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さて、今回『腐女子の心理学2』が表題となっておりますが……本書についてはしばし、置きまして。
既に旧聞に属しつつありますが、年末年始にかけてすもも師匠が炎上しました。
いや、こう書いてみて本当に旧聞だなあと、眩暈がしております。ツイッター界隈の流れは光のごとく速い。ツイにおいて、ぼくが一人、ぶつぶつつぶやいているのみで(だって本来、そうするためのものだろう!)あんまり流行の話題に乗っかりたくないと思う原因の一つです。 ここで簡単に状況をご説明しますと、すもも師匠、得意の統計漫談でいろいろグラフを並べ立て、最後に「非モテ男性にはライトオタク女子とのつきあいを推奨する」といった旨の言葉を述べたのです*1。
データを細かくみていくとライトオタク女子はかなり非モテ男性にとってやりやすそう。男性へのニーズの個別項目では「温厚ですぐに怒らない」「趣味があう」が高い。
― すもも (@sumomodane) December 27, 2019
非モテ男性にとっては、ライトオタク女子がおすすめです。ボリュームもそこそこいます。オタク趣味だけでなく、おしゃれな趣味も両立しているタイプです。仕事は小売業、生産工程、場所は北海道、福岡県、学歴は非大卒。男性ニーズはやさしさ。ハイスペ、モテを要求しません。
― すもも (@sumomodane) December 28, 2019
これが、「ツイフェミ」*2の皆様方に大変に不評で、師匠は大バッシングを受けてしまいました。いや、まあ、「やりやすそう」とか言ってるし。おそらくこれはあくまで「交際が」やりやすそう、ということであるはずですが、こりゃ「犯りやすそう」だと勘繰られ、上げ足取られるに決まってますわなあ。
この問題はまず、「オタク男子」に「ライトオタク女子」を勧めた点に、炎上要素があったと言えましょう(師匠は「非モテ男性」と言っているけれども、「趣味があう」と言っている以上、これは「オタク男子」とイコールでしょう)。
何でわざわざ「ライト」とつけたのか。
仮に「ディープなオタク女子」を想定すると、やはり「ブス」「根性がひねくれ曲がっている」といったイメージが沸きます。そこで、すもも師匠はまあ、多少は身ぎれいにしており、常識もあるライトオタク女子の方が……と考えた。そこが、まさに「ツイフェミ」の怒りを買った理由でしょう。
いえ、これはむしろ男の方が言われてきたことなんですけどね。例の『電車男』ブームの時は、例えば『「ゆるオタ君」と結婚しよう!』なんて本も出ておりました。「オタクというと忌避感があるかもしれないけど、ライトオタク君はお買い得!」というわけです(もちろん、根拠は極めて心許ないですが……)。これは男女の問題以前に、「オタク」という言葉のネガティビティがどこまで強いかということでもあるわけです。
ただ、もう一つ指摘しておくと、この「ライトオタ女子」という言葉そのものが、その相手となることが想定される「オタク男子」よりも相対的に「ライト」であるという含意があります。上の「オタクはネガティビティそのもの」という指摘とあわせて考えると、この提案は「男性の、上昇婚」という意味あいを有してしまう。それこそが「ツイフェミ」たちの発狂を促したのだ、と言えましょう。ブスがイケメンとつきあうことは正義だが、ブサメンが美人とつきあうことは絶対悪、というわけです。
さらにもう一つ指摘しておけば、単純に腐女子は「そういうことを言われたくない」という心理が強い、ということも言えましょう。
十年ほど前、『801ちゃん』などをきっかけとした腐女子ブームの折、杉浦由美子という腐女子ライターがブームに乗って、「腐女子は美人なのよ~ん」とウソを吐くだけの新書を盛んに出していたのですが、それが腐女子の総バッシングにあったのです。やはりオタク女子はこじらせを抱えた存在であり、性的に見られることになかなか素直になれない。「私たちのことは放っておいてくれ」といった心理が強いのでしょう。いえ、つまり、ということはライトでないオタク女子はそこまでこじらせているわけであり、だからこそ「ライトオタク女子」が望ましいというロジックには、正当性が強まるばかりなのですが。
*1 今となっては経緯を正確に把握することは難しいのですが、「すももまとめ:非モテが恋愛市場で勝つ方法」をご覧いただけば、すもも師匠自身の発言と、それに対するリアクションを最低限、ご覧になれます。
この調査自体、師匠が独自に行ったもののようで、「ライトオタク女子」の定義は何かなど、細かいことはよくわかりませんが(何しろ詳細は師匠が莫大な値をつけてデータ販売して、膨大なカネを稼いでいます!)、その辺はあんまり重要じゃないので、置きます。
