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地震について思う事(2)

2011-04-04 09:47:50 | 日記(~2023年)
今日は「津波」について考えたいと思います

1896年 6月15日、明治三陸地震による大津波
1933年 3月 3日、昭和三陸地震による大津波
1960年 5月22日、チリ地震による大津波
2004年12月26日、スマトラ島沖地震による大津波
2010年 1月12日、ハイチ地震による大津波

東北地方は日本の中でも津波の恐ろしさを知っている人が大勢いたはずなのに、
津波警報が出ても避難されなかった人もいたようです

某新聞の読者欄に被災された方からの投稿がありました

「逃げる際、〝早く避難しないと津波がくるよ″と言ったら、
 “俺は泳ぎが上手いから”と言って避難しなかった隣人の行方が分かりません…」


(引用開始)
「此処(ここ)より下に家を建てるな」

1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、
住民が坂の上で暮らしてきた地区では(岩手県宮古市、重茂半島東端の姉吉地区)全ての家屋が被害を免れた。

地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まり、住民たちは改めて先人の教えに感謝していた。
(引用終了)

先人の教えを守るのは簡単ではないと思うのです
人間って、自分の都合のよいように生活したいと思ってしまいがちです

坂の下に家を建てたらもっと日常が便利になるのに…
いつくるか分からない津波のために不便をするのは…
自分だけは大丈夫・なんとかなる(という根拠のない自信)…

先人がどういう思いでその言葉を残したのかを考えることが大切だと思うのです


海外ではあるけれども、2004年、2010年の地震による大津波映像は記憶に新しく、
津波の恐ろしさやその後の悲惨な状態をテレビで通じて知ったにもかかわらず、
どこか他人事のように思い、時間と共にいつの間にか記憶から薄れてしまっていたように思います

地震や津波も避ける事ができないと思います
しかし、心の片隅にでも先人の教え(思い)、過去の映像の記憶があれば、災害は少なくできるように思うのです