正直、ニーズがあるのかどうかわかりませんが(以下略)。
相変わらず、あんまり女災と関係ないです。
いまだストレスフルな毎日が続いており、フェミ本などを読む精神的余裕がなく、『ズッコケ』だけが癒しという状況で……。
後、性質上、ミステリなどもネタは全部バラしていますので、そこはお含み置きください。
『ズッコケ発明狂時代』
●メインヒロイン:なし
発明にこり出す三人組。
特許マニアの青年なども登場するモノの、話は中盤から「偶然できてしまった未来テレビに映し出される未来について」へと移っていきます。
『ズッコケ』は中盤から話が転調するパターンが異常に多いのですが、今回はジャンル自体が発明からSFに取って代わられた感があり、ぶっちゃけタイトル詐欺の印象。「発明」という面白そうなネタをつぶされたという感じがなくもありません。
未来テレビについては本当に「何故か、そういうものができあがった」以上の説明がなく、例えば未来人が介入してくるといった展開はナシ。未来予言の法則性とか未来人の目的とか、謎解きっぽい話に持っていくことも可能だったはずだし、最盛期なら「時間とは」といった哲学的展開すらも期待できたでしょうに。
『ズッコケ』にしては淡泊な話になった印象……とは言え、これも充分面白いのですが。
『ズッコケ愛の動物記』
●メインヒロイン:なし
行き場を失った動物たちを、三人組(+小学校の面々)が廃工場で飼育する話。
冒頭ではハカセの妹、道子とモーちゃんが二人きりでずっと行動を共にしており、モーちゃんのモテぶり(=女の子とも上手くつきあえる気のよさ)が現れています。
ただ、話としてはそれほど盛り上がりのないまま、ラストでいきなり工場の取り壊しが決まり、動物のやり場に困った一同が右往左往するのが一応のクライマックスになります。
ニワトリを可愛がっていた信彦が引き取り手を探しに、バスに乗ってまで養鶏家のところへ出かけ、また偶然にもニワトリを放し飼いにしている神社を見つけて何とかそこを新しい住まいにしてやるのがラストです。それを聞いてハチベエは無感動だが、ハカセが(詳述されないが恐らく)信彦の対応策を検討し、トライするその行動に感銘を受ける一方、モーちゃんがニワトリへの愛情に感銘を受け、「きっと神社の神様がそんな信彦君を助けてくれたんだ」と考える辺り、三人三様の反応で面白いです。
後、最後の最後、工場跡地を見て感慨深げな三人、というのもちょっといいシーン。ただ、それなら中盤でもっと大風呂敷を広げてもよかったのではとも思います。
『ズッコケ三人組の神様体験』
●メインヒロイン:なし
「キタキタおやじ」というキャラが、います。
『魔方陣グルグル』のギャグメーカーで本筋には関わらないのですが、人気を得て、スピンオフ漫画では主役にもなりました。裸に腰蓑一丁で伝統の踊りを踊るというキャラで、これは作者の伝統芸能への嫌悪が込められています(事実、インタビューでそうした芸能の継承者を「誰も喜ばないのに何でこんなことをやっているんだろう」と思って作ったキャラだ、と語っていました)。
さて、『ズッコケ』。これも作者の日本史、日本の伝統に対する傾倒が垣間見え、その一方では児童文学界の「革新者」としての顔も持ち、更にはその「革新」が子供にとっては外してるんじゃないか、といった側面をも覗かせるという、何だか随分と多層的な顔を持ったシリーズではあります。
以上はかつて採り上げた『文化祭事件』に如実に表れているのですが、本作についてもまた、しかりであると言えます。
本作の舞台は秋祭り。おみこしをやろう、とハカセたちが乗り気になるところから話が始まるのですが……これが何というか、古くさいなあと。ハカセがおみこしに関心を抱くって、ちょっとどうなんだと。北京原人の骨とか平気で出しちゃう子供に媚びない姿勢こそが那須センセではあるのですが。
はらはらしながら読んでいくのですが……いや、それが結構面白い方に話が転がっていきます。戦前より封印されていたが今年より復活することになった「稚児舞い」を、ハチベエがやることになるのですが、それによってハチベエに異変が起こります。そして稚児舞いが封印されたのは「踊り手が神がかりになる踊り」だったからなのではと語られ、意外や引き込まれる展開になっていきます。
