承前
今回の総選挙によって、ようやく自覚的に気づけたように思う、空気のごとくにAKBが纏っていた「陰気」。
ではなぜ、AKBが「陰気」を内在し続けてきたかと言えば、その答えは誰でも容易に気づけると思う。AKBの出自が、ほぼ地下アイドルであったというのはあるだろう。けれどもそんなことよりも、かつての前田敦子という存在が放っていた、圧倒的な「陰気」、つまり負のオーラこそが、その答に違いないのではないか。
前田さんというのは、きわめて特異な存在であり、本ブログでも何度かその考察にチャレンジしては、玉砕を繰り返したわけだけど、ぶっちゃけ、マイナス符号を宿したスターオーラの持ち主だったと言って良いんじゃないか。自ら光り輝くこともないわけではないけど、それ以上に人の視線を引きつける、心を捉えて放さない、そんな圧倒的な吸引力の持ち主だった。
だからその魅力に魅せられたファンと同時に、そんな前田さんの負のオーラに対する隠された恐怖感にとらわれたアンチを大量に生み出した。そもそも負のオーラの取り扱いはきわめて難しいのであり、高橋さんの「献身」があって、これがAKBの推進力となることができたと考えられる。
その前田敦子という圧倒的存在が去った。前田AKBが終わった後も、そこに残されたものは、形骸化された「前田AKB」のままだった。大島さんは前田さんのカウンターパートにして、言わば前田さんの影の影なんであり、とりあえずの代替物以上にはなり得なかった。渡辺麻さんも、失礼ながら前田さんの「劣化コピー」以上にはなり得なかった。
こういう見方に妥当性があるなら、これまでの選抜総選挙が放っていた、どろどろしたもの、人によっては「吐き気を催す」とまで言わしめる何か、そして"Show must go on"が醸し出していた、これも人によっては「残酷ショー」呼ばわりをした何かも、そんな前田さんが放ち続けていた負のオーラの賜なのかも知れない。
これからのAKBに求められていたもの、誰もが気づいていたはずなのに、どうしても意識に上ってこなかった「第二章」の正体とは、シンプルに脱前田敦子だったんじゃないか。それだけ言うと当たり前に思われるかも知れないけど、これが実は「脱学習問題」だったんだということに、なかなか気づけなかった。
そして、それは誰も思い描けなかった、気が付かなかった所、正に「無への跳躍」によって成し遂げられた。さっしーが一位になったから、というのは結果に過ぎないわけで、もちろん結果を軽視すると言うことではないけれど、AKBをAKBたらしめているところ、ヲタさんの情熱によって、それはもたらされたことになるんではないか。
もちろん、今回の指ヲタさんの行動は、あくまでも純粋に、さっしーを一位にしたいという、ただそれだけの思いだったんだろう。けれども、そんなある意味「非常識」な行動のあり得ない集積、AKB界隈にはそんな非常識の塊が掃いて捨てるほどありふれているんだけど、その実践が、意図せざる「無への跳躍」となったと考えられる。
支店と圏外のメンバーは速報勝負というのは、言わば常識だったんだけど、今回は劇場盤にも投票権が付いたことで、これが加速されたと考えられる。そんな従来からの傾向の拡張された延長の上に、さっしーが乗っかる形で、今回の速報には、これまでとは異質の空気感が醸成された。そしてその雰囲気に押されるようにして「民意」が動いた。そのメッセージを、篠田さんはしっかりと受け止めたということだと思うし、高橋さんを始め、少なくとも上位メンバーは、皆感じ取ったんではないか。
そしてAKBという動的平衡がゴリッと動いた。これまでのAKBとは不可逆的に変わった。AKBという細胞性粘菌が、前田さんの影から抜け出して、新たな未知の何ものかに変貌した。もちろんこれが、カタストロフの始まりである可能性は否定できないけど、けれどもそれでも、それこそがAKBなんであり、先が見えないから、常に一歩先のリスクを取るからこそ、AKBは面白過ぎる。
