で、内地の人間はうまく逃げていたと父から、何度か聞いた。
「しょっちゅう空襲のある内地よりも安全で まるで疎開したようだ。食べ物の心配もないし」と、言っていた。
父は二十歳前後の多感な時期を21年までの3,4年をそこで暮らし、上役である主計大尉ととても馬が合ったらしく、戦後内地に帰ってから1度尋ねてこられた事があったが、2年前に亡くなられるまで手紙や電話のやり取りをしていた。
その事をノワタリさんに話すと、
「ああその人だったんですね。二人はツインソールですよ。もうこうなることが分かってから、ずっと来てました。その方がお迎えに来られ、お不動様に守られて行かれました。ニコニコ笑っているのが見えます。お父さんの仏前で『お父さん、良かったね。』と、言ってあげてください。」と言われた。
父が亡くなる前日の午後、大きな声で話していた相手はその方だったのだと気付いた。
父はあの世でツインソールである一番気の合う人と一緒に楽しく過ごしていると思うと、もう気分が沈む事は無くなった。