天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

AI

2019-11-24 12:28:15 | 日記
 秋の日が暮れるのは釣瓶落としにガクンと早くなるので夜道が怖い。かつてマンション管理員をやっていたとき、共用エリアの照明の点灯・消灯時刻を季節ごとに切り替える仕事があった。毎日か毎週のルーティーンなら、煩わしくても忘れる事はないけれど、季節をざっくり春夏秋冬に採ると、タイミングも操作も間違え勝ちになる。実務的には変更間隔をもっと狭めるよう気にはしていた。しかし、日々の就業態度がのんべんだらりと締まりがなかったため、実際にはズレることが多かった。つい、住人の指摘を受けてからという事もしばしばだった。お叱りを受けて慌てて取り掛かろうにも、操作盤がどこだったか思い出せない。椅子や置物の陰に隠れたパネル扉を開いて、操作ダイヤルを見付けても、設定に手こずった。時計回りか反対回りにして点灯時刻を早めたり調節し、別のダイヤルで消灯時刻を変える。しかし、目盛りが30分置きにカチッカチッと設定できる親切な仕組みでなく、スルスルと回る式のものだったので時刻合わせは勘が勝負となる。今頃の季節だと午後4時半くらいに暗くなるので、5時退勤前に目視で確認できるけれど、夏の7時くらいに設定すると、いつ点き始めるのやら知ったことではない。点灯を早めに、朝の消灯を遅めにしておけば良いようなものだけれど、必ず時間に潔癖な住人が4、5人は居る。早く点き過ぎるのは電気代の無駄だと文句を言ってくる。細かい事が苦手な人間には務まりにくい。
 そう云う細かい事に日本文学の両巨頭もしのぎを削っていたことを、日曜早朝のNHKラジオ古典講読「『方丈記』と鴨長明の人生」(講師・浅見和彦成蹊大学名誉教授)で教えてもらった。鴨長明が、「百人一首」「明月記」の藤原定家をライバル視していたとは。堀田善衛の「定家明月記私抄」と「方丈記私記」にそんな事が書いてあったかもしれないけれど、気に留まっていなかった。後鳥羽上皇が共通項なのに、片一方は平家物語、もう一方は源氏(物語)の人というイメージが強く、重なり合わなかった。
 今朝は「榎の葉井(えのはい)」(エノキの葉っぱで覆われた名水井戸)のお話であった。和歌が必須の社交道具であったこの時代の有閑層は、各地の歌枕を求めてよく旅をしたとか。奈良県明日香村の豊浦寺の傍にある「榎の葉井」もそれで、ある時歌の会合で鴨長明が「古寺の月」のお題で、
古りにける 豊浦の寺の 榎の葉井に
なほ白玉を 残す月影
 と詠んだ。これを歌の名人の藤原俊成が絶賛した、と自著「無名抄」で自慢。さらには俊成の子で、大伴家持と並ぶ和歌のマエストロの藤原定家に先んじて「榎の葉井」を歌に詠み込んだことを大手柄だとして鼻を高くしている。拘る人間が多いのは困った事である。
 事件の発生や国際関係のこじれなどは、大概が詰まらぬ拘りからである。公私が分別できないと、公正、正義を求めているつもりで、実際は偏執者になっている自覚がないのだろう。しかし、偏執を断つと趣味が成り立たなくなる。他人に迷惑の掛からない偏執であってほしい。
 若い頃、広島に勤務していた時、雑居ビルの流し場で、出勤時と業務に出掛けるまでの半時間以上、手を洗っている男性を見かけることがあった。迷惑とまで言えなくても気味は良くなかった。社会常識と一概に言っても人それぞれ千差万別なのだろう。
 常識が普遍的な常識でないのも不便だけれど、法律となると強制力が伴うからもっと困る。法だって厳正な振りをしていても裏を読んだり、抜け道があったり、金で曲がったり、人によって適用は千差万別。社会生活において常識が際立って特異な法律従事者が、基本的な六法とその判例集すら丸暗記できないのに、知ったかぶって運用するのは極めて不遜で噴飯者である。教育、将棋、医療、映画を始め、あらゆる分野、場面にAI手法が行き渡っているのだから、訴訟、裁判に公正、迅速を担保、保証するためには、可及的速やかに司法にAIを導入するのが喫緊の課題である。法衣を着けたあの虚仮威しを見ると、誰も信用していないだろう。

井の中に 居りて月影 見ゆるかや
大海原は エイに任せよ