当初は「神がかりなど迷信だ」との考えが主流ですが、ハチベエがテストで百点を取るに至って、また稚児舞いを指導する老人たちの様子のおかしさなどが描写されるに及び、不穏な空気が流れ始めます。
老人たちはハチベエに対して「神が降りてくるかも知れん」と平然と語り、またハードな踊りで子供たちが体調や精神状態に変調を来したのを見ても動じることなく、踊りを続けさせます。つまりこの老人たちにとっては「稚児舞いが子供に異常をもたらす」ことは当たり前な、織り込み済みのことであり、「わしらもやってきたことだし」「そもそもそれが目的だし」と完全に感覚が麻痺しているというズンズン運動状態。踊りの危険性を警告する者を、悪者扱いさえします。
こうしたことは、どこのコミュニティにも起こり得ることですが、その恐ろしさを非常にリアルに描いています。
そう、本作をオタク作品に喩えるならこういう感じです。
『ズッコケ三人組の薔○族体験』
●メインヒロイン:●●●子、×××子、水○○
三人組が悪者に襲われる。「モーちゃんよぉ、お前、女の子にモテるって設定だけど男にもモテるんだな」。しかし古老は「そんな悪者などいない!」と否定。それでも訴えを続ける三人組にクラスのブストリオが恫喝を始め……。
●メインヒロイン:●●●子、×××子、水○○
三人組が悪者に襲われる。「モーちゃんよぉ、お前、女の子にモテるって設定だけど男にもモテるんだな」。しかし古老は「そんな悪者などいない!」と否定。それでも訴えを続ける三人組にクラスのブストリオが恫喝を始め……。
閑話休題。
クライマックスでハチベエは未来を予知し、大気圏を離脱し、自然と一体化するイメージまで幻視してしまいます(激しい踊りで自律神経に異常を来したため、との説明も入るのですが、未来を予知したことを考えれば、やはり超常的なことが起こったのでしょう)。
最後は若い宮司の行動でハチベエたちはことなきを得て、話は終わります。こうした「若者の活躍で古い因習に潜む問題が打ち破られる」という展開は『恐怖体験』と同じ構造ですが、考えると老人がラディカルな悪役として登場するのは本作が初ではないでしょうか。
極めて刺激的なストーリーであり、レビューブログがこの作品について比較的寡黙なのが不思議です。
『ズッコケ三人組と死神人形』
●メインヒロイン:若森礼奈、北村佐代子、川崎若菜、田所麻衣
『ズッコケ』の魅力に「子供を子供扱いしない」点があるかと思います。
だからこそ先の『神様体験』、また『財宝調査隊』のような異色作も生まれてくる。
那須センセは保守的な児童文学界の革命児であり、子供たちは『株式会社』での金儲けに心躍らせました。
……が、「子供を子供扱いしない」というのはまあ、「無責任な大人」の大好きな言葉でもあります。オタク界のトップにも、そうした大人が多うございますな。
那須センセもちょっとそのケがあって、『恐怖体験』でも過去の歴史としてとは言え「女郎」なんて言葉が出てきます(解説には「セックス」とか平然と書いている御仁もいました)。
ハチベエはエロキャラで、若い女の先生のブラが透けた、と言っているくらいなら可愛いのですが、「○○先生は腹ボテになって辞めた」とか言うのはどうなんでしょう、四十代の親父じゃあるまいし(『TV本番中』)。
本作でも、狂言自殺のトリックを「東南アジア辺りから死体を買って用意したのだろう」と語るシーンがあるのですが(そんなことが本当にできるのかは知りませんが)ちょっと子供には刺激が強すぎだと思います。焼死して骨だけになっているわけだし、普通に「ニセ死体です」とだけ言っておけばよかったんじゃないでしょうか。
――話が前後しましたが、本作のテーマは、「雪山の山荘に起こる連続殺人」。
プロローグでも日本の各地で、謎の死神人形を送りつけられた者が怪死するという事件が頻発していることが描かれ、期待させます。
