天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

萬歳

2019-10-22 16:00:07 | 日記
 令和天皇の即位礼正殿の儀の祝日は午前中出勤で列席に間に合わず、自宅のテレビで式典を拝見した。恙なく、滞りなく済んでめでたい。仕事中は雨やったのに、宮中は青空が見えるとアナウンサーが言ってたから、やっぱり天も言祝いでいやはったんやろ。虹が懸かったとか、吉兆に違いない。少し雅子皇后陛下のお顔がお疲れ気味やったのが気に懸かったけれど、小賢しい知恵の女官や役人がここが出番とぎゃーぎゃー煩く口出し、手出ししたため、閉口したはったんに違いない、気の毒に。それに引き換え、小遣い稼ぎの下司記事でマスコミにあれこれ書かれる皇嗣家の紀子妃殿下は健やかなご表情がテレビに写り、安心した。
 宮中に呼ばれていないので仕方なく、スーパーでロイヤルリミテッドの特別醸造ビールを買って帰り、家でフィレステーキとアスパラガス炒め、ニンニクのから揚げで祝杯を挙げた。神棚に向かって、天皇陛下万歳を三唱した。これで天下泰平やろ。

つつがなき 船出を祝ふ もろびとの
和の声響く 四方の海そら

 お茶教室は辞めることにした。人的関係が複雑になり、嫌気が差した。まあ、入門編だけで終わったけれど、本式の茶道具を使って本物の師匠に手ほどきを受ける稀有な体験をさせてもらって、幸運やった。これ以上なんぼやっても、変形性膝関節症で正座も組めへんのやから、この先伸びる見通しはないのでエエ潮時や。家で自服か、せいぜい息子、娘家族が来た時に振舞う程度の我流宗匠で我慢しとこ。

茶の道は 一期一会と をしへ有り
実は育ちつつ 枯れ葉散りゆく








夕暮

2019-10-21 11:28:31 | 日記
 未聞の言葉を知るのは嬉しいことである。大満貫なんて麻雀用語だと思っていたのに、卓球で世界卓球選手権、ワールドカップ、オリンピックの3大タイトルを制覇することも意味するらしい。中国の劉詩雯選手が今年、世界卓球選手権で優勝し、きのう自国成都で開催された女子卓球ワールドカップ決勝戦でライバル朱雨玲を破り、リーチ。来年の東京五輪で金メダルを獲れば、その大満貫達成となる。スプリントランナーのような精悍な体つきが見た目美しく、これぞアスリートという女性である。現在も現役バリバリの卓球女王・丁寧さんら、僅かしかその称号を得ていないらしい。卓球帝国の中国から僅か2人のオリンピック・シングルス代表に選出されるには熾烈な競争を勝ち抜かなければならないけれど、東京であの爽やかな笑顔を披露する勢いが付いている気がする。
 高校生の時から麻雀には親しんだけれど、大満貫の役満は情けないことに鳴きの大三元くらいしか、生では上がった記憶がない。面子に呼ばれなくなった最近では、コナミの麻雀ゲームで四暗刻を積もって卒倒するくらい大喜びしたのだから、劉詩雯さんが大満貫を獲得すればさぞ喜ぶだろうなあ。
 台風の役満ばかりを積もっているのが日本である。南洋で発生して北上するなら真っ直ぐ行けばよいのに、なぜか日本列島付近で急に右折して襲来してくる。尖閣列島や竹島、北方領土など、侵略国が違法に掠め取りに来た時に、神風となって吹き暴れればいいけれど、大概は治山治水、砂防の脆弱な地域に豪雨を伴って荒れ狂いやがる。15号、19号の猛威に遭い、いい加減にしろと言いたいのに、また20号、21号が不穏な動きをしているらしい。悪霊の仕業か、治政者の徳の無さとしか言いようがない。国土の安寧を望むなら、お祓いをするか、御一新を待つのみである。
 和歌の究極の楽しみは、和泉式部や大伴家持らが親しんだように、贈答歌にある。アホみたいに山や海に向かって詠ってみても、今時やまびこなど返ってこないし、あへあへと自慰行為みたいで声が枯れるばかりである。ネットで風俗営業になり兼ねないマッチングというのがあるそうだけれど、贈歌に対してふさわしい返歌を引き合わせる仕組みがひょっとして世の中にあるのだろうか。しかし、これも意識、感性がハーモニーしていないと、女子中高生に対し中年教師・教諭が淫らな行為、みたいなことになるのが落ちかもしれない。和歌教育みたいな悠長なことをやっている場合ではなく、教育改革、教員改革がいまや喫緊の課題である。