*2 ぼくは今まで、「ツイフェミ」を主語に何かを語ることには、慎重であるべきと考えてきました。「主張」は「ツイフェミ」も「プロの、言論人としてのフェミニスト」も大差ないし、であれば「一般人」に過ぎない彼女らを叩く暇があれば本丸の、プロであるフェミニストの批判をすべきと考えるからです。また、すもも師匠のお友だちである白饅頭や青識亜論がそうしたプロのフェミニストを延命するため、ツイフェミとの八百長試合を続けていることは、既に何度も述べてきました。
ただ、この「ツイフェミ」はぼくがここしばらく「ブス」と表現している層、即ち一般的な女性たちの中の、あまり恵まれず、それ故にこじらせて「フェミ」を齧ってしまった層を総称する言葉ともなり得る。そこで本稿、そしておそらくこれから以降もそうしたニュアンスで「ツイフェミ」という言葉を使う機会が出てきましょう。
しかしここで一番、押さえておくべきポイントは、期せずして、「男に女を宛がえ」論者というものはやはり、いなかったということが確かになったということです。
(これ、極めて重要な指摘だと思うんだけど、みなさん、もうお忘れですかね)
折に触れて述べていますが*3、要するにネット上には(「ツイフェミ」的な女性が主張する)「弱者男性どもが、我々に女(嫁)を宛がえと主張しているぞ」との「通説」が一定層、ある。しかしこれは男性側が「女性は男性を主夫にしようとしないのだから、家庭に収まってもらった方が得である」との主張をしているのを彼女らが「情緒化」して解釈しているのではないだろうか……というのがぼくの想像です。 すもも師匠の主張に、「ツイフェミ」たちは「オタク女子に何て失礼なことを」と超過剰反応をもって返しました(彼女らの方がオタク男子に対して失礼だと思いますが)。つまり彼女らの耳にはまさに、師匠の提言が「オタク男子にオタク女子を宛がえ」というものに「聞こえて」しまっていたのですね。こうした一定層の女性たちの振る舞いが、上のぼくの仮説の傍証となっているとは言えないでしょうか。
そしてまた、これが「性犯罪冤罪」などと全く構造を同じくしていること、即ち「負の性欲」を原因とする「女災」の一つであることも、こうなれば指摘するまでもありません。
――以上のような次第で、少なくとも本件については、すもも師匠が一方的な被害者で可哀想だ、とぼくも思います。
*3「男性問題から見る現代日本社会」など。
ですが皆さん、この話題、何か思い出さないでしょうか。「オタク女子はオタク男子とつきあおう」。
そのような主張をしていた人物が以前、いたような……はい、『腐女子の心理学』、『腐女子の心理学2』の著者である山岡重行師匠ですね。『腐女子の心理学』については、当ブログでも採り挙げました*4ので、できればそちらも読んでいただきたいんですが……(以降、本稿では『腐女子の心理学』を『1』、『腐女子の心理学2』を『2』と表記します)。
いや、本当に事情が複雑でどうご説明申し上げていいか迷いますが、まず、問題の発端は北田暁大師匠編著による『社会にとって趣味とは何か』という本です。同書において、師匠は偏向した統計を開陳し、「オタク男子は保守的なジェンダー観を保持している悪者だ! しかし腐女子タンは勇猛なるフェミニズムの闘士だからボクちんとつきあって! (;´Д`)ハァハァ」などとキモいことを言っておりました。いえ、後半はぼくの創作ですが、大体まあ、そんなんでした*5。
そして北田師匠は先行する山岡師匠の著作、『1』の方をやり玉に挙げ、そこにあった「腐女子もリアル恋愛に興味はあるんだから、オタク男子とつきあえばいいよ」といったアドバイスへとことさらに憎悪を燃やし、攻撃を加えていたのです。北田師匠は「ボクちんのママになってくれるフェミニストの腐女子タンに悪しきオタク男どもとつきあえとは何ごと!!」と、それこそ上のツイフェミに劣らぬ怒りを炸裂させておりました。 その意味で山岡師匠もまた、北田師匠にわけのわからぬインネンをつけられた被害者、といった感じで、まさにすもも師匠と同様ですが、ただ……やはり、「フェミニズム」そのものの正しさを前提視している点が気になり、こうして「師匠」呼びをして、当ブログでも大いにからかってしまったのです。
見ていくと腐女子を「セクシャルマイノリティ」に準えて語っているような面もあり、それはどうかなあと。時々ぼくは「萌えオタは二次元性愛者という名のセクシャルマイノリティなり」といった「主張」を採り挙げ、批判します。政治運動的にも望ましくないし、そもそも事実と違うと考えるからです。本書にもそれに近い匂いを感じて、ブログでも毒づく結果となりました。
*4「腐女子の心理学」「腐女子の心理学(その2)」
*5「リベラルたちの楽園と妄想の共同体――『社会にとって趣味とは何か』」「リベラルたちの楽園と妄想の共同体――『社会にとって趣味とは何か』(その2)」
さて、以上が基礎知識です。長くてすみません。
そういうわけでやはり山岡氏の著作には全幅の賛同はできないのですが――あぁ、今まで「山岡師匠」だったのに「山岡氏」って言ってるよ!