しかし本作は(あちこちのブログで言われているように)あまりにも『ズッコケ』である意味が希薄。『探偵団』がトリック自体はありがちでも殺人事件を上手く小学生に解決させたのに比べ、本作は三人組の活躍はほとんどありません。これは『ミステリーツアー』にも全く同じことが言えるのですが、ミステリとしての体裁を整えるため、怪しい大人たちを、それも大勢登場させなければならず、ヘンにギスギスとした大人たちの会話がダラダラと続いた挙げ句、結果、子供は目立たないし話にも絡めないということになってしまっています。従来の『ズッコケ』の大人は「子供の世界に侵入してくる、異人としての大人」でしたが、それが「大人目線の大人描写」をしているだけ、というか。
つまり、「子供を子供扱いしない」、「児童文学のタブーを破った題材をも扱う」といったポリシーが、だんだんと「ガキを省みなくてもいいじゃん」「タブー破りゃいいじゃん」にすり替わっていってしまっている感があるのです。
最後にメインヒロインについて書いておくと、山荘に集う大人たちの中の、女子大生の四人組です。正直四人も出した意味があるとも思えず、三人組が女子大生のお姉さんと絡むとなるといろいろ甘酸っぱい展開を期待してしまいますが、それもあんまりナシ。ここもやはり「大人目線の大人描写」という感じで、「女子大生は活字を読むのが嫌い」とあるなど、当時の(否、当時から数えて十年ほど前の)フジテレビ的な「女子大生ブーム」の影響を受けたような女子大生観が語られています。
『ズッコケ三人組ハワイに行く』
●メインヒロイン:キャサリン有村
先にも書いた通り、『ズッコケ』は良くも悪くも子供を子供扱いしません。
で、『ズッコケ』後期は楽屋オチというか、「筆者は○○である」と筆者が前面に出て来て読者に語りかけるパターンが目立ちます。これも、ある意味では読者に対等に見ているからこそですね。
本作の導入部は「モーちゃんがお菓子の懸賞でハワイ旅行をゲットする」というものなのですが、そこでも「作者は……」と読者に語りかけた上で、「読者もご存じの通り、スリースター製菓ではハワイ旅行の懸賞を行っており……」といった一文が入ります。しかし、言うまでもなくスリースター製菓は架空の会社ですし、また今回初登場の存在なのだから、読者はそんなことを知っているはずがないのです。
ちょっと戸惑ったのですが、これは「作者が読者に語りかける」ことで虚構と現実の境界をぼかしたその上で、ぬけぬけとこんなことを書いて相手をぎょっとさせる、一種のギャグのようです*。ちょっと難しすぎるというか、子供を大人扱いしすぎじゃないでしょうか。
もう一つ言うと、そこで読者とのシンクロ率を上げるために使ったアイテムが、「ハワイ旅行の懸賞つきのガム」ってどうなんでしょう。何とはなしにですが、ガムなどの日用品に懸賞として「ハワイ旅行」がついていたのって、昭和30年代の匂いがします。まあ、それを言えばハワイ旅行自体がそうで、古いと言えば古いなあと。
ただ本作、レビューブログでは評価が低いのですが、ぼくの読後感はそんなに悪いものではありませんでした。確かに導入部ではビザの取り方がどうこうとあまり子供が興味を持たなさそうな蘊蓄が続くのですが(『ズッコケ』後期は導入部がダラダラしている、シミュレーション的な話が多すぎる、といった辺りが批判されることが多い)、後半になるとハチベエの曾祖父がハワイ移民者の富豪と因縁があり、ハチベエが婿養子に誘われる、という展開になります。
まあ、ここでも戦中の蘊蓄などが入るのですが、一族の娘であるキャッシーがやたらと可愛く(後期『ズッコケ』はクラスの美少女トリオの出番が増えるものの、正直、前川センセデザインの美少女キャラは萌えるとは言い難く、高橋センセのオリジナルキャラの方が可愛く描かれます)、「この娘と将来結婚?」という展開はそれなりにワクワクするものになっていたと思います。
*この部分、(ぼくは新書版で読んでいるのですが)ハードカバー版では物語の始まる前に「スリースター製菓からのハワイ旅行懸賞のお知らせ」が入っており、それを受け手のギャグだったのかも知れません。