AKB48の旅

AKB48の旅

32ndシングルのプロモーション

2013年06月25日 | AKB
さっしーセンターということで、秋元氏が仕掛けてこないはずがないと思っていたんだけど、やっぱこの人すごいわ。ファーストインパクトで、さっしー自らの口から「びっくり音頭」の曲名を口走らせて、そっち方向に意識を誘導した上で、バブル時代のディスコ風?へと、目一杯の、言わば逆張り。

最初の「偽情報」にしても、さっしー自らが一次ソースなんで誰も気にしてないようだけど、これは冷静に立ち返ってよく考えてみれば分かるけど、秋元氏が意図してやったのは間違いないと思う。そういう意味では、自身でリスクを取ったことになる。

と言いつつ、結果的にこの秋元氏の「嘘」はスルーされてるけど、やはり発信元をさっしー自身にしたことが、功を奏してるんだろうか。さっしーと嘘との関係性については既述だけど、だからさっしーから発せられる「嘘」は、ネタと化してしまうという。面白ければオッケー的な。

しばらくご無沙汰だったけど、そう言えばこういう「振れ幅」を最大化する演出って、秋元氏の得意技だった。まさか偽情報とは思わせないフリから始まって、大量のエキストラという名の、「アンチは無料の宣伝マン」どころではない、ファンは最高の宣伝マンの投入。そこからの大量のスネーク情報に、仮歌にして音質の悪い楽曲リーク、歌詞リークのやりたい放題。

http://www.youtube.com/watch?v=4YzDmAIs6wU

この選抜メンバーのフリだけを見ると、けれどももしかして・・・な印象がないわけでもないか。「バブル時代のディスコ風」にしては、どこか「音頭」の雰囲気が漂うような。もしかして、まさかのどんでん返しのどんでん返しがある?

何にせよ、予想されるMVがお祭り騒ぎなら、事前の「情報操作」も見事にお祭り騒ぎにして、もうバブリーそのものじゃないか。確かにこうして仕掛けられてみて、頷くしかないけど、さっしーセンターなんだから、そりゃイケイケどんどんしかないわな。

「to be continued」「1ミリ先の未来」ブルーレイ 補遺

2013年06月24日 | AKB
映像として写らないもの、情報発信されないものを議論しても無駄というのはあるんだろうけど、それでも一言触れておきたい、「to be continued」「1ミリ先の未来」における、スタッフの映り込み方や指示の声などが興味深かったかも。

芸能活動の常識とは言え、実際に映像として確認できる、「スター姫さがし太郎」や「HaKaTa百貨店」DVD BOXの特典映像などで、AKBGの活動のあらゆる部分に、多くのスタッフが関与してることが分かる。けれども彼らは、黒子に徹するわけで、お約束としてはメディアには載らない。

もちろん、各劇場支配人を始め、茅野しのぶ氏や、西山恭子氏、北川謙二氏など、映像として発信され、あるいはぐぐたすに参加するスタッフがいるけど、AKBGの場合、あそこまでもが「表」なんであって、彼らも広義のメンバーということになるんだろう。さらには、楽曲関連のスタッフも、NHKBSの「密着!秋元康2160時間~エンターテインメントは眠らない~」で、晒されてしまっている。

けれども、いつもそばに付き添っているだろうマネージャーや、舞台スタッフ、ツアースタッフ、その他、本当に黒子な人々は、原則としては発信されない。そこにはいないものとして扱われ、おそらくは映像として映り込んだり、声が捉えられても、編集でカットされてる。

ところが、「to be continued」「1ミリ先の未来」では、この映り込みや声が目立つ。というか、こっちが「自然」だろうことが容易に分かるわけで、そうではない映像とかの方が、黒子を写さない、写ってもそこは編集で切って発信しない、そういう意図が働いていることが分かると思う。

何か主張したいと言うことではないんだけど、この「不自然さ」を超えた「自然さ」かな、それがこの「to be continued」「1ミリ先の未来」にはあるということを明記しておきたい。

例えば「SHOW MUST GO ON」の場合、黒子スタッフ達が映像として捉えられているようでいて、実は映り込みとしては排除されているように見えるわけで、こういうのを悪意と捉える人がいるんだろうということ。まあ、この辺り関連の話は、別の切り口から指摘済みなんで、これ以上の深入りはしないけどね。

「to be continued」「1ミリ先の未来」ブルーレイ

2013年06月23日 | AKB
「to be continued」と「1ミリ先の未来」は、AKBにのめり込むきっかけの一つになった作品なわけで、だから当然、これを最初に見た時は、AKBについて何も知らなかった。なので、たくさんの勘違いや理解不足、誤解を積み残してしまい、その後再見する度に、新たな発見と間違いの修正の山を築くことになった。

今回はそれに加えて、SD画質からHD画質という違いがあり、もちろん私のAKB理解も多少は進歩してるはずであり、その両方からの見え方の違いがあるはずだと思って見たけど、実際、予想通りというか、むしろ予想外の感想を新たに持つこととなった。

