玉置神社 玉石社
相変わらず眠い日が続いている。1日交代で起きたり、寝てたりしている。昨晩は7時半には寝ていた。眠くて眠くて起きていられない。
雪だるまが融けていくような感じで体が融けそうだ。10時半過ぎに目が覚め、起きようとしたが又、寝てしまい2時過ぎに目が覚め懐かしいシェりーやサウンドオブサイレンスがラジオから流れていた。そのうち3時過ぎからはジュリーの歌が流れ、好きだったトッポとタイガースのメンバーで歌っている10年ロマンスと言う歌を聴いているうちに又、寝てしまった。おまけに右腰からひざ下までの古傷が痛む。
今朝、ノワタリさんから玉置神社に来月に行く連絡をもらった。この2年あの神社にお参りしていない。先月三峯神社で玉置神社の話が出たとき、「締めに行くみたいですよ。今年の締めではなくて。」と言われていたが、思ったよりも早く連絡が来たと思う。
2005年3月12,13日の2日間玉置神社に2度目のお参りに出かけた。今回は玉置山の山頂と龍神村の予定だったので、高野山の方にも足が伸ばせるかとも思っていた。
今回は妹とノワタリさん、イトウさんの4人で行った。ゆっくりできると思っていたので、田辺をレンタカーで出発する前に駅前の食堂でラーメンを食べる事にした。みんな るるぶにでていた和歌山ラーメンが頭から離れなかったのである。しかし、食堂のおばちゃんは、「ここは和歌山じゃないから、和歌山ラーメンはない。」と言われた。しかたなく普通の醤油ラーメンで腹ごしらえをして私の運転で出発した。パッソプチプチトヨタ~と歌いながらパッソを上機嫌で運転していた。
十津川村に入るまではまずまずのお天気だったが、玉置神社に着いた頃には雪が降り始めた。神社はお祭りの翌日で人が多くざわついている社務所を通り抜け、三柱神社、玉石社をお参りし、山頂へ向かった。もうその頃には吹雪始め、震えながら神事をした。(今回の写真は2007年の物)山頂と言えば、浜本末造さんの本に山頂からUFOが飛んでいく夢を見た人の話が書いてあったが、それっぽい雰囲気である
)
玉置山山頂
日は暮れ掛かり、雪は激しくなり、いつの間にか花粉症のイトウさんが車の空調をいらっていたのでフロントガラスが曇り見えにくくなっていた。停めて直さなくてはと思っていたら、いきなりガツン!と車が大きくぶれた。その時、みんな何が起きたのか解らなかった。
車のバンパーをガードレールにぶつけ、バンパーが外れかけて前輪にこすり、ゴムの焼ける臭いがした。降りて確認すると、20cm外れると車は数十メートル下の沢に落ちる所だった。ぞ~としたが良くこれで済んだ物だと思うと同時に守られている事を切実に感じあり難く思った
。ガードレールも壊れてなく、立てに白いラインが少し付いているだけだった。事故の事を連絡しようにも、どの携帯も千メートルからの山の上では繋がらず、バンパーを外して、
が通じる所まで
を転がした。
川沿いの村が見える所まで来た時、やっと繋がったがレンタカー会社はもう営業を終了しており、警察とJAFを呼んだ。辺りは真っ暗になり下の点在する家々の明かりが寂しい。1時間余り、そこで待ち続けた。ノワタリさんがその時、「この村が明治の時代、山津波の大水で壊滅状態になったので慰霊の為ここに佇む必要があるのよ。」と言われた。しかし、前回は前日に追突され、今回はこれ、よほど私は禊が足りないのだろうか
やがて車が来て、私のみ現場検証で事故の現場に行き、後のみんなは宿に送ってもらった。結構上だったらしく、現場に着かなかった。若い警察官の方は少しイラついていたが、「ガードレールに当たっただけです。」と答えたら、「ガードレールと言ってもね、壊したら...」と言いかけたが、暗闇にライトで浮かび上がった立てのラインを見たら、何も言わなかった。(後で人に聞くと、ガードレールを壊すと長い1本そっくり取り替えるので何十万か掛かると言う)
今回は十津川温泉郷の昴に宿を取ったが、みんな私が来るのを待っていたので遅い夕食になった。沢山のご馳走はでたが、ショックで食べる気分でもなく、手が出なかった。後部席にいた妹が強く胸を打ったらしく気分が悪いと言う。熱もある。ノワタリさんと二人で手当てをしてエネルギーを流した。温泉好きの妹はもう温泉どころではなく、先に休んだ。翌日が心配だった。
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