今回の総選挙によって、ようやく自覚的に気づけたように思う、空気のごとくにAKBが纏っていた「陰気」。
ではなぜ、AKBが「陰気」を内在し続けてきたかと言えば、その答えは誰でも容易に気づけると思う。AKBの出自が、ほぼ地下アイドルであったというのはあるだろう。けれどもそんなことよりも、かつての前田敦子という存在が放っていた、圧倒的な「陰気」、つまり負のオーラこそが、その答に違いないのではないか。
前田さんというのは、きわめて特異な存在であり、本ブログでも何度かその考察にチャレンジしては、玉砕を繰り返したわけだけど、ぶっちゃけ、マイナス符号を宿したスターオーラの持ち主だったと言って良いんじゃないか。自ら光り輝くこともないわけではないけど、それ以上に人の視線を引きつける、心を捉えて放さない、そんな圧倒的な吸引力の持ち主だった。
だからその魅力に魅せられたファンと同時に、そんな前田さんの負のオーラに対する隠された恐怖感にとらわれたアンチを大量に生み出した。そもそも負のオーラの取り扱いはきわめて難しいのであり、高橋さんの「献身」があって、これがAKBの推進力となることができたと考えられる。
その前田敦子という圧倒的存在が去った。前田AKBが終わった後も、そこに残されたものは、形骸化された「前田AKB」のままだった。大島さんは前田さんのカウンターパートにして、言わば前田さんの影の影なんであり、とりあえずの代替物以上にはなり得なかった。渡辺麻さんも、失礼ながら前田さんの「劣化コピー」以上にはなり得なかった。
こういう見方に妥当性があるなら、これまでの選抜総選挙が放っていた、どろどろしたもの、人によっては「吐き気を催す」とまで言わしめる何か、そして"Show must go on"が醸し出していた、これも人によっては「残酷ショー」呼ばわりをした何かも、そんな前田さんが放ち続けていた負のオーラの賜なのかも知れない。
これからのAKBに求められていたもの、誰もが気づいていたはずなのに、どうしても意識に上ってこなかった「第二章」の正体とは、シンプルに脱前田敦子だったんじゃないか。それだけ言うと当たり前に思われるかも知れないけど、これが実は「脱学習問題」だったんだということに、なかなか気づけなかった。
そして、それは誰も思い描けなかった、気が付かなかった所、正に「無への跳躍」によって成し遂げられた。さっしーが一位になったから、というのは結果に過ぎないわけで、もちろん結果を軽視すると言うことではないけれど、AKBをAKBたらしめているところ、ヲタさんの情熱によって、それはもたらされたことになるんではないか。
もちろん、今回の指ヲタさんの行動は、あくまでも純粋に、さっしーを一位にしたいという、ただそれだけの思いだったんだろう。けれども、そんなある意味「非常識」な行動のあり得ない集積、AKB界隈にはそんな非常識の塊が掃いて捨てるほどありふれているんだけど、その実践が、意図せざる「無への跳躍」となったと考えられる。
支店と圏外のメンバーは速報勝負というのは、言わば常識だったんだけど、今回は劇場盤にも投票権が付いたことで、これが加速されたと考えられる。そんな従来からの傾向の拡張された延長の上に、さっしーが乗っかる形で、今回の速報には、これまでとは異質の空気感が醸成された。そしてその雰囲気に押されるようにして「民意」が動いた。そのメッセージを、篠田さんはしっかりと受け止めたということだと思うし、高橋さんを始め、少なくとも上位メンバーは、皆感じ取ったんではないか。
そしてAKBという動的平衡がゴリッと動いた。これまでのAKBとは不可逆的に変わった。AKBという細胞性粘菌が、前田さんの影から抜け出して、新たな未知の何ものかに変貌した。もちろんこれが、カタストロフの始まりである可能性は否定できないけど、けれどもそれでも、それこそがAKBなんであり、先が見えないから、常に一歩先のリスクを取るからこそ、AKBは面白過ぎる。