まず思ったのが、ああ、みんな若いな、初々しいな、あたり。別人とまでは言わないけど、まるで違うみたいな。ここに流れる映像はほぼ2010年のものであり、わずか3年前なんだけど、すごく昔のように感じられた。

けれども、見続けてくうちに、いつの間にかまったく逆の感想に変わっていった。ああ、みんな今と同じだな、人というのは変わらないものなんだな、そういう感じ。なんか、根本的なところ、変な表現になるけど、「魂」のようなものの揺るぎなさとでも表現すれば良いのか。

表面的には、たぶん物理的な時間としての3年分以上に齢を重ねた、確かに年を取った。けれどもその内面からにじみ出るものは変わらない。とりわけ「to be continued」でフィーチャーされているメンバー、つまりは選抜メンバーには、変わらない揺るがない「魂」の輝きがある。

もちろん、監督の意図がそれをこそ表現したかったから、というのは理解してるつもり。HD画質で見ることで、そんな監督の編集意図がよく分かったような気がする。けれども、監督がそういう意図を持ったのは、正にこの「魂」の存在を目の当たりにしたからだろうとも思う。

一例、横山さんがなぜ飛び出してきたのかが、この作品中で存分に描かれている。横山さんが上位メンバーと同じ「魂」を持っており、それをメンバーみんなが感じてる。横山さん本人には、この時点でまだその自覚はないけど、2013年現在の横山さんに、その自覚があるのは明らか。

敢えて説明を放棄して「魂」というカッコ付きの言葉での表現にこだわるけど、この「魂」を持つ者と持たない者がいる。揺るぎなく持つ者だけが、上位へと上がってくる。AKBファンは意識してか、それとも無意識的になのか、この「魂」を見つめていることになる。

本作品中では、さっしーがまだ空気なんだけど、それでも「1ミリ先の未来」のほんのワンシーンに、さっしーが自らの「魂」の片鱗を窺わせるシーンがある。一方で、「to be continued」の方では、ほとんど田舎の不良女子高生のような表現になっていて、監督の目からは、さっしーには「魂」はないように描かれてる。

この辺りが面白いというか、この「魂」は獲得され得るものなのか、それとも生まれつき決まっているものなのか。AKBの実情を見る限りは、生来のもののように思われるし、さっしーの「歴史」を振り返るなら、それは隠されているけど、ふさわしい環境に置かれることで、花開く才能のようなものなのかもしれないとも思う。

そして話は変わるけど、もう一つ。HD画質になることで、前田さんの美しさが際立つ。決して美人顔ではないと思うし、実際、世評もそうなんだけど、それでもとにかく見入ってしまう。どうしても、美しいという以外の表現を思いつけない。やはり一人だけ異質な何か、それこそ「絶対的スター属性」を一人だけ持ってることを再確認した感じ。

今回、HD画質で見たことと、それなりに私のAKB理解が進んだこともあってか、「to be continued」の評価を大きく変えることになった。これまで作られた「DOCUMENTARY OF AKB48」の中で、この「to be continued」が、AKBという存在の本質をもっとも真摯に描き切っており、3作の中でぶっちぎりでよいできだと思う。

「僕らのユリイカ」MV

2013年06月22日 | AKB
「僕らのユリイカ」

最初っから最後まで、突っ込みどころ満載なんだけど、どうしたもんやら。でも、ドラマとダンスを完全に分離した判断は、取り敢えずは評価したいかな。あとは、まさかの「漂流教室」にして「猿の惑星」ネタ。ラストが「to be continued」になってるけど、本気で続編を作るつもりなんだろうか。怖いもの見たさで見たい気もするけど。

「僕らのユリイカ」ダンシングバージョン

単調過ぎに感じた。もうちょっと工夫が欲しいところで、水着ではない衣装バージョンとかと混ぜてくれてたら、もっと評価できたかも。市川さんが違和感なく溶け込んでるのは、素直に驚き。

「奥歯」「野蛮なソフトクリーム」

横山さんと市川さんのネタを絡めて、うまくリアルヴァーチャル連続体にしつらえた感じ。特に「野蛮なソフトクリーム」の方は、ダンスがかわいく撮れてて、なかなか良い感じだと思う。

「ひな壇では僕の魅力は生きないんだ」

パロディなんだけど、いろいろ混ざってるのかな。ベースは「夕焼けニャンニャン」で合ってる?もうちょっとぶっ込んだ方が面白かったんじゃないかと思うし、ちょっと中途半端な気もするけど、いろいろ差し障りでもあるんだろうか。せっかく「秋元康」の名前が表示されるのに、そこ、いじらないんだ。

