兵頭新児の女災対策的読書

「女災」とは「女性災害」の略、女性がそのジェンダーを濫用することで男性が被る厄災を指します。

トンデモ女性学の後始末

2017-11-23 20:02:19 | フェミニズム


 ――さて、続きです。初めての方は前回記事からご覧頂くことを強く推奨します。
 前回記事で充分に明らかになったことと思いますが、「フェミニズム」とは地上最大の「妄想社会学」であり、基本的な部分で「疑似科学」と全く同じ性質を持っていると言えます。
 前回五つ目までご紹介した、「フェミニズムをめぐる10のファクト」の残りをご紹介することにしましょう。

ファクト6
知的な職業に就く人も多い


「フェミニスト」に「知的な職業に就く人も多い」のは、もう説明するまでもないでしょう。
 しかし、オウム真理教の幹部に高学歴な者が多かったことが象徴するように、トンデモさんについてもこれが当てはまるのです。例えば、前回(『トンデモ本の世界F』。以降、『F』と略記)
に採り挙げた紫藤甲子男氏は東海林さだお氏などと同期の大ベテランの作家、漫画家ですし、後述する谷口祐司氏も世界発明エキスポ銀賞、大阪府知事賞、厚生大臣賞などを受賞しています。他にもプロの科学者、弁護士、牧師など社会的に立派な人物がトンデモ本の作者である例は枚挙に暇がありません。
 何故か……となるとまあ、一口に説明することは難しいですが、一つに「それが流行りだった時期があったから」ということは言えようかと思います。例えば1950年代、UFOは今からは想像できないほどに人々にとっての大きな話題であり(この頃は「UFO」ではなく「空飛ぶ円盤」と呼ばれていましたが)、ホンキで信じていた人も大勢いました。それは一つには宇宙開発など科学力による人類の発展が強く信じられていたからであり、UFO研究団体「日本空飛ぶ円盤研究会」には、三島由紀夫、石原慎太郎、徳川夢声、星新一、黛敏郎、黒沼健とそうそうたるメンバーが集っていました。
 この頃、「空飛ぶ円盤」は何だか知的でナウい装いをまとっていたのです。
 そう、それは丁度、「ジェンダー」という言葉が知的でナウいモノとして登場してきた時の、かのイデオロギーと同様に。
 もちろん、今となっては「なんであんなものを信じていたんだ?」という感じのUFO(でありフェミニズム)ですが、年寄りにしてみれば捨てがたい。何のかんの言って上の世代には潜在的な信者が、何かきっかけがあれば反原発デモのように集まって騒ぎたい、と思っている人々が多い、ということなのでしょう。
 つまり、そこから必然的に――。

ファクト7
メジャーな勢力にも影響を与えている


 ――ということになるのです。
 原田実師匠が目の仇にしている「江戸しぐさ」、これは文科省の道徳教材にも採り挙げられましたし、『水からの伝言』もまた、小学校の道徳教材に使われたといいます。
 しかし更にコワい例としては、宇宙人や地底人とコンタクトしていると自称し、北朝鮮を全面肯定している中丸薫氏という人物に(拉致問題も、日本がごね続けているのが悪いのだと断言している!)、菅沼弘光氏という元公安調査庁調査第二部長である人物が心酔しており、対談本などを積極的に出しているという事実があります。
 大変にオソロしい話ですが、これらからぼくたちが得るべき教訓は何でしょうか?
 そう、それはフェミニズムが学問上の立場を確立しているからといって、信ずるに足るものであると考える理由にはならない、ということですね。
 仮に疑似科学本に対しては極めて論理的にツッコミを入れ、見事な批判をする人物でも、その人物のフェミ評が論理的かどうかは……。

ファクト8
愛を謳うが、実際には憎悪に満ちている


 これも前回(『F』)で述べました。もっとも、その時にご紹介したのはどちらかといえば社会に対する「憎悪に満ち」、それ故に終末を待望するネガティブなイメージの本でした。今回は補足の意味で、ポジティブに「愛を謳う」傾向が強いものをご紹介しましょう。
 先にちょっと述べた育児研究家の谷口祐司氏は、『トンデモ本の世界Q』及び『R』に続けて紹介されています。彼は妊婦に「胎教瞑想」というものを指導し、それによって胎児とテレパシーで会話できるようになると説いているのです。

 この本を手にされたお母さん達は、選ばれた地球改革の主人公を生み育てるマリア様なのです。(8ページ)


 というのが谷口氏の主張です(上はあくまで『Q』の83pからの、氏の著作の孫引きです)。
選ばれた地球改革の主人公を生み育てるマリア様」!
この世界がすべての人にとって優しい世界になることを目指すための運動」という言葉と、何と似通っていることでしょう(この話題については『F』参照)。いずれも、正常な人間が口にしたら、口が腐るであろう甘言です。
 同時に彼は二十一世紀には宇宙人との交流が深まり、受講者の妊婦さんの子供たちはその先人となる、十歳から十五歳くらいで宇宙学の先生になる、とも言います。ちなみにそう書かれた本は97年の出版。たった数年後にものすごい変化が起こるのだと説いていたわけですね。テレパシーといっても当然、第三者に確認できるものではなく、全ては「聞こえた」と称する人の主観に委ねられる性質のものなのですが。受講者は同様に、自分の幼い子供の「昨晩、UFOに乗った」といった、普通に考えれば夢を見たのだとしか思えない話を全部信じているといいます。
 以上について、山本弘師匠は極めて冷静に分析しています。

しかし、谷口氏のセミナーが人気を集める理由がわかる気もする。自分が「選ばれた地球改革の主人公を生み育てるマリア様」だとおだてられ、虚栄心をくすぐられるのだろう。
(87p)


 ここまでなら谷口氏の思想は「母親たちの甚だしく幼稚なナルシシズムの受け皿」で済ませられるのですが、当然更なる邪悪な側面を持っています。『R』で紹介された彼の教えによれば、2000年には天変地異が起こり、地球人の90%は死ぬといいます。しかし当然、心の清い人だけはUFOに救われる。そして心の清い人になるためにはもちろん、彼の教えを守ればいいわけですね(ちなみにその教えは心を軽くするため、「イェイェイェ!」とツイストを踊るというものだそうです……)。また、著作では「強姦されても子供は生まれない、妊娠した場合はその被害者女性がカルマを背負っているのだ」「子供のアトピーは母親の魂が汚れていることが原因だ」などといった非常識な主張がなされています。言わば彼のセミナーは、幸福なお母さんたちの母性エリーティズムの苗床となっているわけです。ちなみにこうした「トンデモ母性エリーティズム」というモノには一定の需要があるようで、『トンデモ本の逆襲』において七田眞氏の、上とかなり近しい内容の著作が紹介されてもいます。
 そして、フェミニズムはこれらと、どこまでもよく似ています。いずれも甚だしく勘違いした、幼稚なナルシシズムを根底に置いたエリーティズムなのですから。谷口氏の思想には極めて濃厚にニューエイジの影響が見て取れますが、フェミニズムそのもの、或いはフェミニズムに対するリベラル男性の妄信もまた、ニューエイジ的な女性性に対する信仰心に基づいているとしか思えない。80年代のSF、またそこに登場するヒロインにはニューエイジ的価値観が濃厚であることは『ズッコケ三人組』のレビュー*1をしていた時期、繰り返し述べましたが、山本師匠など一番この辺に影響されている世代でしょう。
 違うのは谷口氏の受講者が「幸福なお母さん」であるのに対し、フェミニズムが女性ジェンダーから逸脱した人たちによるものである点。その意味で谷口氏のセミナーとフェミニズムは完全に線対称な存在、と断じていいように思います。ただ、谷口氏は受講者に自宅出産を推奨し、死亡事故を何件か起こしているのみなのに対し、フェミニズムはそれを遙かに上回る災厄を世にもたらしている点は、大いに異なりますが……。
 山本師匠の「この世界がすべての人にとって優しい世界になることを目指すための運動」というフェミニズム定義には度肝を抜かれました。憎悪と怨念の権化としか表現のしようのない存在に対して、一体どれだけの勘違いを積み重ねたら、そのような評価ができるのか。しかしそれも、谷口氏のセミナーを見れば了解可能であるように思えます。師匠はフェミニストたちの口から語られるおぞましい選民思想を「マイノリティへの愛」と読み替え、今日も「魂を軽くしてイェイェイェ!」と踊り続けているのです。
 むろん、それは師匠に限ったことではありません。「フェミニズムは全てのマイノリティのための運動」的なお為ごかしは、みなさん大好きでいらっしゃいます。ろくでなし子師匠が同様のことを言い、しかし反論されるやバイセクシャルに対して「動物愛護団体に行け」と口汚く罵ったこと*2はみなさんご存じのことでしょう。そもそも彼女は著作でも(幼稚なナルシシズムは言うに及ばず)オタクを馬鹿にしきっているのですが*3、オタク界のトップって普段はオタク差別に反対しているフリをしているのに、どうしてあんなにろくでなし師匠が大好きなんでしょうね(いや、理由はわかりきっているんですが)。