見渡せば 教師の資質 無かりけり
淫ら行為と いじめの夕暮れ

*本歌:
見渡せば 花も紅葉も なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ(藤原定家)


有明

2019-10-20 07:48:31 | 日記
 年寄りの朝は早い。新聞を取ると有明の月が中天に輝いていた。河川決壊地域の泥土も照らしてあるかと思うと風流でも何でもなかった。下弦の月手前の腹ボテだった。
 生活習慣病だからコーヒーは漉し、飲む。ニュースくらい聞こうかと、ラジオをつけると、一夜中の営みに気怠く上気した顔でしな垂れ掛られるような甘えた声でアナウンスが流れた場合、食傷する。それでもトーストくらいは蜂蜜を付けて流し込む。
 蜂蜜と言えば、長男の嫁がコストコで買ってくれた大容量で、長持ちしている。
 きのう夫婦揃って昼飯を食いに来てくれたので、焼肉にした。カルビとタンに豚レバー、鶏肉を2軒のスーパーで買った。野菜はカボチャ、サツマイモ、ピーマン。食うスピードに間に合わないといけないので、電気ホットプレートとガスボンベ式焼肉鉄板を使った。前菜は豆腐チーズに野菜サラダ。サラダはサラダ菜をベースに、きのこを塩コショウ、味醂にバージンだか何とかオイルで炒め、人参は生で食ったことがないのに、この前のTV「家について行ってイイですか」番組でフランス料理のシェフが塩揉みとか色んな技を使って湯掻かないで作っていたのを参考に、手揉みとその辺の調味料で味付けし、中心にトマトカットを据えて、出した。これで9時からの準備作業の大半を費やした。詰まらない物に凝ると時間が掛かってしまう。
 これに台所でサーロインステーキを2枚焼いて2人に出した。嫁さんも、私は鶏肉が好きなどと遠慮していたけれど、ステーキはほぼ完食してくれ、手間が報われた。
 昨日の新聞折込チラシに和菓子屋の栗尽くしセットがサービス価格で出ていたので、仕込み中に車を飛ばして買ってきたのを、手土産とデザートにした。焼肉の後に饅頭では重い気がするけれど、ここが当日の仕掛けであった。お茶教室に通い始め、習っている抹茶を振る舞ったのである。おそらく抹茶は2人にとって初めて位のサプライズとなり、感謝された。大事な人に心を込めたもてなしはハートを射やすく、茶の真髄を発揮できた。

しゃかしゃかと
思ひを込めて 点てぬれば
ひとの心を 茶は掠むべし







金木犀

2019-10-16 16:25:10 | 日記

 いやはや困ったものである、金木犀。散歩道がぐじゃぐじゃになってしまった。良い香りが漂う方に誘われると、いつもの散歩コースを踏み外し、迷子になりそうになった。花期は短く、束の間の至福のチャンスである。躊躇することがあろうか。「たんたん狸の金たま」という歌を思い出した。「風に揺られてぶーらぶら」と歩みを進めと、方向感を失った。そもそも金木犀が誕生花に指定されているのは10月6日であるのに、当日は1輪も開花を確認できなかった。地球温暖化のせいなのか、今年は秋に入っても夏の暑さだったので、咲きそびれたのだろうか。ところが昨日夕方の散歩で、出足から鼻にぷーんとご近所の金木犀がお目見えの挨拶をしてくれた。すると彼らの兄弟姉妹、叔父叔母、両親、祖父母、親戚、赤の他人らが一斉に顔を綻ばせたものだから、散歩が忙しくて仕方なくなった。あっちからプンプン、こっちからプンプンし、そのたびに脇道に入ったり、小高い丘を登ったりするものだから、早くも腕時計から1万歩達成のチャイムが鳴った。
 こんな詰まらない日誌でも、著名人の目に留まることがある。東京五輪のマラソンで死者を出さないため、熱暑の東京でなんて走らせないで、激走の連想から北海道は網走に開催地を変更したらどうかとだいぶ前に提唱したら、IOCが札幌開催の検討を昨日発表した。また、老人性乾皮症で指がカサカサになって尖ったものが摘まめないくせに、スマホ画面だけは指の脂で汚れてフリックし辛くなると昨日訴えたら、グーグルがすぐ反応して、手をかざして操作できるスマホ新製品(「Pixel4」と「Pixel4 XL」)をきのう発表した。
 神戸市東須磨小の教員室は一体どうなっているのだ。富士山のように監視カメラを付けて常時ネット中継した方が良いのではないか。報道によると、同僚教師の男女に性行為を強要し、その写真を送って見せろとはどういう了見なのだろうか。トンボのとか、犬猫のはたまたま出くわすことはあるけれど、人間の他人様のそうした行為など見たことがないぞ。どんなだろう。想像するだに卑しい。ただ、私だって弱い人間だから、強要されれば仕方なくか進んでか、やってしまうかもしれない。その場でその局面に立たされた時、どういう勇気ある態度を保てるか自信が無いので、安易に他者を非難することは慎みたいと思う。
 これより酷いのが、千曲川をはじめとした全国河川の堤防決壊被災地域の惨状である。天を恨んでも仕方ないとは、口が裂けても言えない。菅原道真や崇徳上皇の怨霊を畏れた迷信時代の政府でも、加持祈祷以外に民生安寧のために真剣に取り組んだと歴史の勉強で学んだ。今は社会保障費に負けるかもしれないけれど、近世以降、政府が軍備と並んで最大の予算を注ぎ込んだ土建行政に微塵の進歩も見られないのが悲しい。税金を吸い上げて無知で非効率な行政に仕事を委託しなくても、国民が自主的に生活防衛した方が効率的でパフォーマンスが高いのではないかと思われる。