すんません! 何か意味ありげに掲げたこの『腐女子の心理学2』ですが、まだ通読できていません!
実のところ、本書は去年の二月に出版されたので、もう一年経っているのですが……。
い、いや、何で急にこんな言い訳がましいことを書くのかとお思いかもしれませんが、この『2』が出版されたのは、山岡氏の北田師匠への怒りが原動力となっていたからなのです。
何しろ通読していない以上、本書の内容に関してはひとまず、あまり語ることもできないのですが、実は発売当時(即ちもう一年も前なのですが……)、出版記念イベントが行われ、ぼくも山岡先生にご挨拶させていただきました。
――おい兵頭よ、それで急に山岡氏におもねることにしたわけか?
はい(肯定)。
い……いえ、上にもリンクしたかつての『1』評については(読み直すと結構非道いことを書いているのですが)翻すつもりはありません。
ただ、本件(北田師匠とのバトル)においての山岡氏の主張については、ぼくは全面同意します。
北田師匠の統計の恣意性について、ぼくも知識のないところを苦心惨憺しつつ何とか批判しましたが、専門家である山岡氏も否定的ということで、北田師匠の本が信頼できないということは立証されたと言っていいでしょう。
出版記念イベントにおいても、山岡氏は北田師匠が本の中でオタク趣味を「たかが趣味」と蔑ろにするような記述をしていることに怒りを露わにして(ここはぼくもブログで指摘していましたよね)、「えぇと、著作のタイトル、何だっけ、『社会にとってたかが趣味とは何か』だったけ?」などと言って、会場の爆笑を誘っておりました。 もう一つ、山岡氏の怒りは北田師匠が腐女子を「フェミニスト」に仕立て上げようとしている点にありました。氏はフェミニズムそのものは好ましいと考えていると思しく、ぼくもそこを批判したのですが、しかしこの態度は、「仮ににフェミが正しいとしても、研究はそうした希望的観測に囚われず、公正な視点で臨むべきだ」と考えているからこそであり、冷静なスタンスだと思います。
さて、これら山岡氏の指摘については既に出版後、
ネットでも話題になり、いずれにせよバトルは山岡氏の勝ちに終わった……と言っていいかと思うのですが。
実は少し前、同書がまたしてもプチバズりました。 すもも師匠がツイッターで『2』を採り挙げていたのです。
すもも師匠と言えば、白饅頭の手先……あ、いや、子分……あ、いや、その、眷属――何か、格好いい表現なのでこれで勘弁してください。
え~とですね、ぼくのすもも師匠に対する評価は、以下のような具合です。 データを基に言説を推し進めるスタイルには感心しますし、また、「非モテはモテ幻想から解放されよ」といった言説(いわゆるミグタウ称揚論)に、断固としてノーを突きつけ、「そんな思想は人を幸福にしない」と表明するスタンスにも好感が持てます。これらの高評価は、今も覆ってはいません。
一方、しかし同時に「女性たちよジェンダー規範から解放されよ」との「ジェンダーフリー」を唱えており(それって人を幸福にしないんじゃないですかね)、やはり洗っても洗っても縞模様の落ちないシマウマだ、とも思います。
さて……そんなすもも師匠、どういうわけか『2』を採り挙げながらも、ぼくがさんざん批判した北田師匠の統計を持ち出し、称揚していたのです。いや、これじゃあ北田師匠のデータが山岡氏発のようにも読めてしまう。どういうことか……。
ぼくは師匠に再三、リプを送りましたが一体全体どういうわけか無視され続けました。
すもも師匠は北田師匠のデータに対し、
これは本当に良書だと思う。もうひとつ個人的に衝撃的な結果があった。「男性オタク」はジェンダー保守的な価値観が高い。これは割と薄っすら感じていたことだけど、ここまで顕著だとは。 pic.twitter.com/DhCNpATx0G
― すもも (@sumomodane) December 14, 2019
などと自分の見解に適うと、気をよくしていました。もっとも、直後に
なぜこうなるのだろう。オタクは草食的なイメージがあるのでこのようなある意味「男らしさ」を肯定する結果が意外。
― すもも (@sumomodane) December 14, 2019
とも言っており、どちらが本音か(それとも師匠の中ではこの二つが矛盾なく同居しているのか)不明ですが、恐らくは前者こそが本音で、自分にとって好ましいデータを否定したくないがため、ぼくの進言を無視し続けていた、というのが実情ではないでしょうか。
ところがその後、師匠は「『2』はデータ部分を見ただけだが、いずれじっくりと通読したい」などとつぶやいていたのです! ぼくも手元の『2』を見て、やっと気づきました。
山岡氏が批判的に採り挙げた北田師匠の統計を、すもも師匠は山岡氏自身が提示したデータであると誤読していた可能性が、極めて高いのです!!