*1 「ズッコケ三人組シリーズ補遺」の『ズッコケ時間漂流記』の項など。
*2(https://twitter.com/6d745/status/764471138181263360
*3(https://twitter.com/6d745?visibility_check=true

ファクト9
その憎悪には、根拠がない


 大変残念な話ですが、彼ら彼女らの「愛」には一切、根拠がありませんでした。
 しかし更に哀しいことに、彼ら彼女らの「憎悪」にもまた、一切の根拠はないのです。
 秋山眞人という「超能力者」がいます。近年、テレビ番組で超能力者を「いじる」ことが定番になりましたが、その種の番組に出てはやたらと怒ってばかりいるというキャラのついた人です。超能力を馬鹿にする否定派(この人たちにもぼくはあまり好感が持てないのですが)に対して、「我々エスパーはずっとそうした偏見に晒されてきたんですよ!」と憤り、退席してしまう姿が印象的です。
 彼のそんな時の情念が、ぼくには非常にリアルに迫ってくるのです。
 いえ……それでは表現が不正確かも知れません。「その情念は非常にリアルだが、その根拠は非常にアンリアルだ。が、だからこそ余計にその情念にリアリティを感じてしまう」とでも言うべきでしょうか。
 フェミニストにもオカルト関係者にも、その深層心理には現世への深いルサンチマンが隠れていることでしょう。
 しかしそのルサンチマンは、例えば「愚かな世間の連中は、俺の才能を認めようとはしない!!」と憤るが別に「才能」など持っていないといった感じの、凡人の根拠のないものであるように、ぼくには見えます。
 例えばですが、クラスの中で自分の居場所が見つけられない中学生が、超能力者を自称して、注目を浴びるようになった、といったエピソードはかなり普遍的なモノなのではないでしょうか。近いことは伊集院光のラジオ番組、『深夜の馬鹿力』などでも時々話題に出ますし、秋山氏自身がユリ・ゲラー来日の際にスプーン曲げの能力に「開眼」したことに出自を持っています。
 そう、そんな超能力少年も当初は「クラスのみんなが冷たい」といったささやかな、しかしリアルなルサンチマンを根拠に超能力を「開眼」させたのかも知れません。ですが「超能力者」キャラを作ってしまうと自我が際限なく肥大化し、「異端者であるが故に言われない偏見と差別と迫害を受けてきた無辜の被害者であるエスパー」といった物語を紡ぎ出すようになる。だんだんと、膨れ上がったナルシシズムと憎悪とがわけのわからない方向へと、根拠のない噴出を始めてしまう。
「憎悪に満ちている」ことそれ自体を取り出してみるならば、ぼくはあまり、彼ら彼女らを嫌う気にはなれません。しかしながら実際には彼ら彼女らは自らの抱えている憎悪について驚くほど無自覚であり、自ら(の教祖)を女神のごとく慈悲深い人物だと露ほども疑わず、「愛を謳」い続ける。ぼくにとってはそこが何よりも不快であり、また危険であると思われるのです。

ファクト10
彼ら彼女らの情緒的整合性には、極めて適った思想である


 いろいろと事例を挙げてきました。
 いずれも頭のクラクラするような「トンデモ」ぶりですが、それらは同時に哀しくもあります。ちょっと頭のいい人ならば彼ら彼女らの奇妙な主張の動機は、「ファクト9」で述べたようなものであると、窺い知れてしまうことでしょうから。
 彼ら彼女らは「ファクト1」で述べたように、論理と事実から完全に乖離している、いやむしろ乖離することそのものを目的として、「ファクト2」にあるような振る舞いに及んでいる。
「ファクト3」と「ファクト4」の相矛盾する特性も、「ファクト5」のような傾向も、彼らが論理や事実を否定し、自分がチートできる「異世界」に「転生」しているが故のことでした。
 3、4を見てわかるのは彼ら彼女らが「偉大なる者と、それに選ばれたワタシ」という物語を希求しているということです。ノストラダムスもフェミニストも「異世界」の中の偉大なる者であり、虚構の世界の住民票を手に入れるためには、そうした人たちの覚えをめでたくする必要があるわけですね。
 そして……それらの根底にあるのは「ファクト8」「ファクト9」で述べた心理状態です。
『トンデモ本の世界』で忘れられない図があります。広瀬謙次郎氏の『ヘンリー大王とヤマト救世主(メシヤ)』という本に出て来る、近未来の日本列島の地図。それは天変地異の挙げ句、伝説のムー大陸が浮かび上がり、日本とつながるとの予言に基づいたものでした。朝鮮、台湾、樺太、千島列島などもまた日本列島とつながり、みな日本の領土となる、という図です(樺太などは南北で両断され、癇性にも南だけが日本とつながります)。ちなみに欧米や中国大陸は海に沈むのだそうです(笑)。
 そして日本は宇宙人たちとの交流の中心地となり、「宇宙大陸ヤマト」と呼ばれるようになるのであった!!
 な、なんだってーーーーー!?
 レビュアーの藤倉珊氏が「著者がどういう願望を秘めているか、ひと目でわかる世界地図である。」と鋭く突っ込んでいたのが印象的です。
 そう、「トンデモ」は人間の心のうちに秘めた欲望の、忠実な反映でした。
 フェミニズムの主張もまた、ということは言うまでもないでしょう。彼ら彼女らの主張に事実や論理の反映があることは極めてまれですが、彼ら彼女らの「心的現実(要するに願望)」は常に非常に忠実に反映されている。多摩湖師匠の読んでいて赤面してしまうアジテーションはその好例であり、彼女らに対するリベラル君たちの、どう考えても正気を保っているとは思えない帰依もまた、そうです。
 多摩湖師匠は、「敢然とエスパー差別に立ち向かうエスパー」でした。もちろん、彼女の超能力が実在のものかについては、お察しなのですが。
 フェミニズムの描く、「男尊女卑社会」もまた、「エスパー差別が行われるディストピア」でした。言うまでもなく、エスパーが実在するかについては、お察しなのですが。
 彼ら彼女らの「心の目」には日本が先の地図のように朝鮮や台湾とつながって見えているのです。
 フェミニストたちは「ボクの望む未来」を予言してくれる女ノストラダムスであり、「愛を謳う」善なる宇宙人なのだ、といえます。
 一歩引いて見れば彼ら彼女らの描く未来図は現世を否定し、全てを破壊する種類のものなのですが、それに対する自覚は当然、ありません。
 彼ら彼女らはこれからも自らのエゴにも憎悪にも気づくことなく、自らこそがカタストロフを望み、引き起こそうとしている存在であることにも気づくことなく、自らをカタストロフ後の世界の救世主、「全ての人に優しい世界を作る運動」の主体であると信じ続けるのです。

トンデモフェミニズム本の世界

2017-11-18 02:13:59 | フェミニズム



フェミニズムをめぐる10のファクト


 さて、「トンデモフェミニズム」と書いたモノの、フェミニズム自体がトンデモなわけで、この言葉自体が「頭の頭痛が痛い」みたいなものなのですが、ここではトンデモ、つまり疑似科学などへの妄信と、フェミニズムへの盲信とを比較、それらの共通点を見ることで両者が同じ構造を持っていることを指摘していきたいと思います。本稿を読み終えた時、あなたはきっとフェミニズムがオカルトの一種であり、その中でも最も非論理的で非理性的で反社会的なモノであると理解していることでしょう。

