社労士(社会保険労務士)さんのひとり言

社会保険労務士ブログは早く卒業して、グルメブログにしたいものです。

税務署から電話が来て…Ⅳ。叔父との確執。

2014年04月04日 15時09分01秒 | Weblog
叔父がアメリカへ渡ったのは、我々が知らされないままに実行されました。

驚くべきことですが、叔父が相続した土地が他人に売られていたのも、後で知ることになります。

さらに、叔父の土地には共有部分があったはずなのですが、それも外されていました。

母・母の姉の印がないと共有は外せませんから、2人は、どこかで押印したことになります。

母の性格上、父に黙って押印しませんから、父も知っていたはずなのですが…。。

2人に聞いても、何も知らない…と言うだけです。

後に、父が叔父の土地を買い戻したことで、そこら辺の経緯が明らかになったのですが…。

もう、どうしようもありませんでした。


叔父がアメリカに渡ったのは、私が高校生の時。

その時点で、土地の持分交換による修正が出来なくなっていたことを意味していました。


私が本格的に土地問題に取り組んだのは、体調不良が癒えたこともありますが…。

両親の高齢化。叔母の死⇒叔母の子による相続。アメリカに居る叔父の高齢化。

それらが、待ったなしになってきたからです。

(土地に何かしようとしても、印が揃わないと実行できない。その印も時代が下がるにつれ増えるばかりとなる。)

叔父の協力を得ることが出来たのは、彼が後ろめたいからかも知れません。


もう1つ、私に幸運だったのは、Hさんという優秀な司法書士を知っていたこと。

Hさんは、アメリカとの交渉もやってくれましたから、後は楽でしたね。
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ハルウララのドライブ。

2014年04月04日 12時24分31秒 | Weblog
今日は、O社の書類を提出するために隣街のハローワークへ。

ここのハローワークは駐車場が6台分ぐらいしかないので、早めに行ったつもりが…。

道に迷って、着いたのが9時半ぐらいでした。

運良く、駐車場が1台分だけ空いていたので助かったな…。(身障者用は除く。)

ただ、処理は、もたつきまして…。

新人さん?に仕事を教えながら処理しているから…。

まあ、仕方がないか…。


一昨日なんかは、ハローワーク職員が他の職員のところに行って…。

「スタンプの押し漏れが2枚ありましたからスタンプを貸してください。」と言っていました。

ここから始まる女の闘いってか…。

私なら、私が居る前では、そんな話はしないだろうな…。


閑話休題。

O社は、いわゆるハローワークの管轄変更によって、近くのハローワークから遠くのハローワークへ移動してしまった会社なのですが…。

それでも、O社顧問の仕事は続けて行こう…と思っています。

たまには、M社へのドライブとは逆方向へのドライブも乙なもんです。
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税務署から電話が来て…Ⅲ。

2014年04月04日 12時08分19秒 | Weblog
市から土地が収用されたのは道路幅拡張のため。

それによって、3つに分筆された土地のうち、表にあった土地(母の姉の土地)が、ほぼ道路に。

残りの土地は、車を直接道路に出せなくなったため、我家の駐車場に作り変え…。

その分の金銭は支払ったのです。

それが、もう10年以上前の話。

税務署が言ってきたのは、その売買が「贈与ではなかったか?」という話なんです。

実際は、「登記が遅れただけ」なんですよ。


登記が遅れた原因は…。

1、ふとっちょえすあーる の体調不良。
2、母の姉が死亡しているため、相続者が4人のイトコとなっている。
3、1人がアメリカに行っている。

2は、イトコが協力的だったので何とかなったのですが…。

3は、かなりの遅滞をもたらしたのでした。
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税務署から電話が来て…Ⅱ。

2014年04月04日 07時23分28秒 | Weblog
土地問題には2つの要素がありました。

1、共同相続が2世代続いたため、共同名義の土地となってしまっていたこと。
2、原因は不明だが、切れ端の土地が点在し、その権利関係が入り組んでいたこと。

問題が大きくなったのは、その切れ端の土地の発見が遅れたことからですね。

実質、祖母から相続したのは3名で…。

1人は死亡。もう1人はアメリカ在住。死亡した1名には子供が4名。


私が会社を辞めて、実家に帰った時に着手したのは、まだ亡くなっていなかった母の姉と母の間の持ち分交換。

持ち分交換なら費用が少なくて済むから。

しかし、私が進めたことについて両親は「もっといい方法があったのではないか。」と冷たい言葉を浴びせられ…。

ここで専門家に依頼することに方向転換。

ところがネックになったのがアメリカ在住者。そして、母の姉が死亡。


土地の収用は、その後です。

そこで切れ端の土地が大量に見つかり…。事態は複雑化します。

しかし、その頃から私の体調が落ちて行き…。

土地問題の解決は長期間中断するのです。
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