さらに、その「まだ読んでない」旨のつぶやきを、すもも師匠はすぐに消し、山岡氏のツイートをRTしていました。
つまり……ぼくの指摘を読んだ師匠はことの次第に気づき、一応の言い訳のつもりでそのようにしたのでしょう。
しかし、それならばそもそも一連のツイートは全部消すか、或いはことの次第をちゃんと報告すべきでしょう。このままでは山岡氏の本が誤解されたままになりかねません。影響力の強い垢にこうしたことをされるのは巨大な迷惑です。
またこうなると、すもも師匠の読解力、知的誠意、のみならずオタクへのスタンスも、信頼に足るものかどうか、極めて疑わしいと言わざるを得ません*6。
すもも師匠も山岡氏も「オタップル」をカップリングさせようとして炎上しました
。 二人を攻撃した北田師匠、そしてツイフェミたちにあったのはオタク男子(=非モテ男性)へのぶれのない真っ直ぐな憎悪でした。
しかし、上に挙げた言動を見る限り、すもも師匠もまたオタク男子への軽蔑を共有しているように見えます。オタク女子は先進的なのに比べ、オタク男子は保守的だ、と(もちろん、師匠自身の炎上騒ぎがそれが間違っているということの証明になっているのですが、そこはまあ、置きます)。
しかしならば、すもも師匠は何故、あのような提言をしたのでしょうか。
仮に北田師匠のオタク観、そしてジェンダーフリーが好ましいのだというイデオロギーが正しいとするならば、「オタク男子は悪だからオタク女子という正義とカップリングさせるなど、まかりならぬ」という北田師匠の結論が、理に敵っています。すもも師匠はすぐにもこれに唱和すべきでしょう。
こうしたすもも師匠の振る舞いは、丁度、ポルノを全否定するフェミニストたちへの絶対服従を再三誓いながらも、表現の自由の、オタクの味方であると詐称し続ける師匠の親分たち、つまり白饅頭や青識亜論の振る舞いと「完全に一致」しています。
或いは、山岡氏のツイートをRTしたように、すもも師匠は北田師匠のデータが間違っていると知り、(だとすると、これはぼくが言ったからなのですが、しかしもちろん、ぼくへ感謝することもなく)一応、心を入れ替えて、その上で上のような提言をした、と考えるべきなのでしょうか。
そうなると、この炎上の原因はぼくであったことになってしまいます()。
もっとも、ならば、師匠はフェミニズム的な価値観を捨て、考えを変えたのか、となるとそれは疑問です。石川優実師匠の裏切りの後も「フェミを信じてくれ~~~!!」と哀願を続ける青識亜論と、似たようなことを考えているのではないかなあ……というのがぼくの勘繰りです。
*6 以上は「すもも師匠、北田暁大師匠のデマ本の記述を流布する。」にまとめられております。
――さて、中途半端ですが、今回はこんなところです。
一応、まとめめいたことを書きますと、ぼくも「オタク男子はオタク女子とつきあおう」という提言自体はことさらに悪いとは思いません。しかしそれに対する「ツイフェミ」の抵抗はハンパない。それはまさに「負の性欲」という「女性ジェンダー」がいかに強固に彼女らを縛っているかの、そのままの証明になり、「女災」の存在を何よりも明白に世に知らしめるきっかけとなった。ぼくたちは「優位」にある女性たちに「幸福を分けてください」と頼み込むことがいかに困難かを、すもも師匠の振る舞いを見て、反面教師にせねばならないのです。 必ず近いうちに、表題となっている『腐女子の心理学2』のレビューをしますので、少々お待ちください。