ファクト1
都合の悪いファクトは目に入れない


 初っ端からナンですが、これは前回(『トンデモ本の世界F』、及び『トンデモ本の世界G』。以降、『F』、『G』と略記)に詳しく述べました。
 フェミニストは自らの過ちを絶対に認めないし、自分にとって都合の悪いファクトを絶対に認めません。そもそもフェミニズムそのものが最初から間違っており、しかしながらそれを認めることができないのですから、後はファクトを否定していくより仕方がないのです。
『トンデモ本の世界』では清家新一という人物について一項が割かれ、解説されています。UFOを製作しようとしているトンデモ科学者なのですが、京大の学園祭で講演をしたことがあります。「学園祭での講演で、京大が招いたわけではない」とあるので、恐らくサークルから面白半分に招かれたのでしょう。
 しかしそこで彼は、受講者に矛盾を突かれても、平然と講義を続けたと言います。

 すべてこの調子である。答えられない質問が来ると、急に黒板に公式を書き始め、まったく関係のないことを喋り始めるのだ。わざとごまかしている様子はなく、天然のパフォーマンスであるらしい。
(293p)


 これはまた、「終末予言」を唱える人たちにも同じことが言えましょう。『トンデモ本の世界』には「富士皇朝」についてもレポートがありました。オウム事件に掻き消された感もありますが、復古主義を唱え、ホンキで政府転覆を企んでいた危険な団体です。この会の構成員も「1994年6月24日、東京に大地震が起こる」との教祖の予言を信じ、それに乗じたクーデターを企んでいました。が、当然、地震などは起こらずとんだ肩すかし。しかし教祖の「自分は予言をカタカナによって発したのに、信者たちがそれをひらがなで発音し、伝えたがため、予言が成就しなかった」という声明に、信者たちは納得していたといいます(いや、読んでるあなたも意味がわからないでしょうが、ぼくだって書いていてわかりません。ただ、彼らはそれで納得したのです)。
『トンデモ大予言の後始末』は2000年に出されたノストラダムス騒動について書かれた本ですが、ここにも予言が外れた研究家が、何ら反省のなかった様子が繰り返し書かれています。
 フェミニストもこれと同様です。彼ら彼女らが数分前に言ったことを平然と翻し、ログが残っているのにそれを全く気にする様子もなく勝ち誇っている、自分の言ったことをその場で明確に否定する証拠を提出されても、過ちを認めることなく話題を変えるのみ……といった様を、ぼくたちは無限回数目にしてきました*1
 彼ら彼女らの脳には、同じメーカーで作られたファイアーウォールが入れられているとしか、考えようがありません。

*1 本当に枚挙に暇がないのですが、ここでは小山エミ師匠の「自分の言ったことを直後に翻し、しかし自覚が全くない」という驚くべき振る舞いを挙げておきましょう。
「オカマ」は女湯には入れるのか?
「オカマ」は女湯には入れるのか?Ⅱ


ファクト2
夥しい虚構の体系を築き上げている


 と学会の誇るデバンカー(オカルト解明家)、皆神龍太郎さんは『トンデモUFO入門』で以下のように述べています。

 僕がUFOを面白いと感じるのは、たとえばロズウェル事件なんか、ものすごくたくさんの証言やデータがあって、内容的にはガチガチに固まっているわけ。それらを読めば、UFOは墜落していて、宇宙人の死体がどこかに隠されているとしか思えない。でも、「なんかヘンだな」と思う小さな穴を見つけて、それに指を突っ込んで徐々に拡げていってみたら、最後には全部が嘘と勘違いだらけの瓦礫の山に変わっていってしまった。まったくの虚構の上に、巨大な帝国が築かれていただけ、ということが一望に見渡せるわけなんだ。これがなかなか気持ちいいんですよ。
(215-216p)


 ロズウェル事件というのは1947年、UFOが墜落し、米軍がそれを回収したとされる事件です。が、そのUFOは単なる米軍の気球でした。実のところすぐにオチがついて忘れ去られていたのが、80年代になってから「俺は宇宙人の死体を見た」などと言い出す人物が現れ、蒸し返された事件なのですが、そうした証言者たちはとても信頼の置けない人物ばかり。何しろUFOの墜落地点自体が、この人たちの証言のおかげであちこち複数に渡る結果になってしまいました。
 彼らは実に熱心に証拠を「捏造」します。そして「信者」同士でその「証拠」を引用しあいます。元はチラシの裏にマジックで書いたような「政府文書」でも、そうする内に「何か、みんな言ってるし」「いろんな本に書いてあったし」と嘘が信憑性を帯びてくることになるのです。
 こうした嘘にはまた、もう一つの傾向があります。
 ジョージ・アダムスキーをご存じでしょうか。いわゆる「アダムスキー型のUFO」に乗った金星人と友だちになったと自称し、その金星人の説く「宇宙哲学」を広め、教祖的存在に収まった人物です。が、彼はかつて(UFOと遭遇するよりずっと前に)SF小説を書いており、その内容が金星人との遭遇や、その金星人が語る「宇宙哲学」とそっくりだったのです。
 普通はここで「ははーん」となるところでしょうが、アダムスキーは「そのSF小説は幽体離脱してUFOに乗った時の体験を書いたものだ、と説明しました。仮に幽体離脱を信じるにせよ、「では何故、その時は小説という形で発表し、二度目は実体験であると称したのか」、「一度幽体離脱して経験したのとそっくりな経験を、もう一度繰り返すのって何かヘンじゃないか」などいくつも疑問が湧き上がってしまいますが、信者たちは納得したようです。この種のオカルトを体験したと称する人物は、疑問点を突っ込まれては言い訳を繰り返すというのが常なのですが、その言い訳は「一応、その場の対処療法的な説明はなされているが、一歩引いて見ると不自然極まりない」という特徴があるようです。それはつまり、目的が既に「本当にUFOに乗ったのか」という疑問を究明することではなく、「UFOに乗った」という大前提を守ることにすり替わってしまっているからでしょう。
 フェミニストの主張もまた、これと同じです。「嘘に嘘を重ねるためわけのわからないモノになっていくが、本人たちだけは自分のついた嘘を信じ込んでいる」という彼ら彼女らの奇態はネットを見ているだけで明らかです。
 彼ら彼女らは今まで、「ラディカル/リベラルフェミニズム」についてのデマ、「ツイフェミ」「まなざし村」などといった(無意味な)用語の捏造を続けて来ました。多摩湖師匠は最近、「ネオリブ」という概念を提唱しています*2。本人の弁によればフェミニズムに失望し、見切りをつけ、新たな運動を始めるのだということですが……その言は幼稚な自己肯定感に酔ったポエムというべきもので、「ネオリブとは要するに何なのか、フェミニズムとどう違うのか」は、見事なほどに一切伝わってきません。
「ネオリブ」をウィキで検索してみてください。「中ピ連」の項目に飛ばされます。「中ピ連」といえば70年代に活動していた「ウーマンリブ」団体であり、「ネオリブ」とは彼女らが出していた機関誌の名前。つまり「ネオリブ」という名前自体が遙かな昔に既に使われていたものなのですが、更に「ノート」*3や「削除依頼」*4を見ていくと興味深い事実がわかります。どうもごく少数の「信者」が多摩湖師匠のつぶやきを根拠に新たに「ネオリブ」という項目を作ったものの、根拠薄弱として削除されてしまったらしい。ハクをつけようとして小山エミ師匠のコメントにもリンクしたものの、「関係ないだろ」とツッコミを受けてしまった痕跡もあります。
 そう、ことほどさように「嘘も百回つけば本当になる」がUFO信者、そしてフェミ信者のやり方です。
 フェミニズムは、虚構の上に築かれた、巨大な帝国だったのです。

