天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

2019-10-11 17:42:32 | 日記
 台風19号は猛烈予想で、死刑宣告を受けて執行を待つ身みたいやな。教誨師の説教も、「狩野川」が出てきたり、専門でない者には伊勢湾とどちらが大きいのか、余程の通でないと分からない衒学的なレベルに発達してきた。こういう時は、『日本の梟』(真木広造撮影・監修、メイツ出版)という写真集を見て、和みながら気を静めるのが一番やな。
 フクロウ・ミミズクは、常は喰いたい、飲みたい、やりたい程度の衝動しか持たない人間にも、哲学する刹那を与える沈降したインパクトを持っている。あの訴えるとも、考えるとも、眠っているとも判別できない目を見ると、現世から異次元に連れて行かれる。江戸時代の義賊強盗が悪徳商人の金蔵に入る前に着ける頬被りのような縁取りの顔は、運動会シーズンの昨今見受けられる女子中高生のブルマ姿より魅力的である。フクロウが小首を傾げるキュートな表情は、品を作る女優が大根に見えるほど可愛い。いつも冬の炬燵の猫のように居眠っているかと思うと、バーッと羽を広げて飛翔する鮮やかさは、鷲、鷹にも劣らない。あらゆるシーン、カットが恍惚で、時間が流れていく。
 そういえばこの前、東京・上野動物園に行った時も、フクロウ園前にくぎ付けとなった。こっちにも止まり木が欲しいくらいであった。
 京都・嵯峨大覚寺の樟の大木に営巣しているミミズクを15年ほど前に発見した時には手が震えた。数年後にはもう居なくなっていた。よう考えると、大覚寺には名古曽の滝があって、藤原公任に「滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の名歌(百人一首)があったなあ。物は消えても記憶が永遠に残ることはある。
 次回のお茶教室が師匠の急用のため取りやめになったと連絡が入った。せっかく美人筆頭弟子とお会いできるのを楽しみにしていたのに、遺憾なことである。老輩に残された数少ない、唯一の楽しみを奪わないでほしい。わざわざ遠路、陶器市に行って師匠に花瓶、その弟子にだけこっそり茶碗を買って渡そうとしていたのに、気勢が殺がれた。10月は旧称、神無月。神も仏もない話や。
 それにしても東京・小金井公園の大茶会は幸運にもそのお弟子さんと二人きりで行けて、ええ冥途の土産になった。何度、反芻しても頬が緩むわ。連絡確認の返事に一首を添えた。

小金井の 茶の味ありあり 思ひ出づ
釜湯ただよひ 浮かぶおもかげ