AKB48の旅

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脱学習と再学習

2013年06月12日 | AKB
承前

いちおうたてまえではあっても、選挙結果が反映されるのは32nd一曲と言うことになってるけど、総選挙1位という分かり易すぎる肩書きが何を意味するかは、これまでの前田さんや大島さんを見れば明らか。けれども、さっしーのキャラや立ち位置は、これまでのセンター様とは明らかに違うわけで、これまでの常識が通用しない可能性が高いのも事実。この先、AKBはどうなってしまうのか。

と言っても、AKBという存在様式はすぐれて複雑系であるという私見は既述であり、そういう視点からは、原理上、中長期的な予想は不可能となる。ならばまったく違った視点から考えてみるというのも、一つの手だろうと思う。今回の総選挙で成し遂げられたことが、脱前田敦子であった、つまりはAKBの脱学習過程だったという考え方に妥当性があるなら、そこから見えてくるものがあるかも知れない。

旧神7とは、ぶっちゃけ「前田組」だったわけで、これまでと異なった比喩をしてみるなら、前田さんという諸刃の剣を駆使するために特化したデバイスだったと見なせる。だから旧神7は消滅することになる。と言いつつ、既にしてこれまでの総選挙結果は、先行指標になっていたことに気づけると思うし、だからこその、ここでの「旧」神7という表記にもなっている。

板野さん、篠田さんは卒業を決めたし、柏木さん、さっしー、松井JRさんによる「神崩し」の意味するところは、脱前田敦子の内部的な表現と捉えるべきことなんだろうと思う。

大島さんは、前田さんの影であることを受け入れ引き受けたんだと、そう私が考えていることは既述だけど、であれば、大島さんが「脱前田敦子」を受け入れることはないだろうと思う。AKBの再学習が終わるまでの間、臨時の風よけとしてAKBを守るという、損な役回りを引き受けた上で、新たなAKBの確立とともに卒業することになるんだろう。

小嶋さんは「天才」なんで、どんな立ち回りも可能だろう。脱学習、再学習も容易だろうし、ちょっと考えてみれば分かるけど、既にして勝手に「脱前田敦子」を実現してしまってるとも見なせそう。

高橋さんは、前田さんの在籍中の時点にして、既に個人ではなく公人なんであり、脱学習という枠組みの外にあると考えられる。恐らくはモチベーションが続く限り、そこに居続けて、求道者の如くに、多くの別れと出会いを繰り返しつつ、艱難辛苦の道を歩むことになる。

さてと、ここまでは容易に「解体」できると思うんだけど、問題は渡辺麻さんということになる。渡辺麻さんの脱学習、つまりは前田さんの「劣化コピー」というと言い過ぎかも知れないけれど、その影から脱するためには、渡辺麻さんという個としての「覚醒」が必要なんじゃないか。

それが可能なのかどうかは分からないけど、一例、かつて見せていた、ぐぐたすでの「荒らぶり」にヒントがありそうな気がする。あれが渡辺さんのリアルに近い姿であるなら、現状のアイドル渡辺麻友という枠組みから自らを自覚的に解放して、オリジナルの渡辺さんをさらけ出せるのか。ここが最大のハードルとなりそうな気がする。

旧神7以外のメンバーにとって、「脱前田敦子」はそれほどの困難を伴わないと思われる。と言いつつ、再学習の方向性を指し示すであろう「民意」はさっしーなんであり、さっしーの意味するところは、励起状態と言えば聞こえは良いけど、病的状態とも言い換え得る極限の不安定化でもあるだろう。

脱学習そして再学習とは、正にそういうことなんだとは言え、ここでAKBがカタストロフを回避し切れるなら、そして高橋さんがいる限りは回避できると思うけど、そこからは複雑系の運動に身を委ねることで、AKBとしての再学習は成就するのではないか。それがどのようなものになるのかは、複雑系の常として、決して予測は付かないとしても。