*2「ネオリブの産声
*3「ノート:ネオ・リブ
*4「削除依頼/ネオ・リブ


ファクト3
往々にして、他のトンデモさんへの反論は当を得ている


 近年の、(少なくともネット世論における)フェミニズムの評判は、「地に落ちた」との表現がぴったり来ます。何しろ、ぼくが「オタク界のトップ」と呼ぶような連中までフェミニストを批判するツイートをしていたりします。名前を挙げることは控えますが、お堅い職業に就いて、表現の自由を守ると称する運動に関わっている人物までが「フェミニスト」を主語にした批判ツイートをしていたのは、さすがに驚きでした。
 が、ぼくは常に彼らに対して否定的です。それは言うまでもなく、彼らの「フェミニズム批判」とやらが「フェミニズムがポルノを攻撃する」点にのみ動機づけられた他愛ないものであり、フェミニズムの全体性を批判する視点を持ち得てはいないからです。彼らはまなざし村、ツイフェミといった言葉を捏造することに実に熱心で、ここにフェミニストを延命させるという秘められた目的があることは、自明だからです。上の人物もまた、裏ではフェミニストの悪事を隠蔽するための陰湿な脅迫活動に従事しておいででいらっしゃいます。この辺りは何度も書いているので、細かいことは省略しましょう。
 ただ、しかし、それにしても。
 見ていて彼らの「フェミ批判」、そしてまた彼らの持ち上げる「真のフェミ」の発言などは、それ自体は頷けることが多い(ただしこれは、ただ単に観念的なキレイゴトを並べているだけだからという側面も、当然あります)。
 そしてこれはそのまま、トンデモさんの特徴でもあるのです。
 前回(『G』)でも指摘した通り、トンデモ本シリーズを読んでいると、山本師匠は本当に幾度も幾度も「トンデモさんは自分に当てはまる言葉で相手を批判する」と繰り返しています。が、これは逆に言うと彼らが「普段は知的だが、ある一点にだけは平静さを失っている」ということでもあるのです。
 武田了円というお坊さんがいます。彼の著作は『トンデモ本の世界』、『トンデモ本の逆襲』の二冊に渡りされており、そこにはお札(日本で使われている普通の紙幣)に悪魔の顔や性的なシンボルが描かれており、そのサブリミナル効果で日本人は洗脳されている、そしてその黒幕はニャントロ星人だ、といったとんでもない主張がなされています。しかし、彼はそこまでぶっとんだ主張をしながら、アダムスキーなど他の宇宙人実在論者たちの話は否定するのです。山本師匠も(武田氏をこき下ろしつつも)その箇所については「この分析はなかなか鋭い」「同感!」と賛意を示しています。
 また、ノストラダムス研究家同士も、予言詩の解釈について争ったりします(確かと学会の本で、テレビ番組でそのような事態が起こったことを面白おかしく描写していたものがあったはずなのですが、今回は発見できませんでした)。
 もっとも、これについては不思議がることではありません。武田氏は「宇宙人悪者派」なのだから、「宇宙人救世主説」を唱えているアダムスキーなどとソリが悪いのは当たり前。ノストラダムス研究家にしてもバイブルの盲信者が、互いに相手のバイブル解釈を巡って罵りあっているだけで、当たり前すぎるほど当たり前な光景でしょう。
 そしてそれはポルノ反対派のフェミニストと、ポルノ容認派を自称するフェミニストが争うのと全く同じです。一歩引いて見れば同じ穴のムジナの、ちょっとした立場の違いによる「コップの中での大バトル」にすぎないのですが、渦中にいるものはついつい、争いが大きなモノであるかのように錯覚してしまっているというだけのことなのです。

ファクト4
互いに矛盾しあう説を両方信じる


 そしてまた、彼ら彼女らはこうした矛盾に満ちた精神状態に陥ることがあります。
 これは「ファクト3」に真っ向から相反する現象に見えて、実は全く同じ理由によるものであるといえます。
 近年、エマ・ワトソンがフェミニズム批判めいた発言をして話題になりました。この時のフェミ信者たちのリアクションは、大変におかしなものでした*5。ワトソンの舌鋒鋭いフェミ批判に対し一体全体どういうわけか、「このような発言をする者がいるから、フェミはやはり正しかったのだ」とのアクロバティックな解釈をしてしまったのです。
「そうだ、これだからフェミはダメだ」と肯定するなら、或いは「ワトソンの発言は不当だ、何となればフェミは正しいのだから」と否定するなら、(全体としての整合性は置くとして、その場の)辻褄はあっています。しかし彼らの言い分をそのまま解釈すると「エマも、従来のフェミも両方とも正しい」とのおかしな理屈になってしまいます。いえ、彼ら彼女らはこう指摘されても、それのどこがおかしいのかすら、理解がおぼつかないことでしょう。
 しかし、これはトンデモさんにも見られる傾向です。
 例えば『週刊現代』。『トンデモ大予言の後始末』によれば、当時の編集者さんの中にトンデモさんがいたらしく、98年から99年にかけてやたらとノストラダムス特集を組んでいたのです。が、誌上に登場した「ノストラダムス研究家」は多数に渡りましたが、1999年7の月に何が起こるのかについては、みんな言うことがバラバラ。地震や洪水、火山の噴火、隕石、宇宙人の侵略、ユーゴ紛争の激化、グランドクロスによる異常現象。一体どれがホントの「恐怖の大王」なんだ!?
「真に信ずる研究家」の言だけを掲載すればいい話なのに、何故こんな百花繚乱の様相を呈してしまうのか。誌面にバラエティを持たせるため? ならばお馴染みの肯定派否定派のバトルにすればいい。ノストラダムス自身は信じているが、いずれの解釈が正しいかは決めかねているから? それもおかしい。「ノストラダムスの予言が信じるに足る」と考えるには既に当たった予言があるという前提があるはずであり、その当たった予言を解釈した者だけを信じればいいはずです。
 ならばやはり、編集者は互いに相矛盾する予言をいずれも信じている……ということになってしまいます。
 結局、ノストラダムス研究家が予言を外しても「今度こそ当てよう」と懲りずにまたノストラダムスの本を開くのと同様で、(また、先のアダムスキーの言い訳と同じで)彼らは「何か、とにかくノストラダムスは正しい」という大前提を守ることだけが目的化していて、その内実は実のところ、どうでもいいのでしょう。それは「エマ・ワトソンを称揚するフェミ信者」の心性と「完全に一致」しています。

*5「エマ・ワトソンのHeForShe国連演説と弱者男性論について(CDBさんVS青識亜論 +借金玉さん)


ファクト5
自分が依って立っているはずのものについての知識が皆無

 フェミ信者がフェミニズムに対する知識を全く持っていないことは、前回お伝えした(『F』)山本師匠の発言からもわかります。
 そしてこれがトンデモさんにも共通の特徴であることは、山本師匠が繰り返し述べています。彼は「UFOビリーバーは無知だ、UFO事件として大変有名な○○事件も知らない」といったことをよく書いています。もっとも、何しろ博学な山本師匠のことですから、彼の挙げる「○○事件」については、困ったことにそれなりのUFOマニアのつもりのぼくも知らないことが大半なのですが……。
 ただし、これについてはちょっと違うな、と思う部分もあります。「UFOビリーバー」は、例えばアダムスキーならアダムスキーだけが正しいとして、他のUFO事件は嘘であるとしていることが多い。となると山本師匠の言は宗教学者がキリスト教の(熱心な、しかし末端の)信者に「お前は宗教が好きなくせに仏教のこれこれの説話も知らないのか」と言いがかりをつけているのと同じです。
 ただ、更に言えば「フェミ信者」の多くは例えば素朴なピル神の信者であったり、或いは彼らに影響を与えている左派言論人がフェミ信者であるから、それを鵜呑みにしているだけであったりするのが実情です。だからぼくが山本師匠を「フェミについて知らないのか」と詰るのもまた、宗教学者がキリスト教の(熱心な、しかし末端の)信者に「お前は宗教が好きなくせに仏教のこれこれの説話も知らないのか」と言いがかりをつけているのと同じなのかも知れません。

