こんにちわ。工事部長のRyouです。
東日本大震災の被災地に4月・5月に視察に行って来ました。
レポートを何回かに分けてご報告します。
視察地 ① 平成23年4月18日~19日
1.福島県
2.宮城県 ・気仙沼 711人死亡 1420人不明
・南三陸町 441人死亡 30人不明
(4/11付)
協力を頂いた方 ・・・ M水産 M様
4月18日
本社出発17:00 東名 → 東北自動車道 →
福島駅西口東横イン 23:00到着
4月19日 雨
8:00 島駅西口東横福イン 出発
13:00頃 気仙沼 到着 視察
14:00 気仙沼 出発
15:30 南三陸町 到着 視察
16:30 南三陸町 出発
23:00 本社 到着
福島駅西口東横イン(第1日目宿泊ホテル)の外壁修理中(タイル)
福島~一関インターまで東北自動車道車中より視察した事項は、
屋根瓦の脱落が見られる程度でした。
一関~気仙沼までも、地震のみの災害は屋根瓦の脱落程度で、
外見上は大きな被害は無い様に思われました。
気仙沼港に近づき、津波の到達した所に来て初めて被害の実態を見て、
信じられない光景でした。
当社社員I君の友人でM水産社長のM様に当時の様子を、自宅の庭の
気仙沼港を見下ろせる場所で聞いたところ、津波は地震から10分以内
に、港と西側の川から押し寄せて来た。
車で逃げようとしていた人は、目の前で流されていった。
気仙沼中心地内を高さ15m位の波が飲み込んだ。と話してくれました。
また、津波は何回も押し寄せたとの事でした。
ライフラインの復旧はしていない様でしたが、津波の被害にあった人々と
無い人々の差は天と地ほどでした。
M様の話を約30分程伺い、これから南三陸町に行きたいと言ったとこ
ろ、地元の人でなければ道が寸断されていて、とても行けないので案内
してくれるとの事で、南三陸町まで案内して頂きました。
気仙沼~南三陸町に行く途中、小さな入江にある集落も壊滅状態で、
小さな川沿いに山の方まで津波が押し寄せた事がよくわかりました。
リアス式海岸特有の津波の盛上る様子がよくわかりました。
海辺と山合いを交互に走り、約1時間40分程で南三陸町に着きました。
南三陸町は壊滅状態でした。静岡新聞に載った鉄骨造の防災センターの
鉄骨だけ残った建物を視察しました。
また、鉄骨構造体のみ残った建物も数棟ありました。
RC造の病院とアパートも構造体は残っていました。ブロック造の便所が
残っていました。
とにかく津波の高さが5階建のRC造マンションの5階の床まで上り、
その強大な力に言葉が出ない程でした。
そんな中で残った鉄骨構造体の中に津波シェルターがあれば、人命は
助かったのではないかとも感じました。
高台の避難所の高校に行き、避難所の管理人の方に話を聞いたところ、 現地はとにかく情報不足で困ったとの事でした。 持参した静岡新聞の三陸町の報道紙面を見て、非常に有り難いと話して いました。 現地は当日とにかく寒くてシャッターを押す手が動かなくなる程でした。 被災された方々の苦労をしみじみ感じました。 16時30分頃、南三陸町を出発し、静岡に向かいました。 東北自動車道、宮城県内は大雪でした。