ダム大事 下流にながす 向かふみず
泥にまみるる 民草憐れ






国土安全軍

2019-10-16 14:16:59 | 日記

 実りの秋やのに、稲穂みたいにじーっと頭を垂れ続けていなくてはならない雲行きやなあ。昨夜は掛け布団を厚いのに変えたし、けさは長袖シャツを引っ張り出し、半袖に2枚重ねしたうえ、ジャージを羽織らないと肌寒いわ。なんか空気がどんより暗くてかなわんで。
 台風19号の被害は、とっくに通過し雨が止んだ後も、日を追い死者・行方不明者数など爪痕が拡大している。政府は東日本大震災同様、天災だから被害の発生は仕方ないという顔をしているけれど、実際は砂防、治山治水対策の怠慢が招いた人災ではないのか。政府をはじめ総力を挙げて被害の後の救済と対策に取り組んでいるのに、なぜこんなに復旧に手間取っているのか。マスコミの全力報道でも伝えられない2つの疑問がある。
 1つはダム決壊の危機を大騒ぎしていたのに、実際に何カ所が決壊したのか分からない。向こう見ずにジャンジャカ放流したため、すべて無事だったのだろうか。民主主義社会での正当な役割を果たそうとしないポチのようなマスコミに頼っていては、その種の情報は永遠に出てきそうにない。単に、「100年に1度を超える雨量だった」と澄まして、災害拡大の逃げ口上を垂れ流すけれど、本来は人為的災害でなかったかの検証が必要である。ダム放流と堤防決壊の因果関係だけは究明しなければならない。
 色んな独楽を回していると、勝手にひっくり返って逆立ち回りする奴が居る。国民の安寧のためか、ダムのためか、価値観がひっくり返ってもらっては困る。
 もう1つは、大災害が起きると自衛隊の派遣を切り札に、政府の真剣度をアピールするけれど、国際情勢が北朝鮮の本邦向けミサイル乱射や、中国の国境侵犯に近い猛威圧力、韓国の竹島乗っ取り、ロシアの北方領土居座りなど極めて緊迫している中、国境防衛の本務に自衛隊が専心できない状態でいいのか、との疑問である。これだけ毎年、毎月のように大災害に見舞われ、救済、応援部隊の緊急出動が頻繁なのに、専門の部隊を設けようという議論が起きないのは、政府と国会の怠慢でないのか。自衛隊を分離するか、あるいは全く新設の国土安全軍か災害救急部隊を検討すべきなのは自明である。国会討論を漫談だけで済ましていてはいけない。また、台風20号と21号が爪を研いでいるかもしれないのである。
 旧勤務先のOB会による仙台松島旅行のプランが具体化してきたけれど、こんな状況で飲んで騒いでいていいのか、意気が上がらない。少なくとも乗り物乗車直後からの飲酒は慎もうと思う。消費税も上がったし、忍びやかに忍びやかに、が今後の日本の流儀になりそうである。
 
栗柿と 実りの秋を 楽しめず
忍びやかなる ダム垂れ流し