 ――さて、10のうち、ようやっと五つまでをご紹介しましたが、ここまででそこそこページを消費してしまいました。
 残りの五つはまた来週と言うことで……。

トンデモ本の世界G

2017-11-11 20:27:12 | フェミニズム


 ――さて、続きです。初めての方は前回記事からご覧頂くことを強く推奨します。
 ちなみに本稿では端々に『トンデモ本の世界』シリーズに書かれていた文章のもじりを入れていきたいと思っています。赤文字で書かれた部分はもじり、或いはそのまま転用したものですので*1そういうことで、ヨロシク!(『逆』91p)

*1 引用に付された略号はそれぞれ『世』→『トンデモ本の世界』(文庫版)、『逆』→『トンデモ本の逆襲』(文庫版)、『W』→『トンデモ本の世界W』、『Q』→『トンデモ本の世界Q』(『トンデモ本1999』文庫版)、『99』→『トンデモ超常現象99の真相』、『大』→『トンデモ本の大世界』。

フェミニズムもまなざし村もチンプンカンプン(『世』312p)

 山本弘師匠の発言が徹底的にまずいのは、その無知と、無知を省みない無恥です。
 そしてこのこの特徴は、トンデモさんの根幹を成すものといっていい。
「トンデモ本」というと、反相対論もまた、一つの大きなジャンルです。
 この世の中には「相対性理論など間違いだ」と主張するトンデモ本が、UMAに――いえ、馬に食わせるほど存在します。しかしそんな本の著者は揃って物理に対する知識がなく、勉強すらもしようとはしません。
 山本師匠はそんな一人、コンノケンイチ氏を笑い飛ばします。

 第一に、コンノ氏は宇宙が膨張しているという説を否定する――正確に言うなら、膨張していることが理解できない。
(『世』312p)

 第二に、コンノ氏はブラックホールの存在を否定する――というより、ブラックホールの概念が根本的に理解できない。
(『世』313p)


 呆れたことにコンノ氏は自著の中で、相対論そのものがチンプンカンプンであるとカムアウトしており、師匠もそれにツッコんでいます。

「わからぬものを批判できるわけもないし、資格もない」とわかってるなら、こんな本なんか書かなきゃいいと思うのだが……。
(『世』315p)

 コンノ氏の哲学を要約するなら、「私に理解できないものは間違いだ」ということであろう。理解できないのは自分の勉強不足のせいだとは思いもしないのだ。
(『世』317p)


 当時、コンノ氏のトンチンカンさに対する山本師匠の鋭いツッコミに、ぼくは抱腹絶倒したものですが……残念なことですがその言葉は、全て今の師匠にブーメランとして帰ってきてしまっているのです。
「トンデモさんは、自分に当てはまる言葉で相手を批判する」という法則があるが、山本師匠は自分の主張がまさに自身の発言に当てはまっていることに気づいていない。(『W』35p)
 明らかにアカデミズム側のプロのフェミニストである牟田和恵師匠に、よりにもよって「まなざし村」という辺境で捏造された(何ら意味を持たない)用語を振りかざして釈迦に説法の振る舞いに出る師匠、コンノ氏とどう違うのかが、ぼくにはさっぱりわかりません。
 山本師匠に限らず、多くのフェミニストの信者は、まともな資料調査などやらない。引用するのはもっぱら他の信者によるウィキのページであり、その内容を疑おうとしない。(『逆』339p)

「トンデモ本」というと、ノストラダムス関係もまた、一つの大きなジャンルです。
 が、ここでも「ノストラダムス信者はノストラダムスの言など聞いていない」という現象が見られます。
 ノストラダムスの予言書というのは謎めいた詩で書かれており、どうにでも解釈できるモノ。人類滅亡を預言したとされる詩は


1999年、7の月
空から恐怖の大王が降りてくる
アンゴルモアの大王を蘇らせるために
その前後、マルスは幸福の名の元に支配するだろう



 というものでしたが、「恐怖の大王」と「アンゴルモアの大王」と「マルス」の関係性がはっきりしないし、「その前後」ということは1999年7月の「後」があるとも取れるし、「幸福の名の元に」ということは「マルス」はイイモノではないかとの解釈も成り立つ。どうとでも取れる暗示めいた詩から、「ノストラダムス研究家」を自称するトンデモさんたちが(多くは古フランス語など読めもしないのに)勝手な願望に基づき、「予言」を読み取っているだけのことであり、山本師匠は『トンデモノストラダムス本の世界』のあとがきにおいて「ロールシャッハテストのようなもの」と形容しています。
 日本では1973年、五島勉氏による『ノストラダムスの大予言』という本がベストセラーになり、上の詩は1999年の人類滅亡を予言していると騒がれました。しかし五島氏からして予言書のタイトルを『諸世紀』と訳していますが、これ自体がフランス語を知らないための誤訳で、『百詩編』とでも訳すのが正しい、と言われています。多くの「研究家」はそんな五島氏の本をこそオリジナルであるかのように扱って研究していた……それがノストラダムス騒動の実態でした。
 そう、それはフェミニストの著作など読みもせず、ネット情報だけを元に、彼女らに自らに都合のいい幻影を見て取っていた山本師匠たちフェミ信者と「完全に一致」しているのです。
 味方の言い分すらも聞かないのですから、敵対者の言など全く聞かず、自分の願望ばかりを垂れ流すことは言うまでもありません。ぼくの著作を批判する者たちも、基本、それを読んでなどいません。有村悠師匠など、そう指摘されて「読む必要などないのだ!」と居直ってましたし、山本師匠もぼくと話そうという意志が全くありませんでしたしね。外の情報をシャットアウトし、自分たちの村に引きこもることでしか自分たちの世界観を守りようがないのは、反相対論者もオウム真理教もフェミニスト信者も同じなわけです。
 心地よい嘘に酔っているリベラルは、真実になど耳を傾けないものだ。そうでなけりゃ、フェミニストが今でも平然とリベラルに支持され続けられるわけがない。(『Q』410p)


 いや、とは言え、山本師匠は純粋に知識がなかっただけではないのか。本当にたまたま、生まれて初めて出会ったフェミニストが牟田師匠であったがため、そのような反応をしたのではないか。師匠もフェミニストたちの姿を知ることで正義に目覚め、フェミデバンカーになってくれるのではないか(デバンカーとは「引っぺがす者」。オカルトのインチキを暴く者のことです)。
 それはどうでしょうか。
「トンデモ本」というと、UFO関係もまた、一つの大きなジャンルです。
 何しろアメリカでは、何百万という人間がUFOにアブダクション(誘拐)されているというのですから! 精神科医がカウンセリング中、患者から宇宙人に誘拐された経験談を聞き出す……といったことが、かなり普遍的に起こっているようです。かの有名なUFOアブダクション事件、ヒル夫妻事件もまた、そうでしたね。
 ……もちろん、その記憶が正しいという保証はありませんが。
『トンデモ本の世界T』ではロフタスの『抑圧された記憶の神話』という書籍が紹介されています。ロフタスは被験者に「あなたは子供の頃、迷子になったことがあるのだ」と教えるという実験をしました。結果、被験者たちはそんな経験がないにもかかわらず、極めて容易に「偽の記憶」を思い出したと言います。同様に、例えばですがUFO信者の精神科医が患者をカウンセリングしていて、「ひょっとして宇宙人に誘拐されたのでは」などとちょっと誘導しただけで、患者は容易にそうした記憶を思い出すということが考えられる……いや、「宇宙人によるアブダクションは実際に起きている!」と主張する精神科医にとあるフリーライターが患者を装ってカウンセリングを受けてみたら、露骨な誘導がなされた、という話も実際にあるのです。
 さて……ぼくの著作を読んでくださった方にはもうおわかりでしょう。
 この「アブダクション」と「性的虐待」を、「UFO信者」を「フェミニスト」に入れ替えたらどうなるか?
 そう、カウンセラーが患者に「父親に性的虐待を受けたろう」と誘導する……一時期のアメリカではそうした「記憶回復運動」が大ブームを巻き起こしていました。これにより破壊された家庭は何万にも及ぶとも言われ、フェミニストによる人類史上最大の「女災」こそがこの「偽記憶症候群を利用した性的虐待冤罪」なのです。ロフタスの書は、「迷子の実験」などから「記憶回復運動」に問題があると告発したものでした。
 しかし師匠の文章には、そうした災害を引き起こした主体がフェミニストであったことについては、全く記述がありません。同書にはロフタスがフェミニストたちからの攻撃を受けたことが繰り返し書かれていますし、この運動に関わる者のバイブルとも呼ばれる『生きる勇気と癒す力』は、フェミニストたちが圧倒的な支持を表明しているのですが。
 また、これはと学会の本ではありませんが『検証 大震災の予言・陰謀論』において、山本師匠は阪神大震災において被災地でのレイプが多発したとのデマについて「震災後にレイプが多発した?」という項を設けて述べています。が、フェミニストたちがこのデマを垂れ流し、告発した者に卑劣な攻撃を加え続けたこと*2については華麗にスルーしています(これは荻上チキ師匠の著作にも同じことが言えます)。
 もう疑いはない。山本師匠はフェミニストたちの振る舞いを最初から知っていた。(『99』196p)そして彼女らの反社会性、非論理性、そして男性、いや人間社会への夥しい憎悪を故意に隠し、知らぬフリをしているのです。
 師匠は『トンデモ本の大世界』で以下のようにおっしゃっています。

 なお、イデオロギー論争や歴史論争に踏み込む気はまったくない。僕はどんなイデオロギーも歴史観も信奉しない。僕が信奉するのは「事実」と「論理」である。この二つを踏みにじる者は許せない。
(29ページ)


 しかしここまで見て来ればもう明らかでしょう。師匠はこの世でもっとも「事実」と「論理」を踏みにじり続ける、危険なカルトの重篤な信奉者なのです。
 彼ら「フェミニスト信者」の心理の根源にあるのは、一つには単純な騎士道精神でしょう。しかしそれだけではないように思います。
 前回書いたようにトンデモさんの深層には現世への深い憎悪が潜んでいる。同様にフェミニスト信者の深層にも、ことに「一般的な男性」への深い憎悪が潜んでいるのです。
 いつも言うように、そればかりか本稿を読んだだけでも自明であるように、不当に女性を持ち上げることは同時に、男性を貶めることでもある。
 と学会に対しては、「物事に真摯に取り組んでいる(或いは、場合によっては哀れな)者をいじめるな」といったスタンスで批判してくる人もいます。『トンデモ本の逆襲』にはそうした擁護者に対する師匠の反論も載っています。

 三上氏(引用者註・トンデモさん)の誤りを指摘することが三上氏に対する侮辱になるというのなら、「(引用者註・三上氏が)現代の天文学はすべて間違っている」と主張することは、まじめに研究している世界中の天文学者に対する侮辱になるということもお忘れなく。
(372-373p)


 全くおっしゃる通りです。
 フェミニスト信者には知識だけではなく、モラルが欠如している。彼らは自分のやっていることが邪悪な行為であることを理解できないのだ。(『大』35p)

*2『物語の海、揺れる島』
「エンタのフェミ様!」
 この事例もまた、フェミニズムが何よりもファクトを蔑ろにする思想であるとことを示す一つの例に過ぎません。


いつか実現してほしい本物の戦闘美少女(『世』300p)

 まだ、書かねばならないことはいくつもあるのですが、師匠の病的なフェミ崇拝について、まさに『トンデモ本の世界』に書かれた名文が分析しきっていると思いますので、今回はそれをご紹介して終わりましょう。植木不等式氏による「イルカに乗ったトンデモ」です。実は、前から読み直そうと思いつつなかなか機会が取れなかったのが、今回久々に再読が適いました。
 植木氏は“イルカ研究者”エステル・マイヤーズの雑誌インタビューを引用し、ニューエイジャーたちに蔓延していたイルカ・オカルティズムの特徴を指摘します。

 ひとつめは、イルカやクジラと直接的・非言語的な交流(テレパシーとかチャネリングとか)による深いレベルの精神的交流が可能であるという主張。ふたつめは、彼らが人間にまさる知性と徳性を持っており、そんな彼らとの精神的交流を通じて人間は自らの救いとなるいろいろなメッセージやパワーを受け取れるのだという主張である。
(396p)


 更には以下のような秀逸な指摘も。

 さて、ひょっとしてイルカへの期待というのは、一種のカーゴ信仰の変形としてのUFO話の、さらなる後継者なのではないだろうか。
(404p)


 期せずしてまた、「カーゴ信仰」という言葉が飛び出しました。『水からの伝言』も『人が否定されないルール』もそうですが、これらは言葉をしゃべらない相手を神様に仕立て上げることで、受け取る側が身勝手なメッセージを受け取れるというカラクリがあるわけですね。それは丁度、「どうとでも解釈できるので、自分好みの予言を導き出せる」ノストラダムスの予言詩と全く、同じです。
 この項は、イルカをいじりすぎて怒ったイルカに殺されたイルカ信者の例を引き、「人間に身勝手にヒーリンググッズにされ、イルカは怒っているのだ」との警告を発して終わります。
 山本師匠の、フェミ信者のフェミニストへの感情はまさにイルカ信者のそれです。
 いや、しかし女性は「言葉をしゃべる」点が異なるぞ、との疑問も湧くかも知れません。ましてや、ぼくたちにはピンと来ないですが、かつては「女性はおしゃべり」とよく言われたものですし。
 ですが考えると矛盾はないのです。
 上にも書いたように、彼らフェミ信者はフェミニストの言など聞いていないのですから。
 今の若い人には理解しにくいことだと思うのですが、80年代のオタクは「戦闘美少女」というものに萌えていました。男性性が否定されつつあった時代に男の子として生まれたオタク男子は自らの男性性を「剣を手に、怪物やロボットと戦う美少女」へと仮託していました。彼女らは実質的には「女の子の姿をした男の子」でした。
 翻ってオタク男子とホンモノの女の子たちの間には、大きなディスコミュニケーションが横たわっていました。当たり前ですが、男と女というのは全く違った生物であり、頭でっかちの男の子というのは女の子との接し方がわからない。どう扱っていいかわからない。「ぼくの趣味の話を興味を持って聞いてくれる女の子を友だちにしたい」との気持ちは、ことに理屈屋である山本師匠には強かったことでしょう。彼のお友だちが引き起こした「ガンダム事変」*3が、そうした元・男の子たちの汚らしいルサンチマンが生んだ喜劇であったことは、論を待ちません。
 そんな願望が、「我こそは男性ジェンダーを獲得した者なり」との自己申告をするフェミニストたちへの妄信へと、彼らをして走らせてしまったのです。彼女らを、「ボクの愛する戦闘美少女」であると誤認してしまったのです*4。皮肉なことにフェミニストこそ、あらゆる女性の中でも一番女性性に居直り、その女性性すらも未成熟なままでいる存在なのですが。
 山本師匠(に限らず、フェミ信者)は理屈屋であると述べました。それ故、彼らの言語OSに「女性語」を解する機能は搭載されていません。つまり彼らはフェミの言動に立ち現れる(非)論理性はもちろん、情緒性を一切理解せず、理解できないからこそ、彼女らを崇拝している。フェミ信者の狂信性を見るに、そのようにしか思えないのです。
 そして一方、彼らの狂信性はまた、「フェミニストの女性性の内面化」であるようにも見えます。冷静で知的な人間だとの自己イメージを持っているであろう彼らが、ことフェミニストについては驚くほど非理性的非論理的になる。それは丁度「恋は盲目」とのことわざを連想してしまうほどに。今回の師匠の言動はその好例です。
 彼らは意識的には「知的論理的女性」を求めながら、無意識裡には自らが「非理性的非論理的男性」であることを解放する口実を求めているようにしか思えない。そして、彼らはフェミニストという恋人を得ることで、ようやく「男性性と女性性とを共に持った人間」として完成した。問題はその両方が、極めて幼いことですが……。
「男性は理を、女性は情緒を司り、その両者が一つになることでようやく完全な存在になるのだ」。そうした旧来のジェンダー観に、山本師匠たちフェミ信者は乗っかっている。理屈屋であり男性原理を過度に重んじるからこそ、フェミニストを男性原理の主、「実在する戦闘美少女」であるとのあり得ない幻想に耽り、一方、自覚しないままに自らの情念をフェミニストたちへと仮託している。
 そして――彼らの業界ではそうしたフェミニストたちの寵愛を受けるために、「事実」と「論理」を生け贄に捧げることが、常態化してしまっている。
 そんな風に、ぼくには思われます。
 ずいぶんキツイことを書いてきてしまったが、考えようによっては、山本師匠はとても幸福な人かもしれない。何しろ、アニメの世界から出て来たような彼のことをわかってくれるフェミニストたちからメッセージをもらいながら、ロリコン、巨大美少女、美少女科学者といった、人類の永遠の夢を小説に描き続けているのだ。たとえそれらのフェミニストが実在でなくても、それはそれで、充実した生涯と言えるかもしれない。
 それに、本音を言えば、僕も萌えオタの一人として、戦闘美少女はどうにか実在してほしい、という淡い期待がある。フェミニストでなくても、世界のどこかにいる戦闘美少女が、いつか発見されるのではないか――僕はひそかにそれを期待しているのである。
(『世』300p)