以上雑感だけど、「僕らのユリイカ」を最初に聞いた時、「BUMP OF CHIKEN」を連想した人はいないのかな。

兒玉遥ぐぐたす6月20日0:03

2013年06月21日 | AKB
兒玉遥ぐぐたす6月20日0:03引用

こんばんは!兒玉遥です。

今日1日で、
学べたこと、感じたことが
ここに書ききれないくらい
沢山ありました。

今日、一番思ったのは
篠田チームAで
私は自分を高められる
ここの仲間だったら
弱い自分も強い自分もわかってくれる
信じれるって思ったことです。

公演まで2日となったとき
練習すると言ったら
森川彩香さんが
私より一時間も前にレッスン場に来て下さって
付きっきりで教えてもらって
私が一人で深夜まで踊っているときも
ずっと見てくださってて
注意点を全部メモして渡してくださったり
『なんでも聞いてね。』って
声をかけてくださったんです。

まだ、兼任になったばかりで
あまり、喋ったこともないし、
会ったこともない私に
私のために、どうして
こんなにも
思ってくれるんだろうって
最初は思いました。

でも、それは本当にチームのことを想ってるから
自分をもっと成長させたいって想ってるから
出来るのだと確信しました。

他にも公演中
先輩方が何度も私に微笑んでくださって
その度に胸があつくなって
安心させられてました。

こんな素敵なチームに
出会えて良かったです。

私は幸せです。

HKT48も
素敵なチームにしていきたいです!!

あとは
満足のいくパフォーマンスが出来なかったのが
悔しいです。


一回一回を大切に
チームAにとってプラスの
存在になれるよう
一生懸命さや、気持ちだけじゃなくて
それな見合う実力、技術を
付けなきゃいけないと思いました。

頑張ります。

そして、応援してくださった皆さん
本当にありがとうございました!!

『はるか』コール
嬉しかったです♪

これからも宜しくお願いします\(^o^)/


おやすみなさい。
ぷひゅーはー♡

以上引用

この素晴らしい内容に、なにがしかのコメントしようと思って、あれこれ書いてみたけど、ダメだ。兒玉さんのこの素直さ、真っ直ぐさ、一所懸命さに、とてもじゃないが、私ごときが、まともに向き合うことなんてできない。

アプローチを変えよう。

それなりに人生経験を積み上げてきた人なら、こういう実感が伝わると思うんだけど、自分と世界との関係性が根本的に変わる、突然霧が晴れて視界が開ける、「なんて素敵な世界に生まれたのだろう」と気づく、・・・うーんこういう書き方をすると自己啓発セミナーとか、洗脳とかとの差別化が微妙になるけど、それでも、ものの見え方が変わる、自分の在り方が変わる、そんな瞬間がある。あったはず。

もちろん、それに気づける、気づくことができるというのが絶対条件なんだけど、そして、間違いなく、少なからぬ人々は、それに気づくことなく、その瞬間を通り過ぎてしまうんだろう。「気づく」というのが最も重要かつ、到達困難な才能なんだと思う。兒玉さんには、それがあった。これはかつての前田さんレベルの大化けも期待できそう。

そしてもう一つ、ここに上げられている森川彩香さんの行動。正に共同体意識であり、横山さんが語る「してもらったようにしていく」ということ。あるいは仲谷さんの語る「非選抜アイドル」ということ。AKB界隈にいくつも回っている良循環が、ここでも再確認できる。とともに、この「文化」が、HKTには育っていないことも、兒玉さんの言葉によって逆照射される。

AKBが擁するもっとも特異な存在様式が、自己組織化組織にして共同体であることは何度も指摘したけど、私見では、これは高橋さんという存在にその淵源がある。ヲタさんが投入する巨大なエネルギーを背景として、それは高橋さんを契機として、言わば戒壇の如くというと語弊があるけど、恐らくは直接的な人間関係による相互因果関係によって、負のエントロピーを蓄え、同心円の如くに構成されていると考えられる。

横山さん、北原さんは、間違いなくその内部の人間であり、これまでの言動、行動ともに、共同体意識に自覚的と考えられる。だからこの二人の兼任には、SKE、NMBへの共同体意識の伝播、言わば「布教」という側面があったに違いないと言うことは以前書いたけど、では、さっしーそして多田さんの場合はどうだったのか。その一つの答えが、ここにあるように思う。

さっしーもまた、長らく高橋さんの傍らにいたのであり、AKBという存在の中心的役割を担う人材であることは言うまでもない。けれども、かねてから、さっしーには奇妙な「外部性」があるようにも感じてきた。この件は「動的平衡と襲名」のところで、柏木さんとともにさらりと触れたけど、つまりはさっしーと柏木さんに共通する特徴ということになり、ここから容易に気づけるのが、二人が既に成し遂げた「神崩し」の意味するものは何だったのかということになる。

こちらの答えもたぶん既述なんだけど、なんかとんでもないことを口走りそうだし、兒玉さんから話題が離れてしまうので、こっから先は、またその気になったらということで。