*3「『ガンダム』ファンの女子は少ない気がすると言っただけで政治的論争に組み込まれちゃった件」
「「1stガンダムに女性ファンは少なかったと主張する兵頭新児氏とそれに対する反応」というデマまとめについて」
*4 この世代のオタクの「戦闘美少女」――というか、女性性への信仰心については、『スーパーロボット大戦V』を参照。
 しかし、それにしても、「オタキング」たる岡田斗司夫氏は「俺たちが求めるのは見た目が女、中身が男の女だが、俺たちの周りにいるのは見た目が男、中身が女の女ばかりだ」と言っていたことがあります。そういう一種の諦念を持っている彼こそがモテていることが、全ての答えであると言えますね。


トンデモ本の世界F

2017-11-03 01:27:30 | フェミニズム


 どうも、ブログの更新が滞っております。
 ここしばらく多忙であったせいもあるのですが、正直、気の乗らないテーマで筆が鈍っていた、という側面もあります。しかしいつまでも放置しているわけにも行きません。
 というわけで今回のテーマはこれです。

 平成トンデモ人物列伝

 と学会の元会長は論理を解さない

 山本弘(心はいつも十五歳)
 トンデモ度―★★★★★
 危険度―――★★★★★
 独創度―――
 有名度―――★★★★★


 基本的に、ぼくは「と学会」の著作のファンでした。
 懐疑主義的にオカルトを楽しむという方法論を広く世に知らしめたのは間違いなく本会ですし、その功績は決して小さくない(近年のテレビのオカルトの採り挙げ方って、完全にそうですもんね)。
 もう一つ、SF大会での催しを発祥とする本会は、ずっと「オタクの一団」という性格を持ち、またそれを対外的にアピールしてきた。オウム真理教を「悪のオタク」と形容していいかはわかりませんが、下手をすればそう解釈され、世間でオタクバッシングが始まりかねない時期に、カウンターとしての「正義のオタク」の役割を果たすことで、本会は世間に認知された、と言えましょう。90年代、彼らはオタクが市民権を得るために、大いに貢献してくれたのです。
 それ以上にぼく自身、本会にそれなりに大きな影響を受けています。本ブログの主旨自体が「トンデモ本にツッコミを入れる」ものであると言えなくもないですし、文体もまた、今にして思えば影響を受けていると感じます。
 その意味で、ぼくも本会に対する批判は余りしたくはないのですが……とは言え、最近、目に余る行動を取る人も多い。クララ・キィン師匠や原田実師匠のトンデモさんぶりは今までも指摘してきましたが*1、本稿では本会の総大将、長らく会長を務めてきた山本弘師匠を俎上に上げねばなりません。
 山本さん、『トンデモ本の世界』の頃はけっこう好きだったんだけどな……原田実と同じく、遠いところに行ってしまったような気がする。ぐすん。(『世』220p)
 え~と、ちなみに本稿では端々に『トンデモ本の世界』シリーズに書かれていた文章のもじりを入れていきたいと思っています。赤文字で書かれた部分はもじり、或いはそのまま転用したものですので*2そういうことで、ヨロシク!(『逆』91p)

*1 原田実師匠は「ガンダム事変(*9参照)」の時に加野瀬未友の方に分があるとの旨の発言をしたことがあります。たまりかねてメールで事情をご説明したのですが、お返事はいただけませんでした。
また、彼は『正論』で執筆していたのですが「フェミニズムを批判する」との編集部の意向に反発し、執筆を降りたと述懐していたこともあり、フェミニズムに対して妄信を抱いているようです。
それ故(と言うべきか、にもかかわらず、と言うべきか)彼はピル神の重篤な信者であり、彼女の「碧志摩メグバッシングの元凶はフェミニストではなく武田邦彦氏だ」とのデマを真に受けていたこともあります。これらを見る限り、彼は文献を読解する能力が根本的に欠落しているとしか判断のしようがないのですが、そんな人が偽史の研究なんてやって、大丈夫なんでしょうか……。
クララ・キイン師匠については、伊藤文学が小学生の子供とのセックスを推奨していることを指摘したところ、「彼に近い人と知りあいなので確認を取ってみる」との返答をいただいたことがあります。が、とんと返事がなく、どうしたのだろうとツイッターアカウントを確認してみると、見事にブロックされておりましたw
「都合の悪いファクトはシャットアウトする」。それがと学会の本質のようです。
*2 引用に付された略号はそれぞれ『世』→『トンデモ本の世界』(文庫版)、『逆』→『トンデモ本の逆襲』(文庫版)、『R』→『トンデモ本の世界R』、『と学会年間ORANGE』→『年』。


・フェミニズムは全ての人に優しい世界を作る運動


 山本弘師匠については、今までも思うところはありました。
 科学についての発言は恐らく信頼できるだろうし、本人もいわゆる悪人ではなく、善人だろう。ただしその正義感は、それこそ15歳レベルの生硬で薄っぺらなもの、ある意味では年配の人間が「オタク」と聞いてイメージする、「人間的な厚みのない頭でっかちな学級委員長」そのままの人だなあ……といった辺りが、ぼくの彼についてのイメージでした。それは「と学会」の本を読んでいても時々顔を出すものではありますが、本稿ではそこまでツッコミを入れている余裕がありません。先を急ぎましょう。
 ここしばらく、多分この一年くらい、山本師匠は幾度かtwitterやtogetterでぼくに絡んできました。申し訳ないけれども大変幼稚なものばかりで、こちらも反論したのだけれども、この人、言いっ放しで対話はしないのですな。
 その集大成とも言えるのが、ぼくがまとめた「出産で死ぬ確率は二万人に一人」でのことです。詳細は読んでいただきたいのですが、どじんさんが「出産で死ぬ確率は二万人に一人」という数字を出し、「大変であることは認めるが、命懸けというほどのものではない」との指摘をしたところ、女性陣からの情緒的なバッシングに遭ってしまった、というもの。ぼくがそれをまとめ、私見を述べたところ、山本師匠が攻撃を加えてきたのです。
「と学会元会長」の英雄的な山本弘像を知る者であるならば、例えば「二万人に一人」といった数字に対してデータを示して冷静な反論を加える姿を夢想したくなります。が、大変残念なことに師匠はひたすらヒステリックにこちらを罵り、情緒的に女性側に寄り添い、また、自分が妻の出産に立ち会った体験を絶対視し、振り回すばかりでした。いえ、数字も出してきたには出してきたのですが、それが「百年前は命懸けでした」という文脈上、何ら意味を持たないもの。そしてまた、相手の上げる数字に対しては「数字しか見ないとは許せぬ」という、支離滅裂なことを言い出す始末。
 他にも、山本師匠の「反論」のほとんどは、文脈的に間違っているか、道義的に間違っているか、論理的におかしいかのどれかである。仮にも懐疑主義者が、こんなお粗末な発想と貧弱な論理でコメントができるというのは、驚くべきことである。(『R』171p)
 ぼくも「二万人に一人」といった数字そのものは過度に一人歩きさせるべきではないが、一つの参考とすべき云々と、それなりに抑制をした書き方をしたつもりですが、残念なことに師匠はフルスロットルで、完全にリミッターが解除されてしまっていました。これを読む限り、師匠は論理的思考をする能力が一切なく、自らの感情に振り回され愚かな言動を軽率に繰り返す人、以上の評価のしようがありません。
 そして更に、しばらく前の山本師匠のツイートに、ぼくは本当に呆れ返ってしまいました。

すごいなあ。「ジェンダー研究者」を名乗る人が、ツイッターでだいぶ前から話題になってる「まなざし村」界隈のことを何も知らないらしいよ。
山本弘 (@hirorin0015)2017年7月15日


 驚くなかれ、この発言は牟田和恵師匠に対してのモノです。
 何というか……もう、いくら何でも、こりゃアカンやろとしか、言いようがありません。
 逆転の発想、と言うべきだろうか。山本師匠にとっては、脳内のフェミニズムこそが絶対の真実であり、脳内フェミと現実のフェミニストの発言が合わない場合、事実のほうが修正されてしまうのだ。(『世』266p)
 これに対して猛然と戦いを挑んだのが、誉れ高いチンポ騎士の面々です。

 フェミニズムの専門家に対して、仲間内の造語を振り回して無知を嘲るのか。度胸あるなぁ。さすが「心はいつも15歳」の人だ。
デビルトラックさん (@deviltruck2010)2017年7月15日

「まなざし村」なんてツイッターのごく小さな界隈で使われる侮蔑的なスラングに過ぎないんだけど、それを一般的な知識として「ジェンダー研究者を名乗る人がまなざし村も知らないのかw」みたいなマウンティングを始めてしまう山本弘さんを見て、SNSのやり過ぎによる視野狭窄の恐ろしさを改めて知る
シュナムル‏ @chounamoul 7月16日

これは前にも書いたけど、仮にも一つの学問領域について入門書すら読まずに「天文学ってのは要するに宇宙人を見つける学問ですね」「原子力工学って原爆作るためのものでしょ?」などと言ったら失笑では済まない侮辱だと思うんだが、フェミニズムに関してだけはそういう無礼がまかり通るんだよなあ。
瀬川深@チューバはうたう・ゲノムの国の恋 (@segawashin) 2017年7月17日



 チンポ騎士たちの言は誠にご明察という他なく、他に補足することはありません(山本師匠、シュナムル師匠に反論しているのですが、それがまたシッチャカメッチャカなもので仰天しました)。
 いや、しかし、それにしても、敢えていうならば、これで「まなざし村」という言葉が、「フェミニスト/ズム」を延命させるためだけにこの世に存在するものであるということがまたも、証明されたのではないでしょうか。
 それともう一つ。この騒動で自分に乱暴な言葉を投げつける人がいたのに対し、師匠は以下のように返しています。

僕はフェミニズムというものを、この世界がすべての人にとって優しい世界になることを目指すための運動のひとつと理解してるんだけど、でも、こういうことを平気で言う人がいるんだね……。
山本弘 (@hirorin0015)2017年7月17日


 これって、完全にトンデモさんの言ですよね。本当、ヤバいカルトの勧誘そのままです。仮にですが、と学会の例会で師匠の言を紹介したら、会員からは以下のような声が漏れ聞こえてきそうです。

「あーあ」
「もう、帰ってこない」
「もう帰れない」
(『年』167p)

 異常なまでの自己イメージの高さはフェミニストたちの特徴であり、それへの妄賛ぶり(妄賛という言葉は今、ぼくが考えました)はフェミ信者の特徴ですが、同時にこれはオカルト系の人たちの特徴でもあります。
 それは例えば、「トンデモ本」の一大ジャンルである「終末本」を見ていくと明確になります。「人類は滅亡する!」系の本を読んでいると、カタストロフの後には往々にして、(生き残った自分たちによる)素晴らしい新文明が築かれるとされるのですが、こうした本に通底音として流れているのは現世に対する深い憎悪、それとは裏腹な「愛の使者」としての自己イメージです。
『トンデモ本の世界R』は丁度、2000年問題が騒がれ、それに絡めて人類滅亡の危機を謳う「終末本」が数多く出ていた頃に出版された本です。ここで師匠は紫藤甲子男『2000年5月全世界は壊滅する!!』を採り挙げ、舌鋒鋭く批判します。

 何とも恐ろしい予言だが、紫藤氏の文章にはそれを恐れている様子はない。それどころか、苦しみながら死んでゆく何億という人々に対する憐れみなど、みじんも感じられない。なぜなら、現在の世界が滅び、神の国が到来するのは、紫藤氏にとって喜ばしいことだからだ。
 紫藤氏によれば、世界が滅びた後、神の国に入れるのは、闘争心や競争心を捨てた「高度に洗練された感情の持ち主」だけだという。当然、自分もその一人だと思っているのだろう。
(117p)


 これはトンデモ本には共通の特徴です。何しろこれの前項で紹介されている『2000年問題 日本壊滅』もそっくり同じ(カタストロフの発生、その後の愛と調和と平等に満ちた理想郷の到来)構造を持っているのですから*3
 そしてこれら「徹底した社会への憎悪と、そんな自分の感情に全く無自覚な愛の戦士としての自己イメージ」は言うまでもなく、フェミニストやその信者の特徴でもあります*4
「ジェンダー」という人類の根本をなす原理がリセットされ、今までそれに依拠していた者たちは滅びる。しかしそれのためにワリを食っていた人々が報われる社会が到来する。フェミニズムはそうしたカーゴ信仰だったのです。
 90年代初頭にフェミニストが「セクハラ」という概念を導入した頃のことについて、幾度か述べました。その時には意外や意外、オッサン向けの週刊誌などではフェミニストの主張へのかなり盛んな反論がなされていたのです*5。一般的なマスコミがフェミニストの言いなりになったのはこれのもうちょっと後、彼女らが「ジェンダー」とか言い出した頃からでした。「ジェンダーフリー」という空想的観念的非現実的な革命思想が、彼らはいたくお気に召したようで、それにベットしてしまったのです*6。それは丁度、紫藤氏の著作を真に受け、カタストロフが来るのを待ち構えるのと何ら変わりはありません。
 近日もぼくは「ホモ擁護者はオタク差別者である傾向が強い」という指摘をしましたが*7、要は「我こそは人権主義者なり」との声高な主張には結局、「本人に自覚されないおぞましいヘイト」が隠れていることが大変に多い、ということなのです。
 ――というわけで、まだ予定の半分も消化していないのですが、既に結構な文字数を使ってしまいました。
 続きはまた、来週に取っておくことにしましょう。

*3 こうした現世への深いルサンチマンから、彼らはこの社会から手痛い目に遭ってきた人々であると想像できます。そこを見ず生硬な道徳観で悪だと断じる山本師匠に、ぼくは当時からいささかの不快感を感じてきました。
 が、フェミニストというのはこうした人たちよりも、もっと卑劣で悪逆無道であると断ずることができます。何となれば彼女らにも現世へのルサンチマンがあることは変わらないものの、同時に彼女らは女性ジェンダーの旨味の上にどっかりと胡座を掻き、それを棄てる気は(理解に苦しみますが、ジェンダーフリー社会が到来した後も当然のごとく)さらさらないとしか思えない、身勝手極まりない人たちであるからです。
*4 本当に一例ですが、同じエッセイで殺された女性に同情してみせると共に、息子を去勢したいなどと書いてみせる石坂啓師匠などはその代表ですね。
*5「『ポルノウォッチング』ウォッチング」など。
*6 むろん、この頃ソ連がなくなった、ということも一つの原因として考えられましょう。事実、UFO信者というのも共産主義崩れが多いそうです。
 しかし、「ジェンダー」という何とはなしに学術的な響き、そしてLGBTという弱者を矢面に立たせる戦略が当たったことが一番大きいのではないか、というのがぼくの感想です。この時期に「男性学」と称するフェミ奴隷のススメが流行ったことも、同じ理由によるモノだったのではないでしょうか。
*7「ドラがたり とよ